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ここにないものを求めてしまうのは

先日のインタビューで夢や目標は何ですか?と聞かれて、ありませんと答えた。これではインタビューの意味がない(笑)だけど本当にないのだ。今の私は、海がある街で作品を作り続けられることで完全に満たされてしまっているため、これ以上どうこうしたいが思い浮かばない。明日のことすら想像できていない。2週間後のことを考えなければならないとなると、少しソワソワする。世間一般的にはこれを、堕落した人間と言うのだろう。明日のことも考えず、何も計画していないのだからそりゃそうだ。

では、私は堕落してしまったのかというと、そうでもない気がしている。朝起きた瞬間にこの文章を書くことから始まり、気づけば約15時間ぶっ通しで何かを表現するために稼働し続けている。毎日そんなに動き続けていたら、定期的に鬱になるのも仕方がない気がした。つまり今へ全力投球できる代わりに、未来のことを考えられないという代償を払っているのだ。ずっと夢や目標にこだわってきた私は、あえてそれらを決めない選択もしている。側から見たら流されまくっていて心配になるかもしれないけれど、実は船のオールを自ら捨てて、波と風に任せてどこまで行けるのか身を任せてみている。オールを漕いでいると、進むこと自体に必死になってしまう。身を任せていると海の色や波の高さ、肌に当たる風の強さや空に浮かぶ雲の形など、色んなものが自然と体内へ入ってくる。未来を考えている時と、今を考えている時に感じ取れる世界は、同じ場所にいても全く違う。私は後者の世界にいるため、周囲との感覚のズレを日々感じている。皆んなに見えていないものが見えるし、皆んなが気にしているものが気にならない。言い換えれば一人ぼっちなのかもしれない。でもまあ、私は一人が好きだから平気でいられるのだろう。

何かを掴み取ることで、何かを成し遂げることで幸せになれると思っていた時期がある。確かにその瞬間には幸せを感じられるのだけど、数日後にはほとんど消え去っているため、また何か掴み取れそうなものを探してこなければならなかった。次第に掴み取れそうなものを見つけることで安心感を覚えて、自分の幸せは常に少し先の未来に鎮座している。もはや永遠に手に入らない空虚な存在になりつつあった。だけど本来幸せというものは、ご飯が美味しい、空が綺麗、友達と会えて嬉しいのように「ing」の中にしかなく、〜できるかもしれないや、〜できてよかったなどで得ている幸せは、今ここに存在している自分をおざなりにし、誤魔化すために想像を膨らませているに過ぎない。そう気がついてからは、少し先の未来へ後回しにするのではなく、今すぐに回収するようにしている。今の私をしっかり満たしてあげるためには、夢や目標などと言った実現までに時間がかかりそうなことをしている暇はない。今すぐに叶えられることは限られている。そうやって今すぐに私を幸せにしてあげているため、自然と夢や目標などもなくなっていく。

今ここにないものを求めてしまうのは、社会の仕組みのせいもあるだろう。夢や目標がないのは、なんだかいけないことのような気がしていた。生きているだけでは、なかなか評価してもらえないからだ。生きる以上のことを求められる生き物は、人間だけだろう。他の生き物たちは皆んな食べたい時に食べて、その辺で排泄し、寝て起きるをただ繰り返している。今へ全力投球できる代わりに、未来のことを考えられないという代償を払っているけれど、未来のことを考えられる代わりに、今を感じ取りづらくなっている代償はなかなか大きいように思う。

とは言っても、皆んなが今のことだけを考えて生きていくスタイルになれるわけではないから、私は今を切り取って作品にし、社会へ送り出すという役割をしているつもりだ。見落とされてしまっているものを拾い上げて、気にしすぎてしまっているものの正体を明かして、少しでも生きることへの安心感を届けられたらと思っている。この世界は少し複雑化してしまっているけれど、私たちが求めているものは実はもっとシンプルで、簡単に手に入るものであり、もうすでに持っているものだったりする。

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