終戦記念日に考えたこと ウクライナの終戦を妨げる武器商人
朝日新聞電子版より抜粋。
ウクライナのクリメンコ内相は13日、南部ヘルソン州のドニプロ川西岸にある二つの集落が同日朝、ロシア軍の砲撃を受け、少なくとも計7人の住民が死亡したと明らかにした。
この二つの集落は、黒海に注ぐドニプロ川の河口に位置するシロカバルカとスタニスラウ。シロカバルカでは両親と12歳の男児、生後23日の女児の計4人の一家全員が死亡した。ほかにも住民1人が死亡した。
8月15日は日本の終戦記念日である。78年前のこの日正午から天皇がラジオを通じて戦争の終結を発表し、4年にわたる戦いが終わった。ウクライナの戦争は1年半たった今も激戦が続く。今春にはウクライナ軍が反転攻勢に転じると日本のメディアはさかんに報じたが、そうはなっていないようだ。朝日新聞の記事にもあるように、ロシアは自国からミサイルを撃ち込み、赤ん坊まで犠牲になっている。
ロシアの弾薬が尽きるまでこの戦争は終わらないのか。NATO諸国は、ウクライナに武器は援助するが、軍隊は送らない。ロシアとNATOが全面戦争になり、核戦争まで発展する恐れがあるからだ。
ロシアはNATOが直接、軍事介入し、もし自国の存亡が脅かされるときは、核兵器を使うと脅している。核兵器が、残虐で横暴な大国の「盾」に使われる事態に私たちは直面している。
ロシアは核兵器を持っているから、自国への攻撃はないと確信してウクライナを侵略したのだ。核抑止論は、理性ある指導者の存在を前提として、使ったら、お互いの国民が死んでしまうので、持ってはいても使わない、よって平和は保たれるという理屈であった。
しかし、ロシアは核兵器を持たない国を攻めるために、核兵器を脅しにつかっている。もし、米国がロシアを攻撃すれば、躊躇なく米国に対しても核兵器を使うと。この脅しによって米国は動けなくなった。武器は与えるので、ウクライナは自国でロシアと戦ってくれとしか言えないのだ。
勘ぐれば、米国の武器商人にとっては一番いい儲け口なのかもしれない。武器がどんどん売れる。ウクライナの平和を勝ち取るための正義の武器として、堂々と売れるのだ。暴利を得ていることだろう。メディアはきちんと報道してほしい。
日本では武器を輸出できない原則に穴があけられようとしている。これも平時ならとんでもない暴論とされるのだが、ウクライナを助けなくてもいいのかという、一見人道主義に思える声の前に、大きな反対運動が起こせないでいる。世界の武器商人たちが、ほくそ笑んでいることだろう。