人に見られてもいい範囲で48「人の悪口やマイナス評価を話してマウンティングする人、それは私」

 仕事を何年か続けると、他者のよくない面が目に付く。仕事上で。さすがにこれはどうなのか、という。たぶん誰かに相談して改善した方がいいよな、っていう。ついそれを上司に相談したりする。そういう自分て、心からその気になることを第三者に伝えて、その人にとってよくない面を何かしらの形でよくなったらいいな、っていう気持ちなのか、はたまた、そういうことに気付ける私、さすがに私はそれはやってませんていうアピールをしているのか、ちょっと後者の部分もあるんじゃないかと思えてきた。
 気になってることがあって、自分だけなのか、それとも他の人もそうなのか、そのことについては、ちょっと人としてどうなのかなって思ったから。もやっとしていた。完全に自分を優位に思ってもらいたいから、他者を下げて言う私がゼロではないかな、と思った。自分の醜い部分と出会う。気付いたので、言い方、捉え方、伝え方を変えた方がいいな。
 結局その人にとってその私が気になることっていうのは今の私みたいに不信感を抱かせることでもあるし、同じようなことをまた別の人がやっていてもいいことになりかねない。だから伝えた方がいいんだとは思う。ただ、私がそのことを第三者に言う時って、なんか邪な、例えば、そうやって他人のマイナスな面を人に伝えることで自分をすこーし持ち上げようとしてはいないか。そんなことを思った。

そういうことを聞いてあげられる私になればよい

 あの人のあれがどうも私は気になっていて、、っていうの、本当にそう思ったから言ったんだけど、そういうことで言って後悔もしたりして。じゃあお前はどんだけできるんだよ、っていうのも自分に返ってきたりして。後者の方が大きかったりして。でも、伝えた二人の人は私の言ったことなんてそんな気にもしてないようでよかった。むしろ、今後私があのときの私のように思ったことを誰かに伝えられた時、客観的に、だけど、ちゃんと聞いてあげようって思うことにする。ああ、なんであんな告げ口みたいなこと言ってしまったんだろうって思うよりも、そう、そうだ。そうなればよい。
 私だって、やっぱり正義感とか自分の信念がほんのわずかにあってやったことなんだから、自分を責める必要なんてない。思ったことを言って聞いてもらえて感謝。感謝しよう。そして人の話を聞いてあげられる私になろう。そんなことを思った。

自らのマウンティング心理に気付けたならそれでよかったじゃない

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