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五分後の世界2「ヒュウガウイルス」のセリフから見る、新型コロナウイルス禍の先にある「悲惨な未来」と、その先にある未来。

新型コロナウイルス。
昨夜からさまざまなルートから流れてくる情報でイタリアの医療の惨状を知って、なぜそうなってしまったかの情報収集をしていて、永江一石さんの分析を拝読するに至った。

イタリアの惨状はまさに医療崩壊と呼べるもので、短期的な視点でみた時に最も避けるべき状況だ。
今回の新型コロナウイルス禍は「超短期的」、「短期的」、「中期的」、「中長期的」、「長期的」、「超長期的」それぞれの側面で起きうる問題とリスクと、とるべき対応策が変わるので、その議論がごっちゃになることが意思統一を難しくしていると感じる。その一点のみでいえば、中国のような超中央集権的な国家の方が収集は容易いだろう。外出を禁止し、収束に向かわせるために強権を振るうというのが許される風土があるかないか。

そんななかで永江一石さんの分析はこれまでの報道ではみられない秀逸な考察だった。

独自の統計解析から見る永江一石さんの秀逸な考察

永江一石さんの分析「データで見る、コロナに強い国と弱い国。コロナ禍のあとはそこを狙え!」の考察の主文は人口における年齢比率と感染率・重症化率を分析したもので、これまでの報道ではみられない秀逸なもの。非常に納得感のある内容でした。

その結果がもたらすこととして興味深かったのが、以下の一文。

つまりコロナは先進国と発展途上国の差を一気に縮め、発展途上国の下剋上をもたらすのです。

この分析はまるで、村上龍の「五分後の世界II-ヒュウガウイルス-」を彷彿とさせる。ヒュウガウイルスの劇中のセリフにはこうある。

ウイルスは結果的に進化を媒介する

と。

ウイルスは結果的に、進化を媒介する
(「五分後の世界・ヒュウガウイルス 」村上龍)。

先進国と後進国の距離を(結果的に)縮め、高齢者を(結果的に)減らし、あれだけ進まなかったリモートワークを(結果的に)敷き詰め、ハーバード大学やMITが全ての授業をオンラインに移行することを決定するなど(結果的に)教育機会の均等化が進み…。

結果的に、多くの痛みや犠牲を超えて、人類が進化する未来があれば、この災禍のなかに、一縷の救いがあると思う。

私達は、
1.酷い未来か、
2.壊滅的な酷い未来か
のどちらかしか選べない。

『私達はこのあと、酷い未来か、壊滅的に酷い未来しか選べない』とある人(広瀬 眞之介さん)が書いていた。たぶんそれは本当なのだ。けれど、その悲惨な未来の先にもまた、次の未来がある。

3.11を越えて、様々なことがアップデートされたように、この悲惨な未来の先に、明るい未来があるのだと信じたい。

人の歩みを進ませるのは、
漠とした希望ではなく、明確な意志なのだ

目的地が見つかれば、人は歩き出せる。人の歩みを進ませるのは、漠とした希望ではなく、明確な意志だ。

もう早々とそこを目指して、歩き始めたほうが良いかもしれない。そのための第一歩が、今日なのだと思って。

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