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本物のボヘミアンがつどう宿 ニカラグア「マンゴー荘」の青春譚③

協同農場の夢と現実

 アジアを旅するとき、タイやネパールでは繊細でやさしい人が多くてホッとすることができた。一方インドは、押しが強くてずるがしこいやつが多くてうっとうしかったが、なぜかくせになる魅力があった。
 中米では、エルサルバドル人はまじめできっちりした人が多くてタイ人ににているのにたいし、ニカラグア人は「人なつこくておもろいけどくせがある」インド人ににていた。
 ぼくはニカラグアではまず、革命後の農地改革によって誕生した協同農場や国営農場ではたらいてみたかった。
 解放の神学の教会の人からマナグア湖畔の協同農場の責任者チャコン(35歳)とパブロ(40歳)いう男を紹介してもらった。
「対立関係にあるカトリックとエバンヘリコ(プロテスタント)がいっしょにはたらくことで融和をはかろうというはじめての試みだ。神と人と土地が一体となることで新しい解放の神学をうみだしていきたいんだ」とチャコン氏は朗々とかたる。
 昼間から酒くさいのは気になったけど、「農から創造する解放の神学」というのは魅力的だ。とりあえず農場にいってみることにした。
 農場は、首都から20キロほど南の、マナグア湖の対岸に円錐形の富士山そっくりの火山モモトンボをのぞむ風光明媚な高台にあった。
 革命で地主が国外に逃亡し、戦時下の経済危機で利用されていなかった400ヘクタールの土地を政府からゆずりうけ、4カ月前に約20家族で「協同農場」を組織したばかりだ。旧地主の屋敷だった平屋建ての建物にみんなで寝泊まりして、山刀で雑草を刈りはらい、すこしずつ開拓している。夕方はマナグア湖で魚を釣って水をあびる。農場メンバーは素朴で親しみやすい人たちだったから。マンゴー荘にやってくる日本人も何人かつれていった。
 パブロは雑木林におおわれている小高い山を指さして言った。
「あそこには20軒の家と、そのわきに小学校と教会がたつんだ。その裏の草原には、100軒の家をたて、農民学校をひらくんだ」
 チャコンは眺望がすばらしそうな丘を指さした。
「君たちはここではたらいた以上、もう協同農場の一員だよ。意見をのべる権利もあるし、きみの責任でだれかをつれてきてもいいんだよ。日本人の家もあの丘の上にたてたらどうだ?」
 そんな「家」が実現したらすてきだろうなあ。でも現状は、牛が数頭、インゲン豆の畑が3ヘクタールだけ。あとは雑木林から薪を切りだして唯一の現金収入とするかつかつの生活をおくっていた。

唯一の現金収入源の薪

ずるがしこいニカラグア人と対決

 マナグアにもどると、チャコンが息子といっしょにマンゴー荘(丸山ハウス)にやってきた。その時に気づいたのだが、チャコンとパブロは、農場にすんでいるわけではなくマナグアで事務を担当する「責任者」だった。
 夕食をごちそうすると、数日後にはパブロと3人できた。さらにその数日後には息子2人と奧さんもつれて5人でおしかけてきた。
「ちょっとごちそうすると、すぐに人をつれてくるからニカラグア人は油断もすきもありゃしない」
 丸山さんはイライラしはじめた。
 そんなある日、チャコンの家をたずねると、チャコンはつくりたての協同農場の紹介パンフレットをぼくに手わたしてこう言った。
「車がこわれてしまったんだ。修理代の300ドルをかしてくれないか? 2週間後にはNGOからの支援金がとどくから」
 ぼくは1年間の旅の予算が70万円だから、300ドルはさすがに無理だ。
「100ドルだけでも」とチャコンは言う。理想をおいもとめる協同農場の責任者で、サンディニスタの元ゲリラだったという彼を信用して100ドルかした。
 返却の約束の日、チャコンをたずねると、顔を包帯でまいている。包帯をとって傷口をみせ、
「アメリカ人とおどった帰りに強盗におそわれたんだ。きみらにかえすつもりのカネもうばわれてしまった。もうしわけない。医者で特別の検査をしたいから20ドルかしてくれないか。10日後には神父が400ドルをもって帰国するから」
 何度も何度もくりかえす。
 ニカラグアは医療費は無料のはずだ。「特別の検査」はあやしい。
「じゃあ明日、病院につきあって、その料金ははらってあげるよ」とこたえたが、彼は病院にはいかなかった。
 約束の10日後、チャコン宅にいくと「パブロの家にいってる」と奧さんが言う。
 パブロの家の目の前でチャコンとでくわした。酒のにおいをプンプンさせてろれつがまわらない。
「ちょうどいい。ミツルのために女の子をよんであるからバーにいこう!」
「きょうはデートがあるからだめだ」とことわると
「1000コルドバかしてくれないか?」
 もちろんことわった。そしてパブロの家にいってチャコンの話をすると、大きなため息をついた。
「チャコンはいろいろ家庭に問題をかかえてるんだ。カネはおれが明日3時までに用意するよ」

警察官のかわいい取り調べ

 ところが翌日パブロ宅をたずねると留守。4日後にいくと「来週にはかならず」……ここまできたらはらう気がないのはあきらかだ。「サンディニスタ」「元ゲリラ戦士」という肩書きを信用したのが甘かった。

 警察署に相談にいった。開けっぱなしの部屋で強盗事件容疑の若い男を尋問している。
「ほら、はけ!」
 若い警察官2人が机をドンドンとたたく。大声をはりあげておどすが、男は口をひらこうとしない。
 こまりはてた警官はぼくのカメラをみつけて、いたずらを思いついた子どものように目をかがやかせた。
「ちょっとかしてくれないか?」
 なにをするのかと思ったら男にレンズをむけて2枚3枚とシャッターをおすふりをした。
「おまえ、この写真を××にわたしていいのか?」
 ××というのは、犯罪組織のリーダーの名前らしい。
 容疑者はそれだけで一気に青ざめ、ベラベラと自白をはじめた。
 調書ができあがり、容疑者が裏の部屋にひっこむと、警官はヤッタヤッタと大喜び。
「日本の優秀なカメラのおかげだよ。ありがとう!」と感謝された。みんな若くてあどけなくて明るい。
 そして、ぼくの相談にたいして親身にアドバイスしてくれた。
「『○日○時に警察署にきなさい』という文書を相手方に3、4回とどけて、それでも無視した場合はぼくらがいっしょに訪問するよ」

玄関を蹴やぶり、灰皿をたたきこわす

 その日から3回、パブロ宅に文書をとどけたがそのたびに「あと3日だけまってくれ」をパブロはくりかえした。
 はらわたが煮えくりかえってきた。
 「あすは暴力をつかってでも、とりたてます」
 マンゴー荘で夕食後に宣言すると、カトーさんとクロダさんがのってきた。
「ミツルくんは顔がやさしすぎるよ。もっとこわくしなくちゃ。まずはこれっ!」
 そう言ってクロダさんは日の丸の鉢巻きをぼくの頭にまき、ヌンチャクのような鎖を体にまきつけた。
「ニカラグアでたたかうにはやっぱり迷彩服だよ。それからナイフぐらい武装しなきゃ」
 カトーさんが迷彩服とおもちゃのサバイバルナイフをかしてくれた。
 それらを身につけ、満員の路線バスにのった。乗客全員の注目があつまる。なんだか本当に強くなったような気がしてくる。
 パブロ宅をのぞくと、彼の姿がみえた。大きく深呼吸してから、玄関のドアを蹴りやぶった。
「うらー、盗人のパブロ! これから警察にいっしょにこい。いつまで無視するならボロ屋をぶちこわすぞ!」
 近所にきこえるように最大音量でがなった。こういうとき、演劇の経験が役にたつ。
「暴力はやめろ。暴力はだめだ。でもきょうはいそがしいんだ。本当にいそがしいんだ」
 パブロも奧さんもふるえている。
「ふざけるな。きょう警察にいかないなら、この部屋のものはぜんぶたたきこわす!」
 鉄鎖を机にたたきつけた。ガラスの灰皿がくだけ散った。
「わかった。すぐにいっしょにいく。だから暴力はふるわないでくれ。お願いだよ」
 2人で警察にでかけ、2日後の午後4時半に返却することを文書で約束させた。
 4カ月かかってようやく100ドルを回収できた。
 サンディニスタの元ゲリラ戦士を暴力で屈服させて、ちょっと気分がよかった。(つづく)

協同農場の昼食

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