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西国29番・松尾(まつのお)寺 馬頭観音と騎馬民族がつながる修験の山

 JR小浜線松尾寺駅(舞鶴市)から山に分け入る。
 緑が濃くて、カナカナとうらがなしいヒグラシの声がひびき、なつかしさにいてもたってもいられなくなって、車をおりて歩くことにする。ヒグラシは愛媛の川内町の山の集落をおもいだす。谷間の廃校に星の観察にでかけてすっかり気に入ったのだ。
「青葉山」という案内板がある。標高693メートル。「頂上からは高浜湾の展望」と書いてあり、2014年をおもいだした。
 能登半島から東は富山の東端、西は福井の西端で自転車ではしって紀行文を連載した。

 福井県西端の高浜町をはしると、真正面に富士山のように端正な山が正面にそびえていた。「若狭富士」とよばれる青葉山だ。 山にちかづき中腹を東から北へ半周すると、円錐形が、双耳峰(そうじほう)に変化する。「馬耳山」ともよばれているという。若狭側からは秀麗な山容だが、京都府の舞鶴側からは2つか3つの頂きのある凡庸な形をしていた。
 あのとき、50数回の連載の最後のネタをさがしていた。端正な山には信仰がある。海からの目印につかわれたから大陸とのつながりもみえるかもしれない。青葉山をみて、大きな仕事をおえるめどがみえた。連載後には沖縄旅行がまっていた。当時は旅行がなによりのたのしみだった。
 8年前の「青葉山」の記憶とつながって、ちょっとうれしくなった。
 ヒグラシの合間に、ミンミンゼミやツクツクボウシの声もきこえる。

 松尾寺は標高300メートル弱の山の中腹にあった。
 西国の札所ではめずらしく、本尊は馬頭観音だ。
 本堂は工事中で、大師堂を参拝する。
「山は涼しいですねえ」というと、
「今日だけですよお。昨日までは蒸し暑くてたまりませんでした」
 ちかくにある中山寺も馬頭観音が本尊だ。このへんは馬頭観音が多い。
 馬頭観音は騎馬民族が信仰していたという説もあるらしい。京都の太秦は渡来人の拠点だったが、その上陸地点がこのへんだともかんがえられるという。
 青葉山近辺は、丹後と若狭の境界争いがあった。馬頭観音の数をみると若狭になるのに、松尾寺にふった雨が若狭湾ではなく舞鶴にながれるため丹後の所属ときめられたという。

 青葉山の頂上までは2キロという。お寺の人は「けっこう急ですべります。登りも下りも1時間はかかりますよ」という。
 ここまで記憶がつながり、修験の寺の奥の院であるのに訪ねなければ後悔してしまう。しかもあとからおもいだしたが、水上勉がこんなことを書いていた。
「青葉山は要塞地帯といわれ、舞鶴軍港を守るために、一切の地図から消されて空白だった。だから頂へのぼる道はなく、山をめぐって無数にある部落や村へゆく道も地図にない。原始林がただ青々と山をとりまくだけで、恐ろしいほどの深さなのである」
 15時半からのぼりはじめた。
富士山のような山をほぼ直登だ。うっそうとした森の登りはけっこうきつい。ロープやハシゴがいくつかそなえられている。水筒をもたずにきたことをちょっと後悔した。


 16時20分、50分かけて頂上に着いた。稜線にはお堂や鏡をかざったやしろがある。
 頂上は692メートル。北や東の高浜湾側は霧がたちこめている。でもたまに雲がきれると、高浜の湾がのぞく。以前たずねた日引の棚田方面の入江もみえる。原発は木立にかくれているが、高圧線によってその位置は推測できる。

 古代、ここが修験者の修行の場であり火をたいたのだろう。大陸からわたってくる舟の目印にもなったことだろう。馬頭観音と騎馬民族とのつながりもあるような気がした。

 17時半に車にもどり、この日は「ホテルつかさ舞鶴」という朝食付き6300円のビジネスホテルにとまった。温泉にはいれるのがありがたい。


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