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みにくいアヒルの子3

始まった小学校生活は《お勉強ができること》が評価される風潮にあり

どんなに、体育ができなくても、私の居心地はそこそこに良いものでした。

ぬくぬく、伸び伸びと過ごしていました。

 ところが!4年生の後半、私は、転校したのです。

世田谷の駒沢からなんと!横須賀の果てに…

理由は、私の体が弱かったので、空気の良いとろこに!(転地療養か!!)

ところが、情報不足で、海風は強いし、父は遠すぎて、会社に通うのが

困難になり2年で世田谷に戻るのですが、この間、私は人生でも

天と地?ほどの体験をすることになったのです。

 転校した最初の4年生では、女の子のボスに睨まれ、今思うと結構やばいイジメにあいます。

クラス全員が男子と女子で絶対口をきかないっていう謎の風習が存在しており、知らなかった私は席が隣の男子に気軽に話しかけて居ました。

それが、ボスの逆鱗にふれて…

あいつ目障りじゃない?ちょっとみんな無視してね!

というお触れが回り、登校しても、誰も私と話してくれません。

男子には大した効力なかったようですが、もとより

男女は話さない!と決められて居たクラス。明治時代か??

 とにかく、1日孤独な訳です。

朝登校して、1人で給食食べて、午後の授業。掃除当番も黙々と1人で掃除し

今思うと一番ひどかったなーと思うのは

掃除終わりの点呼の時、当然きっちり男女分かれて整列します。

ボス女子が、ニヤつきながら私を男子に一番近い端っこに並ばせます。

で、彼女は反対端から、どん!っと列を押す訳です。

すると順におっとっと!となって最終的に、私もおっとっと!

そして、男子側によろける。

それを見て囃し立てる、ボス女子と側近。

手を洗って振り返ったボスが

私の顔めがけて、濡れた手を降って水をかけてきたこともありました。


うーん(−_−;)

こうやって言葉にすると、結構かわいそうな私 笑

でもね、不思議と、私めげなかったんです。むしろ今の方がメンタル弱い?笑

一人っ子で、《本好き》だった私は、その頃すでに結構大人びてて

ひたすら本を読んで、かなりの読書量になっていました。

そこで展開されるいろんな世界にすっかりはまっていたので

現実に展開される、つまんないイジメなんか

これが面白いの?信じられん!

って感じで、毎日イジメられるのも、物ともせず

ランドセル背負って学校に行ってました。不登校にもなりませんでした。

 そして、どんどん自分ルールを増やして成長続けていた私の母

その、なぜか貴族的な奔放さと、ちょっとずれてるとこから

ここからは《マリー・アントワネット》にちなんでマリーとします。

このマリーの後押しが半端なかったんです。

 マリーの初動は早く、私が、「みんなに無視されてるんだよねー」というや否や、速攻で、担任に面会申し込み。

どうしてくれる!とねじ込みました。

子供の私が見ても、ひじょーに頼りなく見えた男性担任は

「わかってるんですが、クラスの雰囲気が、御宅のお嬢さんのおかげで変わってきてるので、もうちょっと様子見を!」

っていうしょうもない返事。

怒って帰ってきたマリーは

「学校に行かなくてもいい」と言い出し。

勉強が好きな私は、「いや行くから!」

大雨が降れば、「今日は行かなくてもいい」

「学校休んで、電車乗って買い物に行こう!」

ある意味、私と合わない部分も多かった母ですが

こういう時は非常に頼りになりました。

母にとっては、「私の大事な娘がないがしろにされるのは私がされてるのと同じ!」くらいの勢いでした。

この時、何言われても、学校には絶対行くべきだから!などと言わなかった

母は偉いと思います。

①親に対する、わがまま言っても大丈夫という安心感

②私自身の価値観や、世界観がなんとなくあった

この二つが、結構やばいイジメにあいつつも

元気に学校に通えた要因でした。











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