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「安倍国葬」するなら国会決議と司法判断が必要だ

安倍元首相の国葬について岸田首相が9月8日、初めて国会で説明した。
なぜ国葬なのか。
憲政史上最長の総理であった、功績が大、海外から弔意が多く寄せられた、選挙中に銃撃されたの4点。
内閣だけで決められるのか。
儀式をすることは内閣の権限であり違法ではない。

新鮮味はないが、国会で初めて答弁したことに意味があるのだろう。
国民がどう反応するか。
きちんと説明してくれたので、納得したとはならないだろうが、国会で説明したのだからと、反対がトーンダウンする可能性はある。
私は国会での首相の説明を聞いてもまだ納得できない。

安倍氏の評価についてはこの稿では触れない。国葬の決め方が問題だ。
日本には国葬を定めた法律や政令といったものがない。ルールや基準がないのだ。岸田首相は法律はなくとも、国葬は内閣ができる儀式に当てはまるので、内閣の権限でできるという主張だ。

しかし、国葬とは「国を挙げて弔意を表す」ものである以上、国民の多数が納得する必要がある。世論調査で反対が半数を超えるような安倍氏の国葬をどうしてもしたいのなら、国会で決議したうえで、法の下の平等や思想良心の自由、政教分離を定めた憲法に違反しないのか、裁判所の判断がいる。これが民主主義や法治国家のルールであろう。

子どもの世界で、ルールがない時に、
俺が決めるとガキ大将が言っているのと同じ屁理屈を首相は言っている。
子どもに恥ずかしい。
ルールがないときにはみんなで話し合って決めよう。
こんな最低限のルールも守れないようでは、この国の先行きは不安である。そういう国にしてしまったのは安倍長期政権の罪である。
道理に合わないことをやろうとすると無理がでる。
岸田氏に首相をさせていていいのかという声がマスコミに出始めた。
朝日新聞編集委員の高橋純子さんが世界9月号に次のように書いている。

安倍氏は、戦後民主主義との闘いに実存をかけていた。岸田首相はどうだ? 遠望するまなざしを失い、ひたすらに「保身」のそろばんをはじき、結果、戦後民主主義にのそっと刃を向けている。悲しくなるほどの「舎弟しぐさ」。しかもそれが、少し前までは「リベラル」を自認していたはずの人だと思えば悲しみはいや増す。

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