見出し画像

決めること

子供の頃に、当たり前にできていたことが、
大人になってできなくなっていること、ありませんか?

私は、いつからでしょう。
『決断力』がにぶりました。

小さい頃の私には、
いつもゴールや目標や夢があったのです。

漠然とではありますが、
でも、いつもそこに向かって歩いていました。

『そこに向かって歩いている』

それは、がむしゃらに努力するということではなく、
ただ、そのゴールや目標や夢が明確に決まっていて、ブレなかっただけです。

例えば…。

小学生の時に決めたことは、看護師になるということ。

中学生の時に決めたことは、
高校生になったらバイトをして原チャリを買うということ。

高校生で決めたことは、自分の行きたい看護学校

看護学生で決めたことは、
看護師になって、どんな分野で活躍をしたいのかということ。
私は、救急看護・ICU(集中治療室)で超急性期看護をしたいと思いました。
その他には、国内を遊び尽くそう!

就職して決めたことは、
車を買って、お母さんと色々な場所に買い物に行ったり、ランチをしたい
車はラパンに乗りたいな。
海外旅行にも行ってみよう!

大きいことから、小さいことまで。
誰に相談する訳でもなく、ただ自分の中で決めていたこと。

あとは、何の迷いもなく、ただ淡々と暮らしていたのです。

【目次】
1、10代の私
2、20代の私
3、30代の私
4、そしてこれから…


1、10代の私

そう決めていたから。
高校に入学してしばらくすると、バイト先を探し始めます。
「バイトをして、原チャリを買うの!」
と、周りにも言っていたから、バイト募集があると友人が教えてくれます。
なんなら、バイク屋さんも教えてくれました。

私は、秋には原チャリに乗っていたいと思っていたので、
その時期には原チャリを手に入れられるように、
バイトのシフトを入れてもらいました。

高校一年生の秋。
私は自分の欲しいものを、自分の稼いだお金で手に入れるという経験をしました。

高校三年生。
私の周りには、どこの大学を受験をするのか?どの学部を受験するのか?
といった類の友人の悩みが飛び交っていました。

その頃の私は、
実家から通える県内の看護学校に行こうと決めていたので、
その範囲の学校から、候補にした学校見学に行くようになりました。

そして、その後に入学することになる看護学校を自分で決めました。
通いやすさ、学校の雰囲気、授業のカリキュラムetc...

後は、ただ自分の行きたい学校に必要な学力を目指して勉強をしていました。


2、20代の私
大学生になった友人達が、将来の夢を考え、就職か企業か。
自分は一体、何をやりたいのか?と悩んでいた頃。

私は、看護学校に通う毎日の中で、自分の興味のある分野で活躍できるようになるためには、どこの病院が良いのかを考えていました。
救急看護・ICU(集中治療室)、超急性期看護に興味があったので、
そこに力を入れている病院を探し、病院見学に行っていました。
そして、週末になると、友人達と「日本列島ダーツの旅」に出掛けていました。
弾丸旅行を企画し、レンタカーで国内を遊び回っていました。

看護師は慢性的な人手不足のため、就職は難しくありません。
私は、希望通りの病院に就職しました。

その後、友人達が会社に就職して働き始め、
恋愛や結婚、子育てをしながら暮らしていた頃。

私は、病院の中で自分が興味があった分野を経験し、
知識と技術を深めていきました。
いつの間にか、目指していたポジションにつくことができていました。
そして、年3回のペースで海外旅行に行き、多くの国を旅することができました。
購入したラパンに乗って、母親と買い物やランチにも行きました。

どうですか?
思っていた通りになっていませんか?

だって、決めていたから。


3、30代の私
そんな私が、30歳を超えた頃から、少しずつ決められなくなりました。

なんででしょう?
自分の本音が聞こえなくなったのです。

「私は、この人生で結婚する?しない?」
「子供は欲しい?いらない?」
「看護師の仕事は一生続けるの?いつか辞めるの?」
「どれだけの貯金が欲しい?」
「どこに住みたい?」
「どんな暮らしがしたい?」

どれも、はっきりとした答えが出てこないのです。

「できればしたいけど、無理なら仕方ないかな。」
「できれば欲しいけど、無理なのかな。」
「辞めてもいいし、辞めなくてもいいな。」
「これぐらい欲しいけど、強い動機はないな。」
「どこでもいいな、住めば都でしょ。」
「のんびり暮らしたい、でも具体的にはなんだろう?」

もにょもにょ、ごちゃごちゃ言いながら、何にも決められない。

その結果。
何も叶わない日々が、流れていきました。

だって、何も決めていないから。


4、そして、これから…
高校生の時、時給650円でバイトをしていました。
それでも、欲しかった原チャリを手に入れられました。

なりたかった仕事につけて、なりたかったポジションにまで駆け上がりました。
大好きな旅行にも、国内・海外問わずに、たくさん行くことができました。
自分の運転で、欲しかった車で、たくさんドライブもできました。
それは、全て決めていたこと。

今は、あの頃よりもお金をもらっているのに、
私は自分の欲しいものを何も手に入れられていない。
それは、自分の欲しいものが分からないから。

『私は、何も手に入らない。』
のではなく。
『私は、何を手にしたいのか決めていない。』
それだけのこと。


もちろん、どんなに焦っても決められない時はあります。
決めることって、他の選択肢を捨てるということだから。
色々と考えられるようになればなるほど、決められなくなる。

今の私が、昔に戻れたのなら…。
看護師という職業は選んでいないかもしれない。
初めて買った車は、絶対ラパンじゃない!笑
看護学校を選択する時には、県外の学校も視野に入れていたでしょう。

そして、私は決めると同時に他の道を捨てたのです。
看護師という仕事に就くと決めたから、他の仕事は経験できなかった。
ラパンを買うと決めたから、他の車は買えなかった。
県内の看護学校に通うと決めたから、他府県の学校を知らない。

何かを決めることは、何かを捨てること。
もしかしたら、そこにあるかもしれない何かを、
知ることのないまま終わるということ。

結婚するのなら、独身生活を捨てるということ。
子供を産むのなら、子供のいない生活を捨てるということ。
看護師を辞めるなら、自分の夢だった仕事やキャリアを手放すということ。
年収UPを望むなら、今の生活ではなくなるでしょう。
住む場所も、暮らしも、その他の可能性を捨てること。

これといって、何もない毎日だけど、
仕事があって、友人がいて、家族がいて、普通に暮らせるお金があって、
「あぁ、今日も良い日だな」と思う日々を過ごせることは、
とても幸せなことを知っています。

このまま、何も決めずに日々を過ごすことも。
「どうしよっかなぁ?」と、一生モニョモニョ過ごすことも。
何かを決めて、何かを手にするのも、何かを捨てるのも。

どちらでもいいことを知っています。
それを決めるのもまた、自分です。

30代になった私は、
「決めない」と、自分で決めていただけでした。

自分の心が分からなくなることがあって、
何も決めない時があってもいい。

でもね。
私は、ようやく『決めることを決めた。』

大丈夫。
小さい頃の私が、当たり前のようにしていたことが、今の私にできない訳がない。
それに、もう一度決めてみたいと思うの。

あなたは、今、何を決めている?


ふじこ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?