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「ネズミの楽園実験」から考えるコミュニティの意義

先日ネット依存、とりわけゲーム依存の子どもへの対応についての研修会に参加しました。
そこでなるほどと思わされた「ネズミの楽園実験」と、そこから考えるコミュニティの意義について書いていきます。

1.「ネズミの楽園実験」とは


以下、「ネズミの楽園実験」の説明ページを貼っておきます。

簡単に実験内容を説明すると、
依存物質の反応について調べるために、あるネズミは小さなオリに入れられ依存物質を摂取できるようします。もう一方のネズミは広いオリの中に入れ、遊ぶものやネズミの仲間を一緒に入れた上で同じように依存物質を摂取できるようにした時にどのように反応するのかという実験です。
実験結果は、小さいオリに入れたねずみは依存物質に手を出して依存状態に陥ってしまいますが、広い場所で遊ぶ仲間がいるネズミは依存物質に手を出さなかったそうです。さらに、小さなオリに入れたネズミを広いオリの方に入れてあげると依存状態が改善されたそうです。


2.「ネズミの楽園実験」から考えるコミュニティの意義

この実験から言えるのは、何かしらの依存に陥ってしまった人の多くは、閉鎖的な環境の中いることが多く、つまり、コミュニティに参加できず孤立してしまっている人が多いということです。

研修の中ではゲーム依存になってしまった子には、ゲームを取り上げてしまうのではなく、現実の環境(友達や楽しいもの)などを整えてあげる必要があるというお話を聞きました。

しかし、ここから私たちが考えないといけないことは、依存になるような状況を作る前に、孤立した人を作らない、人と人が支え合うコミュニティの形成を考えなければならないということです。


ネットやSNSの普及により、本当の人と人のつながりが希薄になってきていることは随分前から言われています。
しかし、社会のセーフティネットを考える上で、地域として、ご近所として、困った状況にある人を放っておいてはいけないと思います。

コミュニティとは少しお節介なところもあったり、気を使ったり、面倒なことももちろんあります。しかし、人とのささいな触れ合いにより満たされるものあり、困った時に支え合えあうことができるコミュニティは必ず人が生きる上で必要なものであると思います。

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そのコミュニティが、地域の住んでいる地域のコミュニティなのか、職場でのコミュニティなのか、学生時代のコミュニティなのか、趣味のコミュニティなのか、コミュニティのカタチはそれぞれあっていいと思います。

では、学校はどうなのか?と考えた時に、私は学校(幼稚園)がコミュニティとして果たす役割は非常に大きいと思います。

3.学校が果たすコミュニティの役割

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学校は人が集まる場所です。子どもはもちろん、その保護者の方々もです。
子どもたちのためにと言えば、保護者の方はもちろん、地域の方々も進んで動いてくださいます。学校に人が集えば、それは1つのコミュニティになり、人と人がつながる場所になります。

子どもは学校・家庭・地域で育てていくものです。

しかし、現状は学校が閉鎖的な場所になってしまっている場合が少なくありません。
働き方改革や教師の負担削減の名の下、学校の先生が地域に出て行かなくなり、さらには、保護者や地域の方が学校に入りにくくなっている場合もあると思います。(意図的に入らせないようにしているわけではないですが、入りにくい雰囲気があるんだと思います)

もちろん地域一体となり、コミュニティスクールとして成功している学校もたくさんあります。そういう学校を手本として、教師はもっと地域に出て、保護者や地域の方々にはもっと学校に入ってきてもらう。そうすることで、学校を中心としたコミュニティが形成され、結果として子どもたちがよく育つ学校・地域になっていくと思います。

4.教師が果たすコミュニティの役割

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最後に教師の立場でコミュニティを考える上で、教師としての1番の役割は、自分のクラスを安心感のある、一人一人の子どもが自分の居場所を感じれるコミュニティにしてあげることだと思います。

話は戻りますが、子どもたちがゲームだけの快楽に走ってしまわないように、現実の世界にしっかりとしたつながりを作り、ちゃんと心を満たしてあげる、そんな学級づくりを目指していきたいと思います。理想論かもしれませんが、教室が「子どもの楽園」になるように・・・。



1つのクラスの担任として、学校として、これから先を見据えたコミュニティづくりについてさらに考えていきたいと思います。





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