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幼児期の「遊び」の考え方を生かした小学校での学びとは


私は学びの本質は「遊び」にあると思っています。

自分の興味があることや本当にやりたいと思う活動に夢中になり、没頭していく「遊び」。

毎回の授業とはいきませんが、そんな「遊び」のように夢中で学ぶ子どもたちの姿を目指し、そして、幼児教育の「遊び」の考え方を大切にしてこれまで授業づくりを行ってきました。

そんな幼児期の「遊び」の考え方を生かした小学校での学びについて、今回は書いていきたいと思います。


1.「遊び」の本質とは

幼稚園教育要領には「遊び」について次のように記されています。

幼児期の生活のほとんどは,遊びによって占められている。
遊びの本質は,人が周囲の事物や他の人たちと思うがままに多様な仕方で応答し合うことに夢中になり,時の経つのも忘れ,そのかかわり合いそのものを楽しむことにある。
すなわち遊びは遊ぶこと自体が目的であり,人の役に立つ何らかの成果を生み出すことが目的ではない。
しかし,幼児の遊びには幼児の成長や発達にとって重要な体験が多く含まれている。  (幼稚園教育要領より)

「遊び」では、活動の結果、何かができるようになることや一つ一つ活動を効率良く進めるようになることは目指されていません。それぞれの子ども達が自分の思いや願いを持って活動し、試行錯誤を繰り返していく過程そのもの(=「遊び」)の中に、学びがあります。

小学校では学習指導要領が新しくなり、その1時間で何ができるようになるのかを明確にする必要があることが述べられています。しかし、教師が明確な意図をもつことが述べられているのであって、子どもたちに「〜の力を身につけよう」と押し付けるものではないのかなと思います。夢中で学習に没頭した結果、1時間の授業が終わった後、ねらいとする力が子どもたちに自然に身についているという姿があるべき姿なのではないかと思います。(もちろん教科や学習内容にもよりますが)
そのような意味では、学ぶこと自体が目的となる「遊び」のように、夢中になって学ぶ子どもの姿が目指されるべきであると思います。

幼児期ではそんな「遊び」は「環境」を通して行われると言われます。ではその「環境」とはどのような意味なのでしょうか。


2.「環境」を通して行われる「遊び」

幼稚園教育要領には「環境」について次のように記されています。

幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであり、幼稚園教育は、学校教育法に規定する目的に及び目標を達成するために、幼児期の特性を踏まえ、環境を通して行うものであることを基本とする。
幼児が身近な環境に主体的に関わり、環境との関わり方や意味に気付き、これらを取り組もうとして、試行錯誤したり、考えたりするようになる幼児期の教育における見方・考え方を生かし、幼児と共によりよい教育環境を創造するように努めるものとする。(幼稚園教育要領より)
環境の中に教育的価値を含ませながら、幼児が自ら興味や関心をもって環境に取り組み、試行錯誤を経て、環境にふさわしいかかわり方を身に付けていくことを意図した教育である。それは同時に、幼児の教育との主体的なかかわりを大切にした教育であるから、幼児の視点から見ると、自由感あふれる教育であるといえる。(幼稚園教育要領より)


子ども達が自分の興味・関心に合わせて主体的に環境に関わっていくことで、「〜してみたいな」「〜したらどうかな」といった思いや願いが生まれます。そんな子どもたちの思いや願いを大切にしながら、子どもたちと共に試行錯誤をしていくことで、子どもたちはより夢中になり、「またやりたい」「次は〜をしたみたい」といった連続性を持った活動へと展開していくことができます。そうすることで、「昨日のつづき」を楽しみにやってくる子どもたちの姿を実現することができるのです。(下はそのイメージ)

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では、そんな「遊び」の中での教師の役割とは何なのでしょうか。


3.「遊び」の中での教師の役割

幼稚園教育要領には教師の役割について次のように記されています。

このような心情、意欲、態度は、いろいろな活動を教師が計画したとおりに、すべてを行わせることにより育てられるものではない。幼児自ら周囲の環境に働き掛けて様々な活動を生み出し、それが幼児にの意識や必要感、あるいは興味などによって連続性を保ちながら展開されることを通して育てられていくものである。
つまり教師の一方的な保育の展開ではなく、一人一人の幼児が教師の援助の下で主体性を発揮して活動を展開していくことができるような幼児の立場になった保育の展開である。活動の主体は幼児であり、教師は活動が生まれやすく、展開しやすいように意図をもって環境を構成していく。もとより、ここでいう環境とは物的な環境だけでなく、教師や友達とのかかわりりを含めた状況すべてである。 (幼稚園教育要領より)

「遊び」の中での教師の役割は、子ども達が持つ疑問や課題に対してすぐに答えを与えることではありません。子ども達の思いに寄り添い、子ども達と共に試行錯誤をし、子ども達が成就感や達成感を持って活動を終えられるように支援していくことこそが教師の役割であると考えます。
もちろん教師は意図をもって環境を構成していきますが、その意図を優先するのではんく、構成した環境の中で生まれた子どもの思いを大切にし(たとえ予想していた思いではなかったとしても)、その思いに寄り添えるかどうかが重要なことであると思います。言うは易しで、これがなかなか難しいのですが・・・



4.「遊び」を生かした小学校の学びとは


私は授業づくりをする際に、毎時間とはいきませんが、この「遊び」のように子ども達が学ぶ姿を目指して授業づくりを行ってきました。
遊びのように夢中で学ぶ姿を目指すために、「遊び」の考え方を生かした小学校での学びを次のように考えていました。

教材(問題)に出会わせ、
子どもたちの「これはどうなっているんだろう」「調べてみたいな」という思いや願い(疑問)を引き出し、
その思いや願い(疑問)を生かしながら学習課題を作る。
そして、その学習課題を1時間又は単元の中で解決しようと
子どもたちと共に試行錯誤をしていき、みんなで答えを作り出す(導き出す)。


これが「遊び」を生かした小学校で学びであると考えます。
もちろん教科や単元によってはこのようにはいきませんし、教師主導で教え込んでしまうこともあります。(反省の日々です)

この中でもまず大切なことが教材・問題との出会いです。ただ子どもたちに教科書を読ませて淡々と進めるのではなく、子どもたちの思いがたくさん出るように、教材との豊かな出会わせ方がまず大切であると思います。そうした豊かな出会いによって生まれた子どもの思いを大切にし、その思いに寄り添いながらて進めていく学びは、取り組む子どもたちの目の色が違います。まさに遊んでいるかのように夢中で学んでいる姿がそこにあります。

簡単ではありませんが、そんな学びを今後も求め続けていければと思います。


今回紹介した「遊び」のように学ぶ姿について、サツマイモを使った1年生の生活科の実践を「学びの場.com」というサイトで連載させていただいたので、次号で紹介させていただきます。



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