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当たり前を疑ってみること

先日、おもちゃ屋さんの代表の方をお招きし、園内研修を行なっていただきました。先生には今の教育や保育についての歴史から始まり、おもちゃや環境についてご講義をいただきました。その中で印象的だったことを書いていきたいと思います。

1.主体的に生きる子どもを育てる

この研修が実施される前に、事前にこの動画を見ておいてほしいと言われました。 

植松さんのこの動画はとても有名ですが、子どもたちを「どうせ無理」というチャレンジをしない子にはしてはいけないということを仰っていました。
それは、主体的に生きていける子どもたちを育てるということです。大人になってから、与えられたことだけをするような子どもを育てるのではなく、自分で考えて行動していける子どもを育てていかないといけません。つまり、自分の人生の主人公は自分ということ。自分で考えて動いていくことは、私の幸せは私が決めるということです。


ではそのような子どもたちを育てようと思ったら、そのような子どもが育つ教育や保育をしていかなければなりません。
では、そのような子どもたちを育てるには、どうしていかなければならないのでしょうか?


2.一人一人のやりたいことが実現される環境

幼児期の教育は「環境」を通して行うもの。
これは幼児教育の基本ですが、子どもたちの主体性が発揮される環境とは、一人一人のやりたいことが実現される環境と言えます。
それぞれがやりたいことをやることが保障された保育室。
子どもたちの年齢(発達)に応じた物やおもちゃが用意された保育室。
その子がやりたい遊びがある保育室は魅力的な部屋
になると、先生は仰っていました。

そのためには、まず、子どもたちの発達がわからないといけません。
今のクラスの発達年齢であれば、○○を経験させてあげたいから、○○を経験させることができる□□を置いてみようというようといった感じです。
そして、大人が願いを込めて用意した環境に、子どもが働きかけることで化学反応が起き、様々な遊びが展開をしていくのです。(もしあまり展開しなければ、また試行錯誤をして、環境を構成しなおせばいいのです)

3.子どもたちから学ぶ

子どもの発達を知ることも大切ですが、保育者が用意をした環境で子どもたちが遊び始めた時に、もっとも大切にしないといけないのは子どもを理解することです。
しかし、1つの保育室には、たくさんの子どもたちがいて、その子どもたちがどのように遊でんいるのかを全て理解することは難しいです。(今のわたしには到底できません)
そのためは、遊びを見る視点が必要であることも教えていただきました。
保育室で遊んでいる子どもを3つに分けると次のようになります。

①遊びに集中している子 → 保育者は何に夢中になっているかを知ろうとすることが大切
②遊んでいるけどイマイチ遊びが発展しない子 → 保育者はどんなヒントを与えるか、与えない方がいいのかを考える
③遊びが見つからない子 → 保育者は一緒に遊んであげて、遊び方を教えてあげる

こうやってクラスの子を見ていくことで、子どもたちを理解しながら、適切な援助ができ、子どもたちの豊かな活動を実現させることができるのです。ただ、そうはいっても、子どもが何におもしろさを感じているかを理解することは簡単なことではありません。
しかし、もしわからなければ、子どもに聞けばいいということも仰っていました。子どもから学ぶということです。「そのやり方はおかしい」と言われた子どもは、言われたことしかしなくなりません。子どもがおもしろがっていることが大事であり、そこを理解しようとし、次につなげてあげようとする姿勢を大切にしていかなければならないと思いました。

4.当たり前を疑う

先生には最後に各クラスを見ていただき、コーナーやレイアウトについてもアドバイスをいただきました。どのアドバイスも具体的かつ的確で、大変参考になるものばかりでした。その中でも、先生が何度もおっしゃっていた言葉印象的でした。
「これは何のためにあるの?」
「それはどういう目的でやっているの?」

例えば、壁面に貼ってあるかわいいお誕生日表。かわいいうさぎやクマさんがたくさん貼ってある壁面。それを見ながら、

「お誕生日表って、保育士の大きなメモだよね?」
「このかわいい絵を貼っているのは、こんな風な絵を描いてねってこと?こんな風に描いてはいけないよってこと?どっち?」
「専門学校で壁面の作り方を習ったから、とか、保育室ってこんなかわいいイメージだから、という当たり前を前提にやっていない?」

というご指摘をいただきました。そのうえで、もっと美しい絵や植物を飾るなど、カフェのような美しいものを子どもたちに見せた方がいいということも提案いただきました。
確かに、私が小学校1年生の担任をしている時は、かわいいイラストのお誕生日表を作ったり、かわいいキャラを壁面に使ったりしていましたが、それも1年生の教室はかわいいイメ―ジだし、かわいいものがあるほうがあたたかくて落ち着くから、1年生の教室はそれが当たり前だから、という何の根拠もない理由で環境を作っていたように思います。

環境だけでなく、普段の保育や小学校での授業もそうです。
こうゆう風に自分が小学校の時はしてもらったから、先輩がこういう風にやっていたから、という当たり前を基準にいろんな活動をしていたように思います。もちろん、先輩の先生方がされてきた素晴らしい伝統や技術はしっかりと学ばしてもらうべきであると思いますが、
「これは何のためにあるのか?」
「本当に意味があるのか?」

という目的思考で、当たり前にやっていることが本当に正しいのかを疑ってみながら、環境から日々の生活までを考え直していかないといけないなと思いました。


これは子どもたちのためになっているのか
その視点だけは揺るがぬように、よりよい保育の在り方をさらに追及していきたいと思います。

保育についてまだまだ勉強中なので、乱文になってしまいましたが、今はそこを気にせずに、学びを形にしていきたいなと思います。

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