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個人と団体の関係、そのあり方のモヤモヤ

その無限のバリエーションをどのように言語化し、位置付けることができるのか

 秋田市が春に開館を予定している秋田市文化創造館(クリエイティブハブのようなところ)のプレ事業で、未来の生き方を考えるスクールという事業が始まるのですが、そこで哲学と法律の専門家と話をすることになりました。で、せっかくの機会なので専門家にぶつけてみたいモヤモヤを、書いてみたのですが、ゴタゴタと長くなりました。ごめんなさい。

無意識→意識化→認識 そして社会が作られる

 今回のトークセッション、美術、哲学、法律という並びは一見バラバラのようでとても興味深いのです。僕らは感性、感覚を頼りに言葉にできない違和感に向き合い、無意識をなんらかの形で表出しようと右往左往しています。 存在について考え、言語化し、認識する試みが哲学であり、価値化された認識を制度として、社会的に明文化し、位置付けることが法律なのかなと思うのです。(違うかもしれないけど)

 僕ら生活者は誰しも、その自己の内部に湧き立つ無意識を抱えながら、過去の価値によって制度化された社会で生きてゆかなくてはなりません。未来の生活を考えること、未来の生き方を模索する上で、この無意識から制度化されるというプロセスについて語り合うことは重要かもしれないと思うのです。そして、僕らは無意識に向き合い、形にしようと試行錯誤、右往左往することが許されるところを現在の秋田に作ろうとしています。

昔の「カメハニワ」の話から。関係のあり方が存在の仕方を決定する

 学生を終えて就職もせず個人事業を始めた頃、カメハニワというキャラクターを作って、(上の写真1985年多摩美術大学での展示)卒業後の自分が身につける肩書のようなものについて・・・自分という存在と社会的存在の関係について疑問を持ち、モヤモヤと悩んでいました。生活という言葉に含まれる「生きる」と「活きる」という言葉の違い、個人として生きることと、社会の中で活きることの違いのようなものを感じながら自分のあり方を探っていました。
 そして今再び、法人(企業、学校など)、団体(自治体、町内会、家族などの契約によって成り立つ組織)、集団(友人、様々な任意の集まり)と個人の関係のあり方についてモヤモヤし始めています。
※法人、団体、集団についてとりあえずここではまとめて団体と呼んでみることにします。←もっといい呼び方あるよねきっと。

 津波で家も家族も職場も友人も街ごと流された女性が「私自身が存在しているような気がしない」と話したことは心に深く刻まれています。自分が存在するということは自分が周りとの関係においてどのように存在するのかということ。周りとの関係で初めて存在するということなのだと思い知らされました。
 この時の彼女を存在させる要因、家、家族、職場、友人、街は様々な形の団体です。そしてそのすべてが流されてしまった。近代の都市は法人の集積によって作られてきたと黒川紀章が1960年代に指摘し、これからは個人が都市を構成すると言った・・・という話を先日のとあるレクチャーで知り、とても反応してしまいました。確かに地方都市の中心市街地をイメージしても、法人の作った建築物に法人が所在し、そこに属する個人が勤務している状況です。

 農林水産業が主産業の地域であっても個人事業という小さい規模の団体が協同組合に属し、流通が存在することで個人の生活は成立してきました。人は生きてゆくために、なんらかの団体と関係を持って暮らしています。完全な自給自足で山の中で暮らしている人がいたとしても、その人が外部と全く接点がない場合、存在すら知られず、存在しないことになってしまいます。 問題はその接続の仕方、関係のあり方だと思うのです。

 こどもたち(あるいは大人)が家族という小さな団体、友人や教員、学校という現場の団体、地域社会にある団体とどのような関係にあるのかという問題は、そのつながり方が圧力的であったり一方的であったり様々なバリエーションの認識が足りないことによって生じている(かもしれない)不登校の問題や引きこもりの問題とも繋がっているのかもしれません。

 表現行為の多くは個人の活動として閉じて成立します。自分の中で成立し、自分との関係の中で存在させることができます。しかし、その状態では社会的には存在しているとは言えません。隣人や友人でもいいのですが、なんらかの団体にその表現をリリースし、自分の内側から外側に出してゆくことによって社会的に存在することになります。その問題とも繋がります。

 個人と団体のあり方、関係の仕方はそのまま自分自身がどのようにあるのか、どのように存在するのかということと深く関わります。その存在の仕方が実は無限にあり、その無限の存在の仕方をどのように位置づけるのかということを問題にしたいのです。それはまさに言語化を試みる哲学の問題でもあり、社会の言葉として制度化する法律の問題でもあると思うのです。

コロナ禍以前の問題意識:関係の接面、関わりしろ

 20年ほど前の話、まちづくりの調査で中学生1年生の女子に「このまち、関係ないところばっかり」とぶつけられました。子どもたちだけで行けるところがその学区内にはほとんどなかったのです。海と大きな川に面しているのですが水辺は危ないので立ち入り禁止。大きな企業のビルが立ち並ぶところですが、そこでは警備員が目を光らせています。唯一許されているところはコンビニと児童公園ですが、コンビニは買い物しないと怖い目で見られるし、児童公園には縄張りがあって、その子の居場所はありません。唯一許されているところは自宅の自分の部屋の中。その中学生の問題は僕らの問題でもあります。僕らにも関係ないところばかりです。職場と自宅を行き来する以外はどこですごしていますか? みなさんがゆくことが許されているところ、魅力的に過ごせるところはまちにどれほどあるのでしょう? 大切な時間を過ごせるところはどんなところでしょう。

 だれにでもいることが許され、創造的で魅力的な場所と時間。それはどのようなところなのかということに興味があり、それを様々な形で作ってきました。これはコロナ禍以前の問題意識です。

 コロナ禍以前はAという存在とBという存在の間の部分。特にそれが重なり合う部分、重なりしろ、関わりしろをつくろうとしてきました。内側と外側の間の境界の領域のようなところ、昔の家屋の中と外の間の縁側のような部分であり、工作するときの「のりしろ」のようなところです。「関わりしろ」という言葉も使ってきました。つまり接面の部分です。そこが社会の中でどのように成立するのかということに興味を持ち、様々な実践を行ってきました。

シェア・共有・コモンズという概念と所有を位置づけるもの

 店舗がひしめく京都の錦小路という通りを歩くと自分が店の中にいるのか外を歩いているのかわからなくなります。商店街だと店舗の外で暖簾の内側とか、軒先とか、露店とか、都市空間だと公開空地とか共有地とか、一見共有されているようなところでも実は必ず所有者や管理者がいてその共有部分を位置付ける法律や条例があります。学生時代に京都の鴨川の三条大橋の下に自作の長さ5mの鯉のぼりを13匹、無許可で展示し、京都府土木局に河川管理法上の障害物として撤去され、始末書を書いたことがあります。街の風景の全て、建造物や公園、道路など、川や山や海でさえも、なんらかの団体が所有し、法律や条例で管理されています。そこにあたらしい隙間を見つけ、あたらしい存在を位置付けることができないかと熱中していた時期もありました。そこで注目したのがシェアという概念です。

 所有という概念の発生や所有権という権利の問題の歴史的な事実については詳しくありませんが、それを獲得するために、数多くの争いが重ねられ、その争いが経済の循環を作ってきたというこれまでの人類の歴史は悲しいものです。バブル経済の破綻以降、所有し売却することで利益を生み出す土地神話が崩れ始め、共有という概念が再考され始めた頃、なんだか希望を感じていました。それまでは公共、パブリックといわれていたものが、共有、コモンズといわれ、家や車、家財など様々なものをシェアするしくみも一般的になってきたことも興味深く思っています。

 貨幣経済、資本主義の所有という概念は経済発展をめざす企業や法人、国家、個人などに大きな影響を与えてきたはずですが、それに限界が見えてきているのも事実です。世界は無限ではなかった。大量消費がもたらす環境問題を考えるとシェアの発想はとても重要だと思いますが、一方でワークシェアリングの考え方など、会社が社員を所有しないことになり非正規労働者が拡大し、貧困の問題は深まり広がっています。問題を解決するための新しいシステム、位置づけ方があるのだと信じたいところです。

 個人的なプロジェクトとして実践した、家庭内ごみゼロエミッション。そこから連鎖した全国共通の「かえるポイント」という子ども通貨を使った「かえっこ」というしくみも今年で20年、二十歳のお祝いをしようと思っていたのですが、その全てをストップさせるディスタンスの時代の到来です。

コロナ禍以降:ディスタンスに存在する虹色の世界

 今回のコロナ禍で価値を持ち始めたのがディスタンスです。以前はA とBの共通部分に、接面に価値を見出そうとしてましたが、そこを重ねることができなくなりました。つまり、AとBのなかにある空間そのものを存在させなければならなくなったと捉えています。
 僕は学生時代に政治運動に熱心な先輩からよく怒られました。右なのか左なのかはっきりしろと。白か黒かどっちなんだと。その答えとして白でもない黒でもないその間に無限のグラデーションで虹色の世界があると信じることにしました。右と左の間には正面も後ろも上空も足元もある。球体のなかに無限の座標があるのだという妙な確信をもってアメーバ状に生きて活動を続けてきた・・・のかな。アートは白と黒の間にある無限の虹色の世界を作り出せる技術なのだと語ったことも。恥ずかしい。

 問題はそのアメーバ状に変化しながら3次元空間を行き来できる存在をどのように社会的言語で位置付けるのかということだと思うのです。制度化の問題です。
 このコロナ対策で増えてきた在宅勤務では時間と空間の問題が浮かび上がってきました。以前は職場に行けば勤務時間が始まりそこを離れると生活時間でした。もちろんその間の移動時間もあります。しかし、在宅勤務では勤務時間とも生活時間ともいえない曖昧な時間が増えてしまいます。実はこれまでも日常の生活時間や休日にも仕事に繋がる時間は数多くありました。特に研究や企画、思考の蓄積が重要な仕事はその勤務時間や勤務空間などその境界は本来曖昧なものです。だからこそ、自分とは何か、生活とは何か、社会や団体とは何か、そのあり方をどのように位置付けるのか、その関係をどのように制度化するのかということが問題になってきていると思うのです。

 仕事と日常の間のどちらでもあり、どちらでもないバッファ空間、バッファ時間のようなものを生活空間に生活時間に位置づけ、組み込む必要性も感じています。たとえば、国の境界にも、バッファ空間があってもいいのではないかとも思うのです。秋田も防衛拠点の問題で揺れていましたが、ウイルス感染の危機に対して、これまでの防衛(核開発やミサイル防衛という方法)では無効であることが明確になりました。境界面を奪い合うのではなく、バッファ空間を制度化することも感染予防には必要なのかもしれません。そして今回のトークセッションで一番深めてみたいところとしては個人と団体とのディスタンスです。

 そこにある時間と空間をどのように位置付けてゆくのか、制度化するのかという未来の生き方の問題についてです。

・・・ということでトークセッション、楽しみにしております。



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