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京都ボヘミアン物語㉑夕張炭鉱の炭住で「寅さん」にであった

下着で旅するパンツコージは流行の最先端

早朝、ノートに全員がひとことずつ感謝の言葉をのこして札幌の「焼肉味道苑」を出発した。
「寒かったですねえ」
「なんたって36年ぶりの異常低温だからなあ」
 前日までのそんな会話がうそのように晴れわたり、気温がぐんぐんあがり、ザックをせおう背中は汗でべっとりになる。
 コージの短パンはうすっぺらですずしそうだ。
「その短パン、あつい夏にはよさそうやなぁ」
「これパンツや。下にはなんもはいてへんから、風がとおって気持ちええで」
 えーっ! パンツ一丁でヒッチハイクかいな。
 ぼくは、ブリーフとおやじの猿股しか下着は見たことがなかった。
 春の中国旅行で、手ぬぐいの端を袋状にしてひもをとおしたふんどしを着用する30歳ぐらいの日本人旅行者がいた。「下着とタオル兼用だから便利だよ」といわれてしばらくためしたが、梅雨になると、汗でしめった手ぬぐいが股にくいこんでしまい、ブリーフにもどっていた。

トランクスは1910年、ブリーフは1935年にアメリカで誕生した。日本ではアメリカ映画をつうじて1950年代にブリーフがひろまったが、1981年の「深川通り魔殺人事件」で容疑者が白ブリーフ姿で逮捕されて一気にイメージがおちた。
 トランクスは1970年代のサーフィンブームで人前で着がえやすいことから若者にひろまり、通り魔事件をきっかけにブレークした。1990年代にはヒップホップ人気から腰ばき見せパンが流行した。
 コージのパンツ姿をみて、ぼくもズボンいらずのトランクスにきりかえた。だが1年もしてトランクスが世の中であたりまえになると、パンツ一丁での外出は奇異の目でみられるようになった。そういう意味ではヌボーッとしたコージは下着の分野では流行の最先端だった。
 最近はボクサーパンツが主流になり、トランクスは「おじさんのパンツ」になったらしい。グンゼの調査によると2006年はトランクス45%、ボクサー20%だったが、2020年にはボクサー38%、トランクス22%に逆転したという。

残雪の大雪 雪のオンザロックで乾杯

富良野のラベンダー畑は夕陽に赤く染まり、空とせっする若草色の丘は倉本聰の「北の国から」そのものだ。ヤマネは校庭でサッカーをしている小学生をみつけて「ちょっと遊んでくるわ」と乱入した。
 30分後、小学生たちに盛大に見送られて出発する。
「おっちゃん、またきてねぇ!」
「おーっ、またなぁ!」
 ヤマネはえらそうに片手をあげる。
「約束だよ−!」
「待ってるからねー」
 女にはからっきしなのに、なぜか子どもにはもてるのだ。
 
 その日の宿泊は根室本線の新得駅だが、1回生のシノミーはあらわれない。女の子の車にのせてもらい旭川の彼女の家にいってしまった。

 糸のように細い目をした彼は、かっこがいいわけでも性格がよいわけでもなく、酒癖も女癖もわるいのによくもてた。節操がないスケベだから「スケさん」とよばれるようになった。

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