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柔らかい春に

「有名なバンドが出るんですか?」

 注文したうどんの引き渡しに時間がかかるようで、店員が間を持たすように聞いてきた。

「toconomaというバンドが出るんです。」

話しかけられるとは思ってなかったので、どぎまぎしながら僕は答えた。

 「フジロックにも出てるようなバンドなんですよ。」と僕は続けたが、店員はよくわからなかったようで、そうなんですかと返事をしながら「ここからだとちょうど舞台が見えないんですよね。」と茹で上がった地方で有名であろうなんたらうどんを渡してきた。

 三月も終わりを迎えようとしていた最終週の土曜日、僕は代々木公園まで足を運んでいた。

 埼玉のど真ん中から朝早く代々木公園に来たのは、目当てのバンドが無料で見れるという触れ込みからだ。

 前座である太鼓保存会なる演奏を見ながらうどんを食べる。

 「うどんを食べながらバンドの演奏を聴いてるのは僕だけだろう」と思いながら、汁をすすった。

 バンド側から見たらうどんを食べながら聴かれるだなんて思ってもいなかっただろうが、食欲を前にして僕は抗う術はない。

 しかしいざ演奏が始まる頃にはとうどんは食べ終わっていたし、始まったら自分の世界に陶酔しながら酒を片手にバナナを愛でるように食べ始める観客がいて、僕は「世の中は広いナ」と感じながら音楽に身をゆだねてた。演者同士でもお互い顔を見合わせて苦笑していたから同じ想いを抱いていたに違いない。

 奇妙な一体感を感じながら僕は、春だな、と感じざるを得なかった。季節感は時として季節感を感じさせずに僕らに訪れを告げる。憎い事をする。

 代々木公園は人で溢れていた。至る所で花見が行われていたし、道行く人の表情もどことなく柔和な顔があふれている。

今週中頃に満開だとニュースで見たからもしかしたら少し散っているかもしれないなとも思っていたが、どこもかしこも自信満々に咲き乱れていた。

 春が見ているような穏やかな気温とは裏腹に、薄く濁ったような薄曇りといった空模様だった。昨日の天気予報だともしかしたら雨が降るかもしれないと言っていたが、どうやら泣き出さずにもちそうだ。

 明後日、新元号が発表される。平成が平成でいられる最後の前日。「平成最後の」と付ければ揺れ動く感情に箔が付き、エモい思い出として人生の彩になるだろうが、僕としてはただ漫然と昨日の延長である今日を生きていて、新しい季節に思いを馳せつつも、この落ち着かない気持ちに説明をせず、ただいつもと変わらない日々を感じていた。

 「よかったら顔出しだけでもいいでですか?」

 僕がY氏に声をかけたのは昨日の話だ。

 代々木公園で大規模な花見が開催されるらしく、そこにY氏を含めなんでも五十人ぐらいの人が集まると聞いていた。最初は参加するつもりもなかったが、普段遠方にいて、親しくしてれている方々がその日めがけて集まってくるという話を聞いて、もしかしたらこの機を逃すと二度と会えないのではないかという気持ちが芽生えた。

 人の多いところは得意ではない。話したことがない人と長時間話す自信もない。気恥ずかしさもあり、ひねり出したのが「顔出しだけでも」と言う文言だったのだが、自分が出した答えとしてもなかなか回りくどい文句だった。さらにそわそわした気持ちが先行して、ぎこちなく伝わっていたように思う。

 バンドの演奏が終わり、付近の出店も一通り冷やかした後に僕は一度公園を後にした。なんとなくふらふらと歩きたかったのだ。やはり何となく人の多いところから離れたくなる。

 これだけ桜が咲いているから目黒の桜でも見に行こうかなとも思ったが、人の混雑を想像すると二の足を踏んだ。

 昼飯も適当に済ませ、どうしようかなとスマホの充電が心もとないことに気が付く。モバイルバッテリーもない。

 時間まではしばらくある。会うときに充電が無いというのも避けたい。漫画喫茶で充電することを選ぶのは自然の流れだったと思う。

「都内まで来て漫画喫茶か」と一瞬頭をよぎったが、読んでない漫画の新刊のことも考えると割と早い段階で足が向かっていた。

 漫画を読み始めて一時間ぐらいたった頃だろうか。どうでしょうと伺いを立てたY氏から「少し遅れそう」と連絡が来た。「既についているT氏とS氏に連絡をしたほうが都合がいいかもしれない」と連絡を受け僕はT氏に連絡を入れた。ピアノが得意な柔らかい印象の彼女の返信を見ながら電車に乗る。相変わらず空は煙たそうだったが、僕の心は焚火に薪をくべたようにじわじわと熱を帯びる。

 公園について集合場所付近に付く。合流しようとした瞬間連絡は空回り始めた。メールが送れないのだ。いくらかざしてもアンテナは頼りなく、送信中の表記は続く。五分、十分、僕はつながらない連絡に焦りを感じ始める。まさか公園内がこんなに電波が悪いとは。通信制限を悔やみギガの買い足しを試みるもそれすらもつながらない状況に焦り、僕の体は汗ばんだ。

 事前に連絡を取っていたT氏から一方的に着信履歴だけが表示される。もしもしの言葉は空を切り、電話のような何かに話しかけているようだった。

 三十分粘った末にようやく合流できた時には、辺りも暮れ始めていた。

 高校一年の頃、夏季休暇の課題の一つに実際に企業を訪問し、レポートを提出するという課題があった。僕は部活の友達と三人で埼玉のローカルラジオ局に取材に行った。学校側からすれば取材を通して社会に触れ、理解を促すための課題だったのだろうが、僕としては普段聞いているラジオ局に行けるというだけで完全に物見遊山の感覚だった。実際振り返ってみても「ラジオ局に行った。楽しかった。」程度の記憶しか残っていないし、何を書いて提出したかも覚えてはいない。そこでもらった粗品のタオルだけは行った事実だけを証明するかのように今でも使い続けている。

 その中で唯一交通情報のアナウンスの一場面だけが記憶に残っている。

 「実際に収録している場面があればいいんだけど。」と中年局員は言った。確か金曜に来局したように覚えている。

「月曜から木曜までは大宮で収録しているんだけど、金曜だけは別のところで収録しているんだ。」ラジオ局であるメインの部分を見られずに少し残念そうにあたりを見学していた。用意していた質問も底をつき、なんとなく間の抜けたような時間が過ぎる。その時にちょうど交通情報の配信している場面がやってきたのだ。

 一方的に僕は素敵な痩躯の髪が長い女性を想像していた。滑らかに伝える声を聴いて、高校生の僕はムフフと逞しい想像力を頭に広げていた。

 しかし実際マイクに向かって喋る人を見た途端僕の世界はすべて虚飾の世界で、過去となる。声が高く、聞き取りやすい 声から想像していた美しい女性のイメージは目の前の母親と変わらないぐらいの中年女性に変わった。

 「声と姿は変わるものだよ。」と案内してくれた局員の人は来局した高校生を面白がらせようとアナウンスの方を「おばさんでしょ」とおどけて言っていたが、当時の僕は面白くもなんともなく、イメージが崩れたショックに打ちひしがれていたように思える。

 それから十数年。僕は何回かのオフ会を経験し、そのギャップを楽しむまでに変わった。声と姿は違うものである。その差を埋めることに面白みを感じるようになっていった。声で相手に思いを馳せ、実際に会ってみて差を埋める様子は僕の中で最高の趣味となっている。

 そして、噴水広場に集まる人々は、遅刻した申し訳なさから謝り倒す僕を、初対面の姿をした知り合いであるかのように、新鮮味と馴染む気持ちが入り混じる不思議な空間で僕を迎え入れてくれた。


※この記事は2019/4/9にg.o.a.tに投稿したものを再投稿しています。


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