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X JAPANと富士宮やきそばの共通点。

富士宮やきそば。今や全国区にまで名前が届き、ご当地グルメブームの火付け役になった、静岡県富士宮市のご当地グルメである。むし麺を使う、ラードを使う、魚の削り粉を使うなど、他地域のやきそばと違うことに着目して、2000年に市民団体「富士宮やきそば学会」が立ち上がりプロモーションに成功したのである。この富士宮やきそば学会が仕掛けてきたことを見てきた中で、人気ロックバンドのX JAPAN(エックス・ジャパン)との共通点がある事に気づいた。

X JAPANは、過激なロックミュージック、パフォーマンスで有名になり、いわゆる「ビジュアル系」と言われるジャンルの始まりになったとも言われている。彼らは「いくらがんばって、聞いてもらえないと意味がない。」とばかりに、プロモーションに積極的であった。今は懐かしい「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など、お笑い番組の企画にも出演し、日常の中に、過激なビジュアル的な、今でいうインスタ映えしそうな企画を盛り込み、お笑いと音楽の融合ともいえる番組展開。TV局側とも思惑は一致していたのであろうが、これにより一躍全国的に有名となった。

芸能人運動会にツンツンの頭でヘヴィメタスタイルで登場してみたり、はたまた狭い食堂で、店員さんもお客さんもドン引きしているのを横目にメタルなロックライブなど、その「ギャップ」でシュールさ、面白さを演出。矢継ぎ早にどんどん展開していった。

コアな原理主義者的な考えを持つ傾向が強い「ロック界」「ヘヴィーメタル界」は、X JAPAN(当時はX)を批判したりもしたが、業界からのバッシングに反比例して、知名度、人気度は全国区になっていった。TV出演以外にも、X JAPANが売れる前でまだそんなに資金も余裕がない頃、メンバーはライブの売り上げ、バイトのお金を投資し、まだ、デモテープの配布すらめったにない時代に、VHSのビデオ配布など、とにかく前例の無いことをやっていった。文字通り、「過激なビジュアルを見てもらう・知ってもらう」という点について、貪欲に取り組んだのである。

かくして、知名度を得たX JAPANのその後の活躍は多くの人が知ることとなった。メンバーの死亡や解散、再結成など、 波乱万丈ではあるが、それらすべてのエピソードがまた、彼らの「伝説」として多くのファンに語り継がれることになり、今では新メンバーを加えて、活動を継続している。

そして富士宮やきそばも、同様である。 X JAPANの話と、富士宮やきそばの話を関連付けて論じるなど、これが初であろう。だが、メディアを巧みに利用し、知名度、人気度を上げた手法という点では、原理原則はまったく同じである。

スピーディに、矢継ぎ早に、人の記憶に残るインパクトのある話題を徹底的に展開していくのである。天下分け麺、ミッション麺ポッシブル、焼きそばG麺などなど、ダジャレ・言葉遊びをふんだんに取り入れながら富士宮やきそばは知名度を上げていったのだ。

「メディア媒体が欲しがる情報」ってなんだろうか?という事を追求した、X JAPANのリーダーYOSHIKIと、富士宮やきそば学会の故・渡邉英彦会長は、いずれも、そうした客観的視点を持っていた。「どうあるか」ではなく「どうみえるか」ということを重視したとも言える。そして、二人とも、 ネーミングしかり、展開の仕方しかり、業界の一般常識しかり、そうしたタブーを 恐れずに突き進んだ。

やるなら、徹底的に、有名になるべし。
アウトプットを恐れず、あらゆる可能性を追求するべし。
そして、有名になれるまで、あきらめずに続けるべし。

これらが、私がX JAPANと富士宮やきそばから学び取ることができる、共通のメッセージであると考えている。


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