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「コロナ禍の日本で700キロの猪肉を撒く」

今年一月に出た劇団「態変」の会報「イマージュ 異文化の交差点」に寄稿しています。編集部の許可を得てウェブ上でも読めるように、この場で公開します。(会報の申し込みはこち→http://taihen.o.oo7.jp/imaju/imaju.htm)

書いたのは2021年9月末です。

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 2020年4月初頭、未曽有のパンデミックによる不安が社会を覆い始めた中、駆除される野生動物を専門に扱う肉屋の私は「猪肉100キロ大放出!」という企画をスタートさせた。これは、猪肉の中で最も価格が安いランクの「切り落とし」、つまり大きな塊にならない煮込み用の部位をまとめてスライスし、500gパック4つ入りの2キロセットにして希望者50人に配ってしまおう 、お支払いはご自由に、という企画だった。現在までに5回実施し計700キロの猪肉を配っているこの企画について、なぜ始めたのか、やってみて何を考えたのか、書いてみることにする。

 これは決して単なる救貧活動ではなかったことを最初に断っておく。私の発想を理解していただくにはまず、シカやイノシシがなぜここまで増えてしまったのか、その背景を私がどう理解しているのかを説明する必要があるだろう。実はシカもイノシシもここ数年は全国的には数が減っている。農業被害額もピーク時の年間239億円から158億円程度に下がってきている。この理由にはここ20年ほど行われてきた数々の野生動物管理政策の効果が出るようになったことと、豚熱の大流行で地域によってはイノシシが激減していることが挙げられる。そうはいっても90年代から激増した獣害の背景は私たち都市住民にも大いに関係する、社会全体のあり方が問われる構造的な問題だ。状況が変化している最中ではあるものの、大きな枠組みを共有するのは有意義なことだと思う。

 新型コロナウィルスが野生動物の生体取引市場から発生したこともあり、この二年ほどは自然環境への人間活動の進出の影響が、不平等や環境破壊と結びつけられて否定的に語られることが非常に多かった。が、シカ、イノシシ、サル、クマといった主に草食の大型獣が増え、人里に出没するようになったのは簡単に言うと逆のベクトルで、自然からの人間活動の撤退の影響だ。

 クリミア戦争(1853-1856年)から第二次世界大戦までの間は世界的に野生動物が乱獲され、激減した時代だ。化学繊維が普及する以前、軍隊による皮革の需要は極めて高かった。そして資本主義の発達とともに西洋諸国の天然資源の利用は苛烈になっていく。日本でも明治に入ると多くの野生鳥獣が乱獲されるようになる。そして寒冷地での戦争が多い時代に突入し、その結果、明治末から1945年の終戦まで大型の草食獣は限られた地域にわずかに残る状態まで減ってしまう。

 後の草食獣の増加につながる最初の「撤退の影響」は、60年代のエネルギー革命である。これは主に石炭から石油への移行だったが、50年代までは各家庭の熱源はまだ炭や薪が中心だった。現在「里山」と言われる場所はかつては薪や炭の原料をとる山で、多くの里山がはげ山に近かった。が、この時期に家庭の熱源が石油、電気、ガスに置き換わることで燃料としての木材の需要が急減した。その結果、里山の資源は利用されなくなり、90年代までに広葉樹の雑木林と化していく。高度成長に伴い都市部が農村部の安い労働力を求めたこともあり、耕作をしながら冬場に炭焼きをして生計を立てていた山村から人が撤退し、廃村になっていった。今の限界集落と違い、当時はまだ人口構成が若かったので、都会で新たな人生を送ることが特に社会問題にもならなかったのだ。

 80年代半ばになると農村の過疎化や耕作放棄地の増加が社会問題化し始める。いったん開墾されて農地になった土地が使われなくなる事態が増えていく。かつては「口減らし」という言葉があったように農村から出されるのは次男以下の兄弟と娘たちだったが、2020年代の現在、もはや農地を継いだ長男長女が耕作はおろか、農村に住んですらいない状態が常態化している。これは、地球規模で経済のグローバル化が進む中で、日本が国として工業製品を輸出するかわりに燃料や食料、建材としての木材など、一次産品を輸入に依存していったこと、さらに90年代以降の産業の空洞化で、農村部に誘致された工場が次々と閉鎖されていったことの結果だ。石炭産業にしろ林業にしろ、オーバーユースで資源が枯渇したから廃れたのではなく、国際的な価格競争と産業構造の変化の中で生産コストが見合わなくなっていったのだった。

 そういう中で、狩猟する人口も70年代末をピークに激減する。農山村の人口そのものが減っていったこと、ゴルフやスキーの普及で山のレジャーが多様化したこと、畜産物や化学繊維の普及、自然保護思想の浸透、いくつかの刑事事件を背景にした猟銃所持の規制強化、などなど、わざわざ狩猟する理由が段々となくなっていった。シカやイノシシは子供が成育できる条件が整えば数が増えやすい動物だ。里山が雑木林化して実のなる木が増えたり、耕地が荒れ地になって草が生い茂ると食べ物が増え、生き延びる確率が高くなる。そのうえで狩猟が廃れれば増えていくのは道理だろう。獣が出るのは山が開発されて食べ物がなくなったから、というのは一般論としては間違いで、むしろ食べ物に困らなくなったから数が増え、あふれ出しているのである。特にシカは指数関数的に増えるので、数十年かけてゆっくりと進行した環境の変化から90年代に激増モードに入り、その理解と対策に追われたのがこの30年ほどの状況だった。

 つまるところ、草食獣の増加と人里への出没は、単に農村の問題というよりは日本の社会全体の、ひいては国際社会の変化の結果なのだ。私は1970年の大阪市生まれで、物心がついたころには地下鉄や高速道路があった。仕事の都合で長野県長野市に住んでいた2009年に誘われて野生動物対策をする市民団体のスタッフになったことが今の仕事の始まりなのだが、大阪に戻った2013年、頼まれてお正月の釜ヶ崎の炊き出しを手伝ったことがある。あの三角公園に集まる大勢のおじさん達におむすびを配りながら、いったいこの人たちはどこから来たのだろうかと考えた。それまでの四十数年、あたりまえに享受してきたインフラに依存した生活。地下鉄のトンネルを掘ったのは誰なのか。道路を整備してきたのは誰なのか。数百メートルおきにコンビニがあり、お金さえあれば24時間どこでも食べ物を買うことができる、それを支える労働力はどこからくるのか。大量生産・大量消費時代の工場労働を支えたのは誰だったか。普通、野生動物の肉屋という商売は農村部でするもので、大阪でやっているとなぜここにいるのかと聞かれることがある。自分が生きてきた時間の裏側で進行してきたことが今の獣害なのだと気がついた時、何かここでやるべきことがあるのかもしれないと思って始めたのが今の私の店「山肉デリ」だ。獣害は単なる農村の問題ではなく、我々都市住民も十分に当事者なのである。

「撒こう。」

 一昨年の4月はじめ、愛媛の業者から在庫が溜まってきたという相談を受けた時、私は一晩考えてそう提案した。猪肉100キロは私が買い取る。それを愛媛発送で希望者に配る。それが一番肉を素早く動かせる。どうだろうか、と。方法は、まず無料で使えるイベント申込用のプラットフォームを利用してチケット販売の形で希望者に申し込んでもらう。送り先のリストはCSVファイルで簡単に出力できるので、そのまま愛媛に送信し、肉を発送してもらう。そのときに企画の趣旨と振込先、普通に買えばいくらの肉なのかを書いて同封し、払える人に払えるときに払えるだけ入金していただく。生活が苦しければ無料で受け取ってかまわない。ゆとりがあれば他の人の肉代も払ってもらう。通販のコストとは内容の異なる注文を一件ずつ梱包、発送し、その請求や入金確認に追われることにかなりの部分がある。それを極限まで簡略化して、送料とお肉代の原価くらいは回収できないだろうか、と考えた。

 どうやって販売するか、ではなく、どうやって肉を動かし、そのコストをまかなうか。

 私が問いをそう設定したのは、どんなに肉が売れなくても農地を守るための駆除は続く、という事情を知っていればこそだった。この愛媛の業者はもともと瀬戸内海の離島のみかん農家の跡取り息子。イノシシが島に泳ぎ着いて二年で島中に広がり、父親と二人で対策に追われる中で「捕れたイノシシを販売できるしくみを作らないとどうやってもかかるコストを賄えない」ということを思い知り、ジビエビジネスを立ち上げたらしい。だから彼は、捕れるイノシシをできるだけ自分が経営する処理施設に受け入れ、罠をかける農家や猟師にお金が回るようにしたい。暖かくなって露地の農作業の季節になれば駆除も本格化する。三月から首都圏の飲食店からの注文が減り始め、7都府県に緊急事態宣言が出ようとしていた。どうにかして冷凍庫を空けなければならない。

 一方で、猪肉というのは非常に需要に偏りがある。単なる活用ではなく、いかにして脂のない肉や単価の安い部位の活用率を上げ、経営効率を上げたり鳥獣害対策全体とかみ合わせたりできるかが各地のジビエ振興に共通する課題だ。一番安い赤身の切り落としスライスを希望する人に配れば、それは猪肉の新しい価値を伝えることになるのではないか、サンプル持って飲食店を営業してまわるよりもよほど効率よく市場開拓できると思うよ、電話でそう言って業者を説得したのを覚えている。我々はプロの肉屋。自分達の商売を傾かせることを善意だけでやるわけにはいかない。長い目で見てやる価値があるかどうかを考えるのはプロとしての責任のうちだ。価格には表れない肉の価値には絶対の自信があった。切り落としスライスは山肉デリの大人気商品で、私は数年前にそれを小売り商品にするところから業界の常識を覆していたし、なんといっても普段食べる肉が野生の肉という生活を10年以上している私が日々一番よく食べる肉がこれなのだから。

 さて、結果は?

 皆さんの一番の関心は収支の話だろうか。100キロを三回、200キロを二回撒いて、原価をまかなえたのは二回目だけである。でも私はこれを失敗とは思っていない。毎回必ず「お金を払う役」で参加してくださる方が何人もおられるのだが、そういう人とタダでもらえる肉を切実に求めている人では参加するモチベーションが全く違う。毎回日曜日の夜8時に申し込み受付を開始するのだが、その時間ピッタリにネットに張り付く動機が強力なのは当然後者である。そんな無理をして限られた枠を取るよりは定価で普通に買います、というのが山肉デリのリピーターの皆さんの最近の姿勢なのだ。また困窮している知り合いにこの企画を教える人も多いようで、「あふれかえっているところから足りていないところへ肉をまっすぐに移動させる」という企画の趣旨からすれば、それは肯定的に受け入れるべきことだ。

 この企画には実は前段がある。その前月の「お肉券」騒動だ。インバウンド需要が一気に冷え込み和牛肉の過剰在庫を抱えた食肉業界が国会議員に陳情し、公費で商品券を発行し、消費させる自民党案が報道された。私はこれに、肉屋として心底からの怒りを覚えた。みんながお金や健康に不安を感じているときに自分達の仕事が何の役に立つのか考えないのか。自分達の仲間だけ守られればそれでいいのか。「撒く」という判断に一晩しかかからなかったのは、それが「お肉券」への私の応答だったからだ。 常日頃からその商売をしている業者だからこそ、企画の収支を必ずしも単体で考える必要がない。その機会に店の姿勢が伝わって常連さん達との信頼関係が強まったり、これで山肉デリの肉を初めて味わった方からご注文が来ることも実際あった。幸いビジネスは成長を続けているし、仮に1円も返ってこなくても後悔しないかどうかが実施するかどうかの基準だから、まぁこれでよいのだ。今のところは。

 そのほかの結果はというと、ここではとても書ききれない。入金したら連絡をもらうことになっていたので、そのメールに一緒に書かれていたいくつもの小さな物語に、我々の業界がしばしば「屑肉」と評価する肉がこれほどに人の感情や思考を刺激するのかと感じ入った。特に印象的だったことを挙げれば、「なかなか生活が厳しかったため遅くなってしまいました」という言葉と共に、払わなくてよい五千円を九か月後に振り込んできた人がいたこと、一回目にタダでうけとった人が四回目にまた申し込んできて、備考欄に「今度は払う側で参加します」と書いてきたこと、だろうか。ただ与えるだけでなく、支払うという選択肢をつけておいたことは正解だった。

 駆除される野生動物の肉は、「活用すべきだ」と言うだけで何か意義ある意見になるような段階はとっくに過ぎている。なんといってもジビエ振興は官房長官時代の菅義偉の肝いり国策なのだから。今考えるべき問いは「どう活用するのか」だ。この「どう」は活用の、方法ではなく形態の議論であるべきだと私は思う。販売とは活用の一形態にすぎない。にもかかわらず、活用=販売としか考えずに販売の方法の話ばかりしているのが現状である。私自身は100キロ放出企画を、贈与経済の実験として位置づけている。

 富の再分配や権利闘争を通じて経済格差を是正すること、これが重要なのは言うまでもない。しかしそもそもなぜ桁はずれの蓄財が可能なのか。生き物や生ものは過剰にあることが負の資産になる。食糧とは全て生き物で、生ものだ。富とは何か。不平等へのこれからの対応を考える上で、害獣の食肉利用という題材はかなりよいように思う。無意識のうちに固定された前提条件と思い込んでいることから自由になること。これは教養という、自由になるための術の本来的な使い方だろう。私たちは今、そこから始めるべき時を迎えているのだ。