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私たち教師はどのような子どもを育てていけば良いのか

日々授業をしていて、この算数の内容は、この国語の内容は、子どもに教えて将来本当に役にたつのだろうかいう疑問は初任の頃から抱いていました。身につく力がはっきりしている単元はいいのですが、単元によってはそんな疑問をもって、悶々とした日々を過ごすことがありました。
しかし、昨年の夏に出会って、自分のモヤモヤした疑問がすっきりした本があります。それが「『資質・能力』と学びのメカニズム」(那須正祐・著)です。

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結論から言うと、これから子どもたちにどのような力をつけていけばいいかというと、本の帯にある言葉そのままだと思います。

子どもを優れた問題解決者にするために、教師は学びを生きて働くものにする

です。本の内容を少し紹介しながら、考えたことを書いていきたいと思います。


1.子どもたちを優れた問題解決者にする

2007に改正された学校教育法には学力の3要素を次のように規定しています

①基礎的な知識及び技能の習得
②知識及び技能を活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力
③主体的に学習に取り組む態度

それを受けて、この本では学力とは

知識を活用して課題を解決する汎用的な資質・能力が、学校教育が目指す学力

であると明確に書かれています。つまり、子どもたちを未知の状況にも対応できるようにするための優れた問題解決者に育てなければならないのです。

今回の学習指導要領を改定する際には、はじめにこれまでの「教科ありき」ではなく、また「内容」の習得それ自体を教育の最終目標ではないことを確認した上で議論をされたようです。

ここを見落として、ただ教科書の1ページ1ページを指導書を見ながら進めていたのでは、目指す学力が市販のテストでいい点数を取らせるため、教科書の内容を理解し、教科書の問題を解けるようになるためだけ、という非常に近眼的で狭い視野の目標になってしまうと思います。
そのためにも、子どもたちの学びをデザインしていく上で、それぞれの教科や内容の特性を生かしながら、最終的には知識を活用して課題を解決する汎用的な資質・能力を育てることを念頭に置かなれけばらないと思います。


2.子どもの視点に立った学びとは

今回の学習指導要領の改定では、「学ぶとは何なのか」という根本的なところから議論をされたようで、その上でそれぞれの教科部会が立ち上げられたそうです。
その中で重視されたのが、「子どもの視点に立った学び」です。
それには、心理学者のロバート・ホワイトcompetenceという考え方がベースにあるそうです。
ホワイト乳幼児の観察から次のように論じました。

人間は生まれながらにして環境内の人・もの・ことに能動的に関わろうとする傾向性を有しており、この傾向性がもたらす環境との相互作用を通して、次第にそれぞれの対象に適合した関わりの能力を獲得していく。

また、学習の最も最初の形態として、この本では次のように述べられています。

赤ちゃんは徐々に身の回りの事物・現象に関する個別的理解を深めていくと同時に、様々な環境に対してより効果的な関わり方を獲得・洗練・拡充させていくのですが、これこそが学習の原初的形態なのです。

また、幼児教育での学びはまさにコンピテンス的な学びであり、そこで培われているのはまさに資質・能力そのものであることも書かれています。

幼児期の学びについては以前も書きましたが、環境に働きかけながら、たくさん思いや願いを生み出し、それを生かしながら環境やその対象との関わり方も学んでいくのです。
そして、

人間はその誕生から臨終の時まで一貫して一つつの学びを突き通せば言うことになります。

と書かれているように、幼児期の学びこそが学びの本質であり、小学校に生かされるだけでなく、社会に出てからも生かされている本物の生きた学びになるのだと思います。だからこそ、前述のように、教科書の内容に振り回されるのではなく、そのような力をを見据えながらの授業づくりが必要となります。


3.学びの文脈のある学習へ

このような学びを実現するために、次のように書かれています。

具体的な文脈や状況を豊かに含み込んだ本物の社会的実践への参画として学びをデザインしてやれば、学びとられた知識も本物となり、現実の問題解決に生きて働くのではないか。これがオーセンティックな(真正の・本物の)学習の基本的な考え方です。

これは、幼児期の「遊び」について書いた際にも書きましたが、子どもと教材との出会いをもっと豊かなもの、たくさんの疑問や思いが生み出されるようなもの、つまり子どもが考えたくなるような本物の学習になるようにデザインしかなければなりません。また、なぜ今この学習をしているのかといった、単元のゴールを子どもたちが意識し、また、そのゴールが子どもたちが解決したくなる課題となるようにデザインをしていかなければなりません。
そのためにも、今目の前の子どもたちの、興味関心、そして、これまでの経験、学びを十分に理解した上で、子どもたちならどんな文脈や状況に当てはめてあげれば学びが本物になっていくかまで考えなければならないと思います。


4.最後に

本の中で特に印象に残った言葉が次の言葉です

正解の量的蓄積とその型通りの運用を学力とみなし、さらに教科ごとに分断した上でわずか数十分のテストで測っては、そのスコアで人生の行方からときには人間の価値まで決めてしまうなどと言う愚挙の世界的蔓延が、永い人類史上、18世紀終盤から21世紀初頭にかけてのわずか200数十年間のみに存在したと、記されるかもしれません。

テストの点数の良い悪いだけで、その子の自尊感情、人間性までうばってしまう。もちろん勉強をできるようにしてあげるのが私たち教師の仕事ですが、思うように身についていかない子もいます。そのような子どもたちにとっては、学校という場所は、楽しいけれど、なんて残酷な場所なんだろうと思うこともあります。
確かに、テストという基準がしっかりしているものでその子を評価することで、評価の公平性は担保されると思います。1人1人の学びをノートや学習の姿から見取ることは、教師の高い技量も必要となり、教師によってばらつきが出てしまうかもしれません。しかし、教育基本法(H18年)に記されている「教育は人格の形成を目指す」という目標において、市販のテストありきの教育や学力観ではなく、もっと子どもの目線に立った学力観を考えなければらないと思います。

言うは易し。子どもたちに必要な資質・能力を身につけていけているように、そして、未知の状況にも対応できる優れた問題解決者に育てていけるように、この思いや考えを少しずつカタチにしていき、それを積み上げていきたいと思います。


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