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日記/2024.01.15

 情けない話だが、5年程前からずっと好きな人がいる。
 色恋や愛情とも違う、もっと深く強い感情を向けていた人物だ。
 しかし私はその人のパートナーになることは出来ず、距離を置くようになってからは年に1度程連絡があるかないかという感じだった。


 その人から先日、会おうと連絡が来た。正直、その人と酷い別れ方をしてしまって躁鬱が悪化したような面もあるので、会うのは怖かった。(互いに悪い事をした。)見出しの画像は別れた当時の走り書きである。重症さが見て取れる。
連絡をとっている時点で心臓は早鐘を打ち、気を抜くと嘔吐してしまいそうであった。そして昨日会ってきた。


 久しぶりに会ったその人は、私が幾度も記憶の中で反芻していた頃の姿より大人になっていた。会わなくなって5年も経っているのだ。お互いに歳を食っていたということだろう。
 記憶の中よりもその人は、何かを誤魔化すようにへらへらと笑い、口癖のようにごめんなさいと言い、私をひとりの人間として扱っていた。

 その人は結婚をしていた。私はその人に対して憎しみや恨みの感情も大きかったが、そんなことよりその人のことが大好きであった。絞り出すようではあったが、おめでとうございますと言うことが出来た。いつだって私はその人の幸福がなによりも嬉しくありたい。今だってそう思っている。
 その人の白タキシードと紋付袴の姿を思い浮かべた。素敵だった。ウエディングドレスや白無垢の奥さんのことも思い浮かべた。しかし、私の知らないその人の顔にはもやがかかっていた。私でないことだけが確かだった。


 近況や別れた時の話、互いの趣味の話なんかをした。意外にも私はうまく笑えていて、適宜話題を振ったり返答をしたり、心持ちも穏やかであった。ぼろぼろな現状を伝えることなんて出来ず、所々に嘘もついて、それでも淀みなく会話が出来ていた。
 しかし、その人は時折、大丈夫ですか、と言った。そんな悲しそうな顔しないで、僕が全部悪いのだから自分を責めないで、と。
 私はその度に、その人への深く強い感情をまざまざと自覚させたれ、鼻の奥がつんと痛くなった。会えて嬉しい、と笑うその人に、結婚の報告なら会いに来ないで欲しかった、と何度も言いたかった。思い出の中でだけ私を苦しめて、救っていて欲しかった。終わらせになど来ないで欲しかった。私の全てを壊して、もう無いものとして欲しかった。それでも、ふにゃりとした笑顔を見る度に、なんて可愛いんだとその都度恋に落ちていたし、何より私と再び会ってくれたことが嬉しかった。その人の思考のどこかに、たとえ厄介なニンゲンとしてでも存在し続けていたことが嬉しかった。前よりすごく綺麗になりましたよねと言うお世辞だって、とにかくその人の口から発せられる音のひとつひとつが、今私に向けられているものであるということが嬉しかった。


 その人はその日、その時間だけ恋人のように接してくれていた。手を握られ、抱きしめられる度に頭ががんがんとした。負担にならない、迷惑をかけない、自立した人間として振る舞いたかったのに、どうしようもなく涙が止まらなかった。その度にごめんなさい、僕がクズで全部悪いから、我慢しないで泣いて良いよ、とその人は私の頭を撫でた。今まで私にそんな態度を取ったことは無かった。この人は今、全ての感情を割り切って、私に尽くすことで全てを清算しようとしているのだと分かって、余計に涙が出てしまった。そして、本当に奥さんに申し訳ないと思った。自分で自分を殺してやりたかった。


 改札で別れる時、貴方はもっと自分に自信を持った方が良いと言われた。無茶を言うなと思いつつ、そうやって私に対してひとりの人間としてアドバイスをしてきたのも初めてだったと思った。私はお幸せに、ばいばい、となんとか告げて改札に向かって歩いた。これで全て終わったのだ。
 これからその人は「やり残したこと」を終えてすっきりとした心持ちで奥さんのいる家へ戻るのだろう。毎日奥さんを抱きしめ、頭を撫でて手を握り、これからも素敵な日常を過ごしていくのだろう。


 私はこの5年程、その人を信仰するように、復讐するように過ごしていた。
 しかし、それを全て終わらせられてしまった。
 もう私の心は、身体は空っぽになってしまったようだった。ただ、そんな身体に春風が吹き抜けるような心地がずっと続いている。もう信仰心も復讐の炎も穏やかになってしまっていて、ただ当初のその人を好きであった心だけがぽつりと残っている。極端な死にたいという衝動もないが、生きていたいという気力も意味もない。仕事も創作活動も何の意味もないように感じられる。ふとした時に涙が止まらなくなる。もう会うことのない人のことを思って。

 とにかくその人と出会えたことが、何よりも幸福だった。



 不都合があったら消します。嫌になった時も消します。

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