問題意識型と地域描写型 能登半島地震で見た記者の2類型

■問題意識型と地域描写型 記者の2類型

 能登半島地震がおきて、輪島の友人から尻をたたかれて2月から取材をはじめた。
 そのなかで、記者には2種類いると実感した。
 問題意識で切る記者か、「地域描写」をめざす記者か。

 前者のほうが一般に優秀であることが多い。
 珠洲原発計画のあった高屋地区と寺家地区を取材するというのは、ちょっと原発に興味がある記者ならば思いつく(はずなのに朝日と読売は書いてたっけ?)。
 そのなかで、東京新聞の女性記者は、志賀原発で事故をおきたときに想定される避難路のすべてをたどって、そのほとんどが崩落などで使えなかったことを明らかにした。「問題意識」から切ったすばらしい記事だった。
 問題意識が弊害をうみだすこともある。
 地区ぐるみで避難した集落でぼくが取材していると、某メディアの若手男性記者がきた。
「孤立集落について取材しています。なにがつらかったか教えてください」
 ぼくは、現役のプロのじゃまをしないように後ろにひっこんだ。地震のあった元日から4カ月の話をきくのだから1時間はかかると思ったが、15分ほどで記者の取材をうけたおじさんは帰ってきた。
「あわてたかんじでいろいろきいて、すぐ終わったわぁ」
 問題意識先行型のデスクに「○○についての悩みをきいてこい」と言われて、その質問だけをしたんだろうなぁ、とピンときた。
 もうひとつ。
 支援物資がとどかず食べるものも不足して、つらい思いをした……と某新聞に記されていた地区にいくと、こう言われた。
「夜は眠れないし、トイレの水は苦労したし、子どものミルクがないのはつらかった。でも、おせち料理をもちよって、食べ物は豊富だった。酒も毎晩のんだわぁ……」
「水にはこまった」「ミルクにはこまった」という話をもとに、「食事にこまっているはずだ」と思いこんだのだろう。よくあるパターンだ。
 よくも悪しくも「問題意識」型は、東京からの応援記者に多い。能登を知らないのだから「問題意識」で切るしかないのだ。
 問題意識型とは正反対の「地域描写」型は、地元記者に多い。
 地元を知っているが故に、問題意識型のようにクリアに切れない。あーでもない、こーでもない、と書いてしまう。ひとことで言えば「鈍亀型」。ぼくはまさに「鈍亀型」だ。
 「この問題はこうなのだ」というクリアカットな記事は書けない,というか、書きたくない。矛盾をはらみながらもそこにある実像を書きたい。とはいってもなかなか主観の枠は超えられない。さらには、単に観察力がないだけの「鈍亀型」記者も少なくないのだけど。
 4カ月間の能登取材で「集落を取材したい」という「鈍亀型」予備軍の女性記者2人に会った。彼女らは出世しないだろうなと思いつつ、共感をおぼえるし、そういう記者が増えてほしいと思う。
「集落」取材の今後を期待したい。

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