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センターカラーのように鮮やかに

 僕らは挨拶もそこそこに、代々木公園の出口に向かった。薄暗くなっていく濁った空の中、花見の賑わいの余韻が見て取れるような、少し熱を帯びた空気があたりに漂う。

 僕は歩ってく道中、さっきあった耳馴染みのある初対面の人々の、不安定な認識を埋めるようにいろいろな人に声をかけた。ボサボサの頭で来てしまったことに後悔しながら、髪でも切ってくれば良かったかなと内心思いながらも入口へと歩いた。

 入口の時計塔を過ぎて、右手に改修中の代々木体育館が見えた。あと数年もすれば五輪が開催される。振り返ってみて、あれは時代の変わり目の中にいたのだと思うには早く、まだ僕らは時代の渦中にいるのかもしれない。

 遅刻を詫びる僕に「謝らないで」と言いながら僕を輪の中へ連れていってくれた柔らかい彼女は声で聞く印象そのままで、小柄な体に小柄な写ルンですを携えて写真を撮っていた。数人とカメラを携えて、互いを撮り合っている。皆がみな、世界の一部を切り取っているかのように。何気なさや日常に価値を見出し、フレームの中に納める。そのちぐはぐで卑近な対象を心ではなくデータに納める。僕は今どきだなと思いながらもカメラを向けられればピースサインをしてエモさの中に収まっていく。

 駅は花見を終えた人々で賑わい、交通系ICのチャージ不足で改札が止まることを許さない駅員が、人の流れを調整しながら気を張り詰めて対応をしていた。遠方より来る彼はカホンを前に抱きかかえるように担ぎ、慣れない人込みと改札に戸惑いながら無事に改札のゲートに足止めをくらい、窓口側の少し大きな改札側へと誘導されていくのを遠巻きに見えた。

 僕らも流れに身をゆだねながらもお互いが離れないようにY氏のオレンジのダウンを目印にお互いがはぐれないように必死に前に進んだ。

 結果オレンジのダウンを見失った。しかたなく僕らは乗り遅れた者同士集まり、後発組として山手線に乗り込み新大久保に向かった。満員電車に慣れない一行はドアの真ん中に陣取り、お互いの裾をつかみ合いながらなんとかよろけずに支え合っている。「僕につかまりな」という男前の彼の一言で皆肩やら腕やらに縋った。

僕は少し挨拶をして帰る予定だったのだが、そんな中「行っちゃうの?」の言葉に後ろ髪をひかれていた。「顔出しだけ」と言った手前もあったが、僕はこの後別の飲み会に誘われていた。この場が楽しい場であったとしても、自分の中では先約を優先したいという気持ちが強くあり、ある程度話したらその場を離れる予定でいた。 その方が長い時間だらだらと距離感を図りながら話すよりも短い時間のほうが良いと思っていたからだ。

 だが、その時点で飲みに誘ってきた本人から連絡が帰ってきてなかった。この場を離れ、連絡が取れず、開催されるかわからない飲み会に向かうよりは、こっちに残りお互いの溝を埋めた方が飲み会に行くよりもずっと良いと思えた。

 結局僕は「じゃあ一時間だけ」と、中途半端な受け答えでどっちに転んでもいいように保険をかけて残ることにした。先約に対して申し訳ないとも思ったが結果的に誘ってきた本人は前日に泥酔した挙句、携帯を紛失してしまいそれどころではなかったらしく、選択としては間違ってなかったかなと今になっては思う。

駅で先発隊と合流し、少し喧噪のある車道沿いを歩いてライブハウスに向う。その途中でも僕らは他愛もない話をしながらそれぞれの距離感を埋めていく。

 雑居ビルの隅だったように記憶している。急で細い階段を降りた場所にそのライブ会場はあった。薄汚れたコンクリート打ちっぱなしのような場所を予想していたが、実際はカフェバーのようなところの一角に演奏場所が設けてあるような小洒落た場所だった。

 予約をしていなかったので入れるかどうか不安だったが、一声かけた後に入れてもらえることとなった。

 ドリンクチケット代わりのピックを受け取る。僕はジンジャーエールを頼んだ。くるりは「こんな味だったかな」なんて歌っていたが、僕にとってはいつもと変わらないジンジャーエールの味だった。奥のほうのソファに腰を落ち着け、演奏を待つ。皆は知り合いであろう人たちの名前が聞こえると、その人のほうに向かい挨拶をしあう。僕の知り合いはほぼいなかった。僕は弾き語りはあまり聞かない。「もう少し聞いとくべきだったかな」の後悔は早めに訪れたが、仕方ないので隅のほうで周りがじゃれ合うのを見たり Y氏の息子が女性たちに囲まれてコーラを飲みながら座っているのを見て、「ずっこいよね」などと話しながら始ま画るのを待った。僕のジンジャエールは早めに底をつきそうだった。

 しばらくして主催者の話があり、弾き語りのライブが始まる。各々趣向が凝らされ、この日のために練習したであろう曲を一生懸命に、時にゆるやかに弾き語る。平和な時間が流れいた。その中に知り合いは一人もいなかったのだが、顔も知らない、声も知らないが音だけで語られる演者自信の思いが弦を通して伝わってきてそれはある種心地いいものであった。また、誰も知らない中で一人音を聴いているその空間が僕は何となく好きだったのかもしれない。

 十人ほど演奏した後に、立て続けに目当てのピアノが鳴り響く。淑やかに、時にポップに、どこかホッとするような柔らかい音色が会場に響き渡る。向かう途中で「恥ずかしい」なんて言っていたのがウソのように堂々とした演奏がレンガ調の壁紙を反響して、観客の心を包んだように思えた。演奏後はみなどこか誇らしげな表情をしていたのが印象的だった。

僕らは柔らかい音色が終わった後に、名残惜しさとライブの余韻に浸りながら、途中でライブハウスを後にした。

帰り道は雨だった。日中降らすのを堪えていたように強めの雨がアスファルトを叩く。皆それぞれ大きな荷物を抱えながら傘を持たずに駅へと向かった。

 池袋駅で、僕らはみんなと別れた。別れ際にした握手のぬくもりはしばらくは忘れないだろう。みなどこかでまた、必ず会おうと表情に出ていたような気がした。実際に口に出していた人もいた。それだけ別れは惜しかった。僕は帰りの電車の中で今日の日の思い出を反芻しながら目をつぶった。

 日常は、歪な姿をしてもなお、速度をそのままに流れる。今日の日はそんな灰色の日常にまるで雑誌のセンターカラーのように鮮やかに色彩を放ち織り込まれた。歪さはそのままで、きっと時が経てば細部は靄がかり、印象に残る部分だけ都合よく僕の記憶の隅を占めるだろう。僕はすごい勢いで過ぎていった今日という過去をいつまで覚えていられるだろうか。記憶の片隅が黴で蝕まれる前に、僕はここに文章として記しながら、やがて風化するこの楽しい思い出を少しでも感じていようと悪あがきをしているのかもしれない。

※この記事は2019/4/12にg.o.a.tに投稿したものを再投稿しています。

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