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愛されたかった人生でしたーー道はひとつではないから

お若い方が、SNSでの誹謗中傷をうけて亡くなられました。

「愛されたかった人生でした」という言葉をSNSに残されています。その気持ち、わかりますよね。愛されたかったなぁ、、、、その願いは、誰もがもってますよね。愛されないかもしれないという不安も誰もがもっていますよね。もう愛されないんだという絶望にたたれた方の気持ちを思うと、とても悲しくなります。

1人の人間のなかに光も闇もあり、そのどれが出てくるかは、1日のなかでも移り変わるといいます。絶対的に光のいい人と絶対的に闇のわるい人がいるわけではありません。自分は正しいと思っている人のなかにも闇もあり、自分はわるい人だと思っている人のなかにも光はあります。

だけど、テレビやメディア、SNSは絶対的な正しさがあるような(あるいは絶対的な悪が)演出をして、わたしたちはそれに慣れすぎてしまったのではないでしょうか。

他者を善悪の二元論で断罪していく習慣がつくと、いつかそれは自分のことを断罪しはじめるのではないでしょうか。それはお互いを弱らせますよね。震災を経て、コロナを経て、わたしたちはお互いにどういう風につながっていきたいのか、考え、そして選ぶ時期にきているんだろうなと思います。

大切なことは、1人の人のなかに善悪があるのがあたりまえだということです。1人のひとのなかにいろいろな面があります。ことばと心が違うこともあります。去年と今年で変わることもあります。本当のことは、深く深く関わった人でないとわからない。そういうものですよね。。。

それを受容できるようになることが大人になることではないでしょうか。人間も物事ももっと複雑です。裏側があります。情報ばかりが複雑に届けられるようになり、肝心の人間や物事の複雑さを把握できないようになったら、それは本末転倒ですよね。

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これができなければダメだ、この人と別れたらダメだ、この会社に入れなければダメだ、第一志望に合格できなければダメだ・・・・

時々そう思いつめることがありますよね。頑張っている人ほど、夢をもつ人ほど、努力している人ほど、、、、でも、これじゃないとダメだなんてことはないんですよね。これができないから自分はダメだなんて、思わなくていいんです。

道はいくらでもあります。「疑う」ことも悟りの1つ。運命も、直感も、ご縁もあるかもしれませんが、人の意志の方が強いですよね。

これができなくても、この人と別れても、この会社に入れなくても、第一志望に入れなくても、次の道をみつけることができるし、それを正解にしていくこともできる。そういうことが可能なのが人間の力だと思います。

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コロナを経て、世界は少しずつ他の人のことを考える人たちが増えてきたように思います。まだまだかもしれないけど、それでも昔よりもそういう人たちが増えてきていると思います。だから、きっと大丈夫だと信じて。もし今辛いと思う方も、きっと道は1つではないから、自分を守るために力をつくせますように。

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