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繰り返すことでしか見えないものたち


7月3日

ポトスへ水をあげる。毎日どれかが水を切らす。日々同じようなことが繰り返されているようで、少しずつ違う。ルーティーンがあるとその変化には気づきやすい。どうしてルーティーンなんて毎日同じことを繰り返すんだろうと思っていたのだけど、やってみてようやく分かった。繰り返している人にとっては、同じではないということを。惰性で繰り返しているのではなく、やる度に新しい発見があるからまたやってみたくなるのだ。何度も同じ場所で同じ絵を描く画家がいるけれど、それはきっと、描く度に違う何かを発見しているからなのだろう。空の色が毎日変わることを知れるのは、空を毎日見ている者だけだ。繰り返してみなければ見つけられない小さな変化がある。それはいつもこっそり私となって、未来の私を作っていっている。


買い物へ出かける。少し自転車を漕いだだけでも暑い。でも、山に囲まれ、海風が吹くこの街は都会よりもマシな方だろう。陽は暑いけれど、海からやってくる風は涼しい。海岸沿いを走らせていた自転車を止めて、その風を浴びながら涼んだ。地平線には船が見える。海の上は、このアスファルトの地上より涼しいのだろうか。


そろそろ次の展示の準備をしなければならない。二度も個展をやったおかげで、額装も随分と慣れた。自分を紹介するキャプションも作らなければならないのだけど、他の絵描きさんは卒業した大学や、受賞歴が書かれていることが多い。自分は高卒だし、受賞歴もない。だから書くことがない(笑)でも学校へ行かない、競争に乗らない代わりにやってきたことがあって、そのおかげで今はアートだけで食べることができているから自分の経歴は全く気にならない。音楽は音大へ行ったのかを聞かれないのに、絵は美大へ行ったのかを聞かれることが多く、なぜ今についてではなく、過去について聞かれるのかが気になっていた。絵という価値を付けづらいものだからこそなのだろう。何の経歴もないけれど、それらに縛られない自分を気に入っている。伊東の山あいに暮らしながら風景画を描きまくっているよく分からない人くらいでいい。


7月4日

昨日とは違うポトスへ水をあげる。この子は我が家へ来てから1年が経っていて、枝もかなり伸びた。1年も経つと愛着が湧く。モンステラを買った時はリュックの中へ入れて持って帰ってきたのに、とっくに収まらないサイズになっている。窓を開けて、扇風機を回し、そよそよと揺れる葉を見て癒された。すると、ベランダへ子猫がやってきた。しかも2匹。この間、母猫と一緒にいた子とは毛並みの色が違う。昨年もこの季節に子猫をよく見かけた。子猫はカラスに狙われたり、病気になったり、他の雄猫に襲われたりしてほとんどが死んでしまうらしい。だから今、大きくなっている猫たちは本当に強いなと思う。

自然のものたちは決して争わない。自然に従い増えたり減ったりして、絶妙なバランスで支え合っている。そこで争っているのは人間だけなのだと、自然により近いここでの暮らしを通して教えてもらっている。今から服を脱ぎ捨てて、家も捨てて、野生のように暮らすことはできないけれど、自分の気持ちに争わないようにすることくらいはできる。自ら命を絶ってしまう生き物は人間だけのように、争いながら生きているのも人間だけだ。


陽が昇りきらない午前中のうちに買い物を済ませようと出かけたけれど、それでも暑かった。新井の登り坂で自転車を押しながら見上げた空は雲一つなく、街を青々と照らす。途中でご近所さんに、自転車は大変でしょーと言われた。大変だけど、この青空を眺められるのも自転車のおかげ。でも帰ったらクーラーつけよ。


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