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心地いいを見つけていくこと

東京から帰ってきて、まず最初に気にするのが観葉植物たちだ。毎日水をあげなくてもいいものだけれど、最近は暑くなってきたから干からびていないか心配だった。でも全く元気そうな様子で一安心し、風通しをよくするために窓を開けた。風で葉っぱが揺れて、なんだか気持ちよさそう。見ているだけで心が安らぐ。

骨董市で買った秤を包み紙から出した。1500円だったのをさらにおまけしてもらって1000円に。ずっと秤がほしくてメルカリで探していたのだけどピンと来るものがなく、骨董市でついに見つけた運命的な出会いだった。どんどん古いものが好きになっていく。デザインを生業にしているから、持ち物も住んでいる古い街に合わせてコーディネートしたくなるのかもしれない。最新型のものや生活感がないものは、やはり今の生活には合わない。

東京にいると外食が増える。だから素材の味が恋しくなる。カツオで出汁を摂り、そこへさらにキノコを入れてダブル出汁にした。我が家の出汁は本当においしいと思う。溶かすだけの粉末の出汁は時短だし便利だけど、毎回わざわざカツオから出汁を摂りたくなるほど圧倒的においしい。沸かしたお湯に10分間カツオを入れるだけ。このちょっとした一手間で、料理の根本的な味が変わる。いくらあとから味を加えようとも、根本を変えることはできない。何事も最初のちょっとした一手間が肝心なのだと思う。

ご近所さんへお土産の桃を渡しに行った。今年初桃だったらしく、すごく喜んでくれた。ご近所さん付き合いというのは子供の頃はあったようであんまり気にしていなかったから、ほぼ初めての人生体験に近い。煩わしくて避けている人も多いだろうけど、今の私にとっては大切な人間関係の一つだと感じる。挨拶一つ交わすだけで、不思議と心が満たされるからだ。

人は人を区別する境界線がないらしい。どういうことかと言うと、隣にいる人と画面越しの人を別物だと区別できない。どちらも同等の1カウントとなる。でも人が人を認識できるキャパは150人くらいだから、画面越しの何億人もの人たちと繋がろうとすると脳みそがパニック状態になってしまう。だから画面越しの人たちと繋がろうとするより、隣にいる人と繋がろうとする方が脳的には正常な働きができて、心も満たされたと感じられるのだろう。私は人間の構造について知るのが好きだから、つい話がそちらへ逸れてしまう。

暑い日が続いたからか海風が強く、スーパーへクロスバイクで行くのはやめて歩いて向かった。歩いていると、普段は通り過ぎてしまっている美しい景色に気がつける。そしてつい写真に収めたくなったり、寄り道したりするため、なかなか目的地へ辿り着けない。近所を歩いているだけで楽しいと思えるような場所を見つけられた私はラッキーだと我ながら思う。スーパーでついでにひまわりも買い、風の煽りから守りながら歩いた。あまりの強風に花びらが飛んでいってしまうのではないかと心配になる。行きと帰りではまた違った景色が見えた。空が広く見えるから、景色の移り変わりもよく分かる。この街の夏の姿も楽しみだ。

自分の心地いいを一つ一つ見つけて、囲んでいく。後から付け加えるのではなく、根本から。そうすればあとは何をやっても大丈夫だと思う。だいたい上手くできるし、失敗してもそう変なことにはならない。私の心地いいを見つける旅はまだまだ続く。

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