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硬券0020 瀬戸巡航船組合

徳島市から鳴門の位置する吉野川をはじめとする複雑な河口は、迷路のように幾筋もの水路が張り巡っており、現在でもその様子は残っています。
新町川水系、吉野川、鳴門(撫養)には、そういった河口の水路を行き来する巡航船が明治・大正・昭和初期に発展しました。
5トン程度の軽量の「ポンポン船」と呼ばれた船が水上交通として人や荷物を運びました。中でも徳島市街(新町川畔~撫養航路)は最も利用の多い川筋で、大正から昭和10年頃まで運航されていました。「瀬戸」というのは瀬戸内海というよりは、狭い海峡の広義の「瀬戸」からきているのでしょう。小鳴門筋を北上した鳴門の堂浦(どうのうら)までも通っていたようです。大正2年で徳島~撫養は大人20銭(その時代にしては結構高い?)だったそうです。

そんな航路にも硬券は存在し

270瀬戸1


昭和8年 A型硬券 青PRCしせつてつだう地紋 一般式

立派なものがあったものです。昭和8年と書きましたが、ダッチングの感じから右印字の残りのようなニオイもしますので大正13年かもしれません。
撫養桟橋から鳴門の島側の堂浦へは急流の小鳴門の瀬戸を北上しながら横断する必要があるので、距離はそんなにない区間ですが小型船では結構大変で慎重な運航を強いられたのではないでしょうか。

「堂浦」・・・海釣り(カセなど)で釣り人には有名です。小鳴門は急流ですが、入り組んだ湾内の「内ノ海」は穏やかです。

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