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「原郷ニライカナイへ~比嘉康雄の魂」(2001年)<大重潤一郎監督>

 大重潤一郎監督の命日にあった「大重まつり」で鑑賞させてもらった。

 余命を告げられた写真家の比嘉康雄が、大重監督にたのんで「遺言」として撮ってもらった作品という。この映画をきっかけに大重監督は久高島にすみつき、「久髙オデッセイ」三部作につながった。
 映画は比嘉が亡くなる半月前に久高島をおとずれるシーンからはじまる。祭祀にのぞむかのようなパリッとしたスーツ姿だ。
 琉球警察の警察官から写真家に転じ、生涯、久高島にもかよいつづけてきた。
 久高の祭祀は、表面は首里王府の影響をうけているが、薄皮をはがすと、独自の島の神があらわれる。
 遠浅の海(イノー)で魚介を採取した古代からのくらしの痕跡は、御嶽(うたき)やカー(井泉)にきざまれている。御嶽は古代人の生活の場所で、今でも祖先の魂が存在すると認識されている。
 久高島にあるのは、キリスト教や仏教のような父性原理ではなく、生命をいつくしむ母性原理にもとづく「文化の祖型」という。
 それは、人間とは本来なんなのか、と、たちかえって考える手がかりになると比嘉は説く。
 彼は、久髙の世界を実感することで「死」は苦ではなくなったという。
「魂は海のかなたのニライカナイにいって、また再生という形でもどってくる。病の苦しさはあるかもしれないけど、死ぬことについては平静です」
 では、どうすれば母性原理の久高島の世界観を知ることができるのか。
 比嘉はかつて梅原猛を島に案内した。「イザイホーのときは、ここからむこうはあの世になります」と説明すると、梅原は深く感動していた。
「梅原先生ほど、自分の魂でうけとめた人は他にはいない。魂の世界を感知する感性がないと久高島の世界はわかりません」

 私は2022年に久高島をおとずれた。港に着いて集落からはなれ井泉などをおとずれたとき、なぜかその不思議な空気感に圧倒された。2019年に四国遍路をする前だったら、そんな空気はかんじられなかったと思う。

 こちらは、島の不思議な感覚だけはしるしておこうと思って書いた旅日記です。
 熊野と沖縄の信仰が想像以上に似ていることを書いた日記はこちらです。


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