《人生経験豊富で大抵の質問には答えが出せる》ふじねーの、情報発信を聞きたい!質問したい!みんなでそれをシェアしたい人のためののサークルです。
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ふじねー
成績足りてないのに合格した「奇跡の人」として花の女子大生となった私 全て薔薇色˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚世の中がそれはそれは輝いておりました。 前回ちょっとピカッとした高校時代とは桁違いのフリーダム!しかも体重は家庭のストレスで減って人生初の7号サイズ! 憧れの《ほっそり・華奢》と言う称号を手に入れた私は、もう怖いものなし!と思いきや、《綺麗じゃない》と言う刷り込みは中々に頑固で、片想い女王は卒業したものの、ターゲットとして安心できるのは《かなり年上の男
私の母は戦時中に生まれ、広島の片田舎出身でした。 元々祖父達もハイカラな性分だったようで、田舎にもかかわらず和洋折衷の洋館っぽい家に住み、祖父は東京まで出張があると、祖母に白いパラソルや綺麗な靴など土産にしたようで、村で一番初めに《マヨネーズ》を家で作った!とか、テレビが村で一番初めにあった!とか…まあ色々 そしてマリーの素地は小学校の学芸会で《白雪姫》を演じたあたりから表に出したようで、その後も《とにかくクラスのスターだった》…本人伝 娘時代は、村で唯一、かの高級雑誌
高校三年生の、10月に、「付属の短大には行かなーい!」と決めた私 理由はこれから華の女子大生生活送るには余りにも環境がど田舎すぎた! 10月に願書を取りに行きがてら訪れた、付属の短大のある駅。 降り立った私は、愕然としました…駅前に…何も…ない… 銀行も支店ではなく出張所と言う… 喫茶店もなく、あるのは自動販売機のみ。 そして学校は住宅予定地の間を抜けて歩くこと10数分。 当然ながらその間目に入るのは
東京の渋谷で始まった私の中学生生活。 念願の!だったはずが…女子校というチョイスが墓穴ということを知らずに結構な泥沼にはまり、しばしもがくのでした。 私の通った学校は、今でいう《キラキラ女子》の多い女子校で女子力が高い女子が多かった中、母は綺麗=自分は可愛くない という刷り込みのあった私は、キラキラに乗り切れず…オタクの道に没頭するのでした。 今でこそ、《女子たるもの、なんぼでもアイテムがあるのだからいつまでもキラキラすべし!》と思う私ですが、自分が程遠いと一旦感じると
前回の話は、小学校四年生の時に転校した先で結構な、イジメにあいつつも健気に?笑 登校していた日々の話でしたが、次の春 小学校5年生になり、クラスも変わり、担任の先生も変わりました。 その時の担任の先生が、嶋村先生という27歳の女性の先生で 私の大学までの学校生活の中で出会った3名の「恩師」の1人です 最も影響を受けた方でした。 先生の授業は独特でした。算数や理科は仕方ない。 けれど、国語の授業で 「あな
始まった小学校生活は《お勉強ができること》が評価される風潮にあり どんなに、体育ができなくても、私の居心地はそこそこに良いものでした。 ぬくぬく、伸び伸びと過ごしていました。 ところが!4年生の後半、私は、転校したのです。 世田谷の駒沢からなんと!横須賀の果てに… 理由は、私の体が弱かったので、空気の良いとろこに!(転地療養か!!) ところが、情報不足で、海風は強いし、父は遠すぎて、会社に通うのが 困難になり2年で世田谷に戻るのですが、この間、私は人生でも
《母伝説》パート1 今回は その1 私の小さい頃、母のお洋服はオーダーメードでした その2 母は私に、世田谷の水道水は飲めないと教えていたΣ(・□・;) 先に書いた私の母はとにかく《自分が一番キレイ》こそ命 感覚は、ほぼ白雪姫の継母のお妃さま状態 口癖は「みっともない事はしない」=麗しさがこそが最上! 広島のど田舎の出身なのに、広島弁はラジオで矯正 笑 ほぼ標準語を操り、洋服は私の小さ頃は全て、お誂えでした! 着物ではなく、洋服をです!! 父は航空会社に
仕事や、勉強の失敗は…実は なんとかなったりします でも人間関係が上手くいかない時… 人の受けるダメージは、かなり壊滅的です。 もう傷づきたくない。誰とも関わらない。 ソロ活動の方がいい。 それも期間限定なら良いと思います。 でもねぇ 諦めないでほしい。 投げないでほしい。 私の元には、一旦投げてしまって、別のことで埋め合わせた方が 多く相談に来られます。 ながーくほっとくと、リカバリーは大変なんです。 やばいなーと思ってるなら1日でも早く! こんな
私の人生にとって最も影響力があったのは母でした。 21で結婚し、22で私を産んだ母は、小学校からずっと学校のマドンナ 今でこそ、母に似てると言われますが 小さい頃は父にそっくり。 ピンク系の色白で、すっきりとした目鼻立ちの母からすると、 浅黒くて奥二重の私は、『自分には似ていない娘』 小学校3年生くらいの夏 母の実家(広島)に帰省中、 私は知らないおばちゃんが、台所に上がり込んで義祖母とおしゃべり中 『まーこの子!みてー!おかーさんあんなに綺麗じゃのに、ちっ