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ジエン社番外公演『わたしたちはできない、をする。』終演

藤家矢麻刀です。
早速ですが、表題の演劇上演が、先日終演しました。
関わったすべての皆さま、本当にありがとうございました。

終演から約一週間の間を置いて、これを書いてます。間の間、風邪をひいたり、映画を見たり本を読んだり、久々にまったりしました。公演中に撮った写真の現像が楽しみです。
なので、考える時間が思ったよりたくさんあって(寝てた時間も多いけど)、色々考えたり、思い出したりしてました。

共演した皆さま、学生ユースによる創作でしたが、しれっと参加していた自分に変わらず接してくれてありがとう。
創作過程は置いといて、この一週間ずっと考えていたことを、まとまっていないけど、整理の意味も込めて書きます。予め言っておくと、無意味です。

作品によって、参加者も、観客も、誰もが何かのきっかけであの日を、もしくはあの日の近辺のことを思い出すことができるかどうか。

僕は劇場が大好きだ。あの場が大好き。

作品と言ったけど、作品を拠り所とした、それ以外の出来事の方が大切だと思っている。もちろん作品も大事だけど。

誰と観に行ったか、どこに寄り道したか、なにを想ったか、帰り道なにを見ていたか、人といたら何を喋ったか。そんな出来事が雑草のように生えて、いつの日かその雑草のことを、作品を手掛かりに思い出してくれたらサイコーだ。

それは参加者も同じで、製作の日々のことを、色んな雑草を頼りに、いつか遠い未来に思い出したらサイコーだと思う。

少なくとも今は、自分にとってこのことが演劇とか映画とかの持つ最強の力だと思う。作品によって、過去にも未来にも思い出せる雑草を生やすこと。思い出さなくてもいいけど、雑草は生えてる、みたいな。

多分、これは、今回の環境で自分の学生時代を思い出したから、より濃く思っていることかも。
この時間が楽しかったか苦しかったか分からないけれど、いつかふと思い出しちゃったら、いいなと思います。

できないことは山程あって、できることは全然見つからない。できなかった思い出はすぐ思い出せるのに、できた思い出はなかなか思い出せない、そんなことないかもだけど、僕はそう。

別に思い出さなくてもいいけど、
僕は勝手に雑草見つけていたいなと思ったのでした。し、雑草を植えれる人になりたい。雑草は勝手に植わるけど。

とりとめのある文章を書きたい。でも今回はまとめずに書きました。
以上とりとめなく、無意味な、この上演の周囲で考えたことでした。
僕の文章はだらだら取り止めがないけど、終わる時あっさり終わるのなんとかした方がいいな。
あと人の写真が撮りたい。

改めて、関わったすべての皆様、ありがとうございました。またどこかでお会いできたら、死ぬほど嬉しいです。じゃ。

2020.02.22 藤家矢麻刀

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