【sk∞】クレイジーロックの朝焼けに、シンメトリーな幸せを

【俺がガキだった頃、まだヒーローのテレビとか見てた頃さ。そのヒーロー
が言ったんだ。お前の幸せは何だ?って。何が幸せかわからないまま終わる
なんて、絶対に嫌だってさ。でも、何が幸せか、なんて答えられるやついる
か?小学校にも入ってないガキ相手に、怖いこと言うなって思ったよ。金持
ちになること?女にもてること?いい学校に入ること?尊敬されること?そ
りゃあ、それが幸せだって思うやつもいるんだろうな。でもどれも俺の幸せ
じゃあない。俺は知ってる。俺の幸せは──】
主人公である喜屋武暦のモノローグから始まるアニメーション、エスケーエ
イト。
夜の帳が下りて、あとわずかで日を跨ぐ頃。
暗闇の中、スケートボードで大きく飛翔するその姿は、軽やかで楽し気で、
きらきらと光り輝いていました。
今まで見たことがないような何かが始まるのではないか?と、気持ちを昂ら
せずにはいられない、印象的な幕開けです。

エスケーエイト最終回まで見ました。
素晴らしいものを見て、凄く楽しくて、生きててよかったなぁと思うこの気
持ちを、何か形にしたくなり、今こうして文章を書き連ねています。
ここから先は、エスケーエイトというアニメーションの結末や核心にも触れ
ることになると思いますが、それでも差し支えない場合には、どうぞこのま
まお読みください。


最終回を見て、多幸感に包まれながら、あれ?これってこういう風になるん
だ?と気になったことがありました。
それは、愛之介が逮捕されなかった(貴理子の正義が執行されなかった)こ
とです。
話の進行を見ていて、最終的には愛之介は捕まり、これまでの罪(政治家と
しての不正な行為、愛抱夢として行使した暴力など)を償う展開になるのだ
と思っていました。でも、そうはならなかった。
何故なんだろう?円満な明るい最終回にするために、ストーリーを捻じ曲げ
た結果こうなったのか?
少しの間考えて、「そうじゃないんだ」と思いました。
この結末に導かれたのは、登場人物を不幸にしないためのご都合主義などで
はなく──むしろ、彼らの生きる世界もまた、残酷で野蛮でどうにもならな
いものだから、なのではないのか、と。

愛之介を疑い、彼を逮捕することを目標として度々登場する、鎌田貴理子と
いう人物は、作中で次のような発言をしています。
【正義は平等に執行されるべきです】
貴理子は、警察官として、罪を犯した者を捕まえ、処罰するべき、と考えて
いるのでしょう。それが、彼女にとっての「正義」であり、その正義はこの
世界に生きるすべての者に「平等」に適用されなければならない。
そういった使命感から、貴理子は政治家「神道愛之介」を追いつめていきま
す。その様子を見ている、いち視聴者である私も、「愛抱夢はやっぱり捕ま
るんだな」と思っていました。
それはそうだよなー‥‥‥なんか政治家としても汚職に関与しているみたい
だし、そもそもこれまで愛抱夢としてもたくさんのスケーターを酷い目に合
わせてきている訳だし。だから、彼はその報いを受けて逮捕されるんだ。
そうなることが「正しい」ことのように、無意識のうちに考えていました。
でも、そうはならなかった。

愛之介が逮捕されなかったことの他に、もうひとつ気になること、描かれて
いないけれど、たぶんおそらくこうなっただろう、ということでモヤモヤし
てしまったことがあります。
それは、神道家の伯母さまたちのこと。
この人たち、愛之介のこと虐待して追いつめて、心身ともに酷い目に合わせ
ておいて、いけしゃあしゃあと生きているのか。何の責めさえも負わずに?
‥‥‥と、そう思いました。
しかし、おそらく、「愛之介が逮捕されなかったこと」と「伯母たちが何の
責めも負わないこと」は、表裏一体なのではないでしょうか。
悪いことをしても罰を受けるとは限らない。
酷いことをしても、報いを受けるとは限らない。
だから、愛之介は捕まらないし、伯母さまたちも改心したりせず、責めを負
うようなこともない。
これはつまり、エスケーエイトは、【「因果応報」が適用される世界ではな
い】という、宣言なのかもしれません。
最後に、悪いやつがとっちめられて、一件落着できるような、そういう世界
ではない。
「因果応報」ではない。「勧善懲悪」でもない。
エスケーエイトは、誰かが信じた「正義」が勝利するような世界ではない、
ということ。
だから、鎌田貴理子は正義を平等に執行できない。
(彼女にとっての「正義」の基盤となっている、警察という組織が定めてい
る掟を破るようなこともできないので、貴理子は矛を収め、逮捕を諦めるし
かなかった)
そういうことなのではないでしょうか。

もしかすると、シャドウ、というか広海ちゃんの恋が実らなかったのも、同
じ理由からかもしれません。
彼は身を挺して、大好きな花屋の店長のことを守りました。
でもこの世界では、善いことをしても、報われるとは限らないのです。悪い
ことをしても罰を受けるとは限らないのと同じように。
頑張っても報われるとは限らない世界です。暦だって、どれ程努力しても、
覚醒して、スーパー暦になったりしなかった。愛抱夢だって、こんなくだら
ない世界に僕を連れ戻すな、と叫んでいました。
何もかも思い通りにはならない。
エスケーエイトは、たぶん、そういう世界です。私たちの現実と同じ。
残酷で野蛮な世界。
暴力があり、他者からの望まぬ介入があり、体も心も大いに傷つけられる。

そもそも「正義」だとか「正しさ」だというものは一体なんなのだろう、と
思うことがあります。
私たちは、生きる時代も生まれる場所も選べません。
「正しさ」は、その時代やその場所で生きる人々の多くが支持する意見や、
権力を持った人々の意向によって決まるものだと思います。そして、「正し
さ」から零れた、弱いもの少数派のものは、強いもの多数派のものに虐げら
れてしまう。
その時代、その場所では、「正しい」と信じられていたことで、今の私たち
の目から見れば、残虐非道としか思えないような事例は枚挙に暇がない筈で
す。私たちが今現在「正しい」と認識しているような事柄も少し先の未来で
はどのように取り扱われているかわかりません。2020年代って、こんな
くだらないことを「正しい」って思ってたのか、ぐらいに未来の人には評価
されるのかもしれない。絶対的な「正しさ」というものは存在せず、すべて
は曖昧模糊としています。

【やめておけスケートなんて。もっと別の趣味の方がいい。スケートは危険
だ。大怪我につながることもある。世間体も悪い。未だに不良がやるイメー
ジがつきまとい白い目で見られる。指導者が少ない。酷い業者も多い。極め
たところで野球やサッカーみたいに稼げる訳じゃない。スケートなんて野蛮
で、マイナーで、不幸になるだけのくだらない遊びだ。すぐにやめたほうが
いい】
愛之介の秘書、菊池忠は、まるで自分に言い聞かせるかのように、暦にこう
語っていました。
エスケーエイトの世界には、スケートを悪いもの、正しくないものとして、
排除しようとする人々が、おそらくはたくさん存在しているのでしょう。
ただ、好きなだけなのに、肩身の狭い思いをしなければならない。
何かを好きであるということよりも、嫌いなものを排除することを優先する
ような世界で、「好きでいること」「楽しむこと」──そのようにあり続け
ることは、とてもとても難しい。

物語の冒頭で、暦は自分にとっての幸せは何か?ということに答えを持って
いました。スケートボードに熱中する暦に対して、菊池忠が言っていたよう
なこと──危険だからやめろ、とか、不良がやる遊びだ、とか──そんな風
に、スケートのことを貶してくるような人は、たぶん、ひとりやふたりでは
なかったのでしょう。そのことは、忠とのやりとりから察せられます。
しかも、大怪我をした友人がスケートをやめてしまい、相当につらい時期も
あったのではないでしょうか?
それでも、ひとりでコツコツと練習を続けて、腕試しに【S】でビーフに挑
んだりしながら、自分の好きなことを、楽しくやっていたんだろうと思いま
す。
なのに、ランガというスケート仲間を得たことによって、暦は自分自身の幸
せを見失ってしまった。
圧倒的な才能や実力を目の当たりにした時に、自分のことをちっぽけな存在
だと感じて身を竦ませる──そういったことは、多くの人にとって大なり小
なり身に覚えのある出来事なのではないか、と思います。
これからどうなっていくのだろう?この先の物語の展開が想像できず‥‥‥
絶望に沈み、苦しみもがきながら、それでも新しい答えを探し出そうとする
暦を、ただ固唾を飲んで見守ることしかできませんでした。

暦は、スケート仲間が欲しかったんだろうな、と思います。
だから、転校生、馳河ランガを誘った。たぶん、初めは軽い気持ちで。
けれど、劣等感に苛まれるのが苦しくてたまらないのなら、暦はランガと滑
るのをやめて、新しい仲間を探せばいい。自分とちょうどつりあうような誰
かを。そういう選択も可能です。
そもそも、ランガと出会う前は、ほとんどひとりで滑っていた筈。
でも、暦にとっての幸せは、物語の冒頭で言っていたのとは、少し違ったも
のになっていたのですよね、この時にはもう。だから、深く苦しんでいる。
何を幸せだと思うのか──何を希求し、その望みのためにどのように行動す
るのか?
暦が見いだした答えは、「ランガと並んで滑りたい」です。
でも、彼とともに滑るためには、高さも速さも足りない。つりあわない。
手が届かない場所にいる相手と、一緒に並んで滑ることは不可能だ。
そう考えて、ランガからもスケートからも離れ、逃げ出そうとした、まさに
その瞬間、暦は忠と衝突します。突然の嵐のように。

スケートを腐す忠に対して、暦はかなり衝動的に──けれどまごうことなき
本心をぶつけ始めます。
【うるせぇ!てめえは、なんもわかってねえ。スケートってのはなぁ。楽し
くてドキドキして、かっこよくて、いつでも何処でもできて、こつこつ練習
して、どんどん出来ることが増えて、その度に嬉しくて、楽しくて。誰かと
滑るのは、もっと楽しくて。楽しくて、楽しくて‥‥‥。そうだよ。スケー
トって、すっげえ楽しいんだ】

スケートボードは楽しい。誰に何と言われようと。
ゆるぎないその気持ちは、もともとずっと、心のうちにあったもの。

【‥‥‥俺、バカなんじゃねえの。上手いとか才能とか、そんなの全然関係
ねぇじゃん。初めてスケートに乗った時さ、はっきりいって、超のつくド下
手くそだったよ。転んでばっかでさ。でも、もっともっと乗りたいって思っ
た。‥‥‥あんたやっぱわかってないよ。スケートをやる理由なんてひとつ
しかないだろ。楽しいからだ!】

他者からの評価を基準にするのならば、才能あるものを見上げ、劣るものを
見下げることになる。そして、「幸せ」は、自分の外側に見い出すしかなく
なってしまう。
けれど、人と自分を比べるのではなく、あるがまま、「楽しい」という気持
ちのままに滑ることができたなら。「幸せ」は、いつでも自分自身の中に見
い出せます。たとえ、どれ程に困難な状況であったとしても、それでも。

馳河ランガは、才能に恵まれ、その上で努力も怠らないからこそ、短い期間
で、凄いスケーターに成長しました。でも、ランガ本人も言っているように
暦の教えや、彼の作ったボードがあったからこそ、【スノー】は、高く飛翔
し、速く駆け抜けることができたのです。そして。
そのランガの滑りを見ていたからこそ、暦の中にも新しい可能性が生まれま
した。
暦にとってはランガが、ランガにとっては暦が、「想像を超えてくる」存在
で、ふたりが備えている性質も能力も違うものであるからこそ、互いを引き
上げ、気づかないうちに自分自身で定めていた限界を飛び越えて、新しい景
色を見ることができる。

暦とランガ、彼らの名前の頭文字は、「R」と「L」です。
それは、「Right」と「Left」、 つまり「右」と「左」を象徴しているので
はないでしょうか。
彼らは、おそらく車輪です。
ふたりでひとつのウィール。右と左のタイヤがあってこそ、ボードは動く。
高く、速く。
無限大に。
いつまでも、何処までも。
ひとりではなく、ふたりだからこそ。

「壊れたら、直せばいい」と暦は言います。
そして、ランガのボードは生まれ変わりました。
壊れても、直せる。どんなものでも。体も。心も。
もちろん、人の命も。
何度でも生まれ変わる。
そして、太陽も。

水平線。
海と空がひとつになる場所。
夜の帳は開かれて、放たれる白い光。そして、道行きの彼方には、赤く大き
な花が昇りはじめる。
南島の古謡の中で、太陽は「あけもどろの花」と讃えられた。
暁に咲く、大輪の花。
華麗で強烈な赤い光。
自然は美しい。けれど、あるがままの世界は、残酷で野蛮なもの。

古代の人々には、「太陽」もまた、日ごとに生まれ変わるものである、と捉
えられていました。
沈んだ日は、墓であり命を育む胎である、「太陽の洞窟」──ティダダガマ
と呼ばれる洞穴に籠り、その場所を通り抜け、やがて東の空に新生します。
生まれては死に、死んでは生まれ変わる。何度でも。


【暦がさ、言うんだ。テレビのヒーローは怖かったって。君の幸せは何かっ
て訊いてくるから。俺には最初、何が怖いのかよくわからなかったけど、今
は、ちょっとだけわかるよ。自分の幸せがわからないって、すごく怖いこと
だって。でも、俺はもう知ってる。俺の幸せが何か。俺の幸せは──】
始まりは暦のモノローグでした。それに呼応するように、最後のモノローグ
はランガです。
彼らの幸せは、スケートボード。
いつまでも、ずっと、二人で滑り続けること。

目を焼くような白く強い光が放たれ、それからやがて、水平線から──ラン
ガのボードに暦が描いた 【FUN】の文字──その色のように鮮やかな太陽が
昇りはじめる。
交わされた約束が果たされる、クレイジーロックの夜明け。

暦は左足を、ランガは右足をボードにのせています。
スタートラインに立ち、軽口を叩き合う二人の姿は、シンメトリー。
ともに走り続ける車輪のようで、自由自在な翼のようでもある。
未来は何も決まっておらず、可能性は無限大。
ひとりでは辿りつけない場所にも、ふたりでなら行けるかもしれない。
遙か彼方、海と空がひとつになった処、ニライカライ。残酷で野蛮な世界に
大きく咲き誇る、あけもどろの花に向かって、ふたりは滑り出そうとしてい
る。

スケートボードは、楽しい。
誰かと滑るのは、もっと楽しい。
何度でも生まれ変わって、いつまでも、無限大に。
夜明けの光に向かって駆け抜けていく。

勝っても負けても、転んで、たくさんの傷をつくっても、「楽しい!!」と
言って、暦とランガは笑い合うのだろう。そう思うと、幸せな気持ちで胸が
いっぱいになりました。
あまりにも嬉しくて、胸が苦しい。
目を閉じていてもなお、その鮮やかな色や音、風景や、エスケーエイトの世
界に生きる人々の姿が見えるような気がしています。
最高のアニメーションを、たくさんの人とともに見ることができて、本当に
幸せな時間を過ごすことができました。


きみとスケート無限大。
エスケーエイトと出会えて幸せです。
本当にありがとうございました。

【スケートボードは、楽しい!】