見出し画像

静かな時間軸の中で

打ち合わせのため伊豆高原へ向かう。数年前まで何度も足を運んでいた思い出の場所だ。名古屋から行くとわりと遠くて時間がかかっていたのが、今では数十分で着いてしまう不思議な感じ。初めて行った時はその雰囲気の違いに驚き、もはや異国の地へ来たかのようだった。この伊豆半島はまだ地球の大陸が動いていた頃、フィリピン辺りから何億年もかけて移動してきて日本にくっついたため、ここだけ生態系が違うらしい。今でも感じるこの独特の雰囲気は、何億年もの歳月を経て引き継がれてきたものだと思うと、さらに味わい深く感じる。

打ち合わせの前に、伊豆高原一帯で開催されている「五月祭」を覗いてみることにした。音楽で言うといわばサーキットフェスみたいなもので、様々なクリエイターたちの作品を無料で見て周ることができる。レンタルチャリが予約いっぱいで借りられず、仕方がないから近場の会場まで歩いて行くことに。別荘地の坂道をひたすら登って行く。大室山を中心に広がっている別荘地に、平らな道はほぼない。レンタルチャリに乗って、颯爽と坂道を登って行く人たちが通り過ぎて行く。次は前もって予約しておこうと思いながら、歩いていないと見えない景色もあるから徒歩もなかなか気に入っている。大室山が見える生活って一体どんなだろうと想像を膨らませながら、お目当ての会場へと辿り着いた。

住んでいる家の一室を展示場にしてある、写真家杉山彰さんの会場だった。靴を脱いで上がる感じはもはや人んち。正方形に撮れるカメラで撮影したモノクロ写真が展示されていて、なんでもない日常を切り取っている作風が、自分が描いている風景画に重なった。大きな違いはモノクロなこと。情報量が減る分、自分の中のイメージは膨らみ、見ている者に想像を委ねる。だけど逆に世界観が限定されていて、ある一定の想像の域を出ない感じもあり、膨らみと限定の狭間の中で行き交う思考が心地いい。作者の方に根掘り葉掘り質問もした。2年前に仕事を引退して、伊豆高原へ移住してきたらしい。私は老後を迎える前に老後の夢を叶えてしまったから、似ているような似ていないような…(笑)

他の会場へ向かう途中、辺りに見覚えのある景色があることに気がついた。以前行こうとしたら閉まっていたカフェ「珈琲屋美豆」がある。OPENの文字が目に入り、これは運命だ!と思い立ち寄ることに。室内からは木の温もりを感じられて、大きな窓には風に揺れる木の葉が映る。コーヒーに無料で付いてくるモーニングセットを頼んでくつろいだ。パンの上の小倉がちょっぴり名古屋を感じさせる。オシャレすぎるけど。

歩いていなければ近場の会場で素敵な写真も見れなかったし、このカフェに再び来ることもできなかった。予定なんてあってないようなもので、想像していなかった偶然の交差にこそ人生の面白みがあるように思う。だけどちゃんと守らなければならない予定もあるから、ぼちぼち打ち合わせへ向かうことに。

自分が変わったと感じるようになってから、同じく周りの世界も変わったと感じる。派手でキラキラしたものよりも、静かに息づく美みたいなものの方がよく目に止まる。周りも未来ではなく、日常を生きている人たちが多くなってきた。これは生きている時間軸が同じ者同士でなければ交われないからなのだろう。お互いに同じスピードで走らなければ置き去りになってしまうように、未来へ走って行く人たちと、今を歩いて行く人たちでは見えている景色が全く違う。私は新幹線を降りて歩いて行くことにしたから出会う人たちが変わり、目に止まるものも変わった。これは面白い。大袈裟に言うとパラレルワールドみたいなものだ。日常の面白さに気づいてしまうと、あちこちへ寄り道するようになって全く前へ進めなくなる。未来へ走って行く人たちとはなかなか交われなくなるだろう。だけど走り続けるのも疲れるだろうから、たまに途中下車して交わった時に、日常の安心感みたいなものを芸術家として提供できたらいいなあと最近思うようになってきている。追いかけることはできないけど、変わらずこの場所にいることはできるから。私はしばらくこの新しく見つけた静かな時間軸の中で、日常の美しさを追求していきたい。

この記事が参加している募集

この街がすき

頂いたサポートは活動のために大切に使わせていただきます。そしてまた新しい何かをお届けします!