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瑞々しさの感覚

「父兄参観って苦手なんだよね」少し物憂げな声で彼は言った。

「父親らしくしている人達の中はなんだか居心地が悪くて」低い声で喋りながら指は鍵盤の上を滑らす。ポロン、と音が流れる。最近練習しているらしいメロディが辺りに響いた。

今週半ばから降り始めた雨は週末まで飽きることなく降り続き、ニュースでは梅雨入りのアナウンスが流れた。話す言葉も梅雨特有の湿り気を帯びているように聞こえる。息子との今の関係性を鑑みると父親らしくしている人の群れの中にいるのはなかなか距離感を測りかねてるかのようだった。僕は子どももいなければ結婚もしていないのだが、父性を身に着けた人たちの中に僕は居られるだろうか、と思った。ふと、母性をテーマに論文を書こうとして教授に「母性という曖昧なものをテーマにするな」と怒られていた友人を思い出した。

僕はGWを過ぎたあたりから仕事詰めで、あの緩やかな時間が流れていた改元前後とは打って変わり、仕事は多忙を極め、本腰を入れざるを得なかった。5月が終わり緩やかになると踏んでいた仕事もなかなか収まらず、やっと一息付けるころにはいつの間にか六月も半ばになっていた。

気も沈む日もあったし、くたくたな日もあった。とにかく気分転換が欲しかったのだ。そんな中、それいいねと言ってくれたのが彼だった。かねてから豆腐の食べ比べをしたいと言っていた。僕の仕事の都合もありいつかやろうねとお互いに言い合っていた。

まるで学生同士の遊びのような戯れに乗り気になって聞いてくれた彼に「明日暇だよ」と言ったら家族と掛け合ってみると言った翌朝、「4時頃に集合で」と連絡が来た。


準備すると言って家事を始めてしまった結果、結局僕は予定集合時間に少し遅れて僕は改札前に付いた。

小雨が染み込むように降る中、少し肌寒い気温でお互い長袖を着ていた。「まぁあの時間まで家事をしていたらね」と彼は笑った。少し滑りやすい靴を履いてきたらしく、足元を確かめながら、百貨店の地下の食品売り場に向かった。駅は建物を中心として再開発を進めているらしく、工事中を知らせる看板や衝立、完成後のイメージなどが並んでいた。「思ったより栄えてるねって言われる」と自虐めいたセリフとは裏腹に少し誇らしげに言う。

スーパーなどを巡り豆腐を買い回る。価格帯、メーカー、見た目、など僕らの選ぶ目は鋭かったと思う。豆腐売り場前でいい年齢の男二人がはしゃぐ姿は傍目から見たらなかなか異様に見えたことであろう。

道中、彼は麦茶のコクの違いについて語り、焙煎について語り、土地で栄えた醸造について語った。「麦茶もコーヒーと同じで焙煎だから分野は一緒なんだ」楽しそうに語る彼の話を聞きながら、僕はふんふんと頷きながら犬のように駅前の商店街を歩く。彼はこの辺はテナント代が高くてチェーン店しかないと言った。視線を上げて辺りをうかがうと、居酒屋のキャッチの若い男が、酒を飲まなそうな中年女性に声をかけていた。チェーン店でも維持するのは大変だろうなと思いながら派手な看板が立ち並ぶ道を通りすぎた。

醸造蔵が見える道を抜け、少し森を抜けて、細い駐車場の奥に彼の家はあった。ちょうど入れ違いで彼の友人家族が出てくるところで、お互い会釈をした。豆腐の食べ比べをするのを知っていたらしく「豆腐買ってきたんですね」と挨拶をされたが、僕はこういう時どういう風に返事をするべきかを知らず、あいまいに笑ってぎこちない会話を交わした。「いい歳して世間話もまともにできないな」愛想笑いの一つでもできればなと思いながら家に上がり込んだ。

彼には3人の子どもがいる。男男女。それぞれ二歳づつ年が離れた彼らは僕の顔を見ていらっしゃいといった。次男坊は先ほどまでいた家族の息子と争いごっこをしていたらしく、最初はテンション高く接してきてくれたのだが、ゲームをやり始めた途端その熱は冷め、生返事での対応となった。ゲームの魅力に負けた僕は荷物を置いて居場所を探す。すると前に来た時には懐かなかった末の娘が、今日は機嫌がよく、しきりに僕の股の間をぐるぐると回ってはコロコロと笑って、僕に居場所を与えてくれた。

「じゃあ始めようか。」と食卓に8種類の豆腐が並ぶ。それぞれ水を抜いてもらい、小分けのものは一食ずつ、品評会のように並べてもらった。

A4の紙に項目を書き出す。「これじゃもう市場調査だね」と僕らは笑いながら株式会社がメーカー名の先に付くか後に付くかを確認してはしゃいだ。

パッケージ、匂い、触感、舌触り、後味。多角面から豆腐を判断する。

「苦い」「硬い」「後味がよい」六人の舌が判断した評価が下されていく。実は豆腐にもそれぞれ個性があったことがわかる。大人の舌と子どもの舌では評価が割れるものもあった。僕ら大人は後味など各々の豆腐の差を比べ、長男坊は自分の感じたことを言葉にしようと内省し、次男坊は早く次を食べようと急かした。

「みずみずしい!」ある豆腐を食べたときに長男坊が声を上げた。僕は触感を何とか自分の言葉で、的確な感覚で言おうと苦心していたところだったので少し虚を突かれた感覚で彼を見たような気がする。そういわれてみればその言葉がふさわしいような気がして、もう一度その豆腐を口にした。みずみずしさ。想定外からの言葉は時として鮮烈に頭に残る。その言い得て妙なその形容詞を、豆腐と共に噛み締めた。

大人が、今ではもう苦労して言葉にできるかできないかの感覚を、いとも容易く言葉にできてしまうその素直さが眩しかった。もしかしたら数年後に失くしてしまうかもしれないその言葉に、僕らは瑞々しさを感じた。

食後、日本酒とワインと焼酎を飲んでほろ酔いの僕に長男坊はゲームをやろうと誘ってくれた。馬に跨り剣を掲げる主人公を操る勇ましい彼も、その素直な感性で大人を驚かせる彼も、ゲームを一緒にやりたくてうずうずしている彼も、すべて同一人物だった。若さで一括りにするには少し枠からはみ出るぐらいの、今となっては図り知ることのできない「瑞々しさ」を僕は目の当たりにしたような気がした。

僕は後片付けもせずに彼とゲームを楽しみ、家主は所在なさげにピアノの前に座りピアノを弾いた。

十時半ごろ、家主の眠気を合図に僕は家を出た。

帰り道、僕はあの「みずみずしい!」と言い放ったその瑞々しい感覚を、頭の中で何回も反芻していた。

※この記事は2019/6/21にg.o.a.tに投稿したものを再投稿しています。

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