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「戦場にかける橋」あらすじ解説【デビット・リーン】

1957年の作品です。ナショナリズムとグローバリズムについての先駆的な考察を進めている作品です。


あらすじ

硬骨漢ニコルソン大佐

ニコルソン大佐はイギリス軍人。男です。

日本軍の捕虜になります。将校も労働しろと言われます。ジュネーブ条約をたてに拒絶します。殴られます。でも屈しません。

怒った日本人軍人にプレハブに閉じ込められます。

死ぬほど暑いです。「オーブン」と言われているくらいです。干物みたいになっちゃいます。

でも屈しません。自分たちの文明の価値を信じているからです。結局自分の主張を通します。所長の敗北です。所長は悔しくて枕を涙で濡らします。捕虜のくせに敵に勝つのです。

結局橋づくりの主導権を握ります。日本人技師がヘボだったというのもありますが。ダレきったイギリス軍兵隊たちを立て直すために、本気でタイ=ビルマ間の鉄道建設に取り組みます。

幸いイギリス人捕虜にはいい技師が居ました。本格的な橋を設計。納期に間に合わせるために病人にも軽作業をやらせます。捕虜全員一丸となって見事に橋を仕上げます。

兵隊たちも満足します。打ち上げパーティーではリラックスして楽しみます。ニコルソン大佐は兵隊たちの働きのすばらしさを褒めたたえます。最後に皆で国家斉唱です。

いいボスですね。理想の上司です。古き良きイギリス人です。人間は目標がなくなるとダメになります。ニコルソンはそれがわかっています。彼の元で従軍すれば、どんな人でも心身ともに立ち直ることができそうです。

本人も、軍人生活で殺戮、破壊ばかりやってきたので、橋を建設できて満足しています。もっとも批判がないわけでもありません。軍医クリプトンは、敵の鉄道を立派に作るのは反逆行為だとまで言います。サボタージュするべきだと。

でも「敵の人間を手術するとしたら努力せずに殺すか?」と言われると反論できません。

医者が目の前の患者の救命を最優先するのと同様、管理者ならば兵隊の心身の健康を最優先するのが職業倫理だからです。

決死隊

ところが捕虜になっていないイギリス軍の連中は、橋の破壊を計画しています。当然ですね。鉄道が機能しはじめたらイギリスが不利になりますから。

実はさきほどのイギリス軍兵の捕虜収容所にはアメリカ人が紛れ込んでいました。一人だけ脱走に成功したので橋攻撃のイギリス部隊に加えます。

他にカナダ人の若者も入れます。

率いるのはケンブリッジで語学を教えていた軍人。

頭は良いのですが爆弾マニアの危険な人物です。
決死隊一行は隊長が足を怪我しながらもなんとか目的地に到達。

夜になったのを見計らって橋に爆弾装着します。翌日日中列車が来ますから、そのタイミングで爆破する予定です。

その時橋を造った捕虜たちは、満足感に満ちて国家斉唱をしています。皮肉なものです。

そして運命の日、傷病人以外の捕虜を無事別の収容所に出発させた硬骨漢ニコルソン大佐、橋を見て異変に気付きます。川まで下りて行って、導火線を見つけます。

日本人の収容所所長と調査するのですが、飛び出してきた決死隊のカナダ人に所長はやられます。

これはいいのです。連合軍と日本軍の戦いですから。

せっかく作った橋を破壊されたくないニコルソン大佐は、決死隊のカナダ人ともみ合います。

カナダ人は日本軍の銃弾に当たって死にます。これもまあ敵との闘いです。

隠れていた決死隊のアメリカ人はたまらず飛び出して起爆装置に駆け寄りますが、これも日本軍の銃弾に当たって死にます。

これも通常の戦闘です。
しかし問題はアメリカ人が死ぬ間際にニコルソン大佐(旧知の人物です)に気付き、憎悪の目でにらむことです。

「私は何のために(橋を作ってきたのか)?」 とショックを受けるニコルソン大佐です。

決死隊隊長ウォーデン少佐は迫撃砲で援護しています。

砲弾がニコルソン大佐の背後に落下します。

ニコルソンは負傷してフラフラになり、

起爆装置に倒れこみます。

スイッチオン。橋は爆破されます。

ニコルソン大佐と配下の努力は全部ムダになりました。

では決死隊は勝ったのか。いいえ、隊長以外はみんな死にました。しかもニコルソン大佐は隊長と同じくイギリス軍です。迫撃砲で同胞を殺してしまいました。さすがに気まずくて、隊長は手伝ってくれた現地人にわけのわからん言い訳をします。

元々彼らは捕虜ですね。なんにも理屈になっていません。現地の人もドン引きです。
(あらすじ終わり)

捕虜団と決死隊

橋を作る捕虜たちと、橋を破壊しようとする決死隊は、当然ですが対になっています。

こういう対を作るときは、右側の一人が左側の一人、という感じで1対1対応で考えることが多いのですが、本作はわりとランダムでして、ただし集団対集団という意味ではきれいに対を作っています。対の作成としては上級者と言えます。問題は赤の部分です。

最後に英国国家を斉唱する捕虜部隊は、ナショナリズムの集団です。アジアに自国の文明を広げられたと満足しています。一方で橋を破壊しようとするのは多国籍部隊です。決死隊隊長ウォーデン少佐からして多国語話者です。配下はアメリカ人、カナダ人、それに現地人男性も居ます。

本作では日本人俳優早川雪洲が見事な演技を披露しますが、我が大日本帝国陸軍は残念ながらただの背景です。学芸会で言えば電柱役くらいです。寂しいものがあります。本筋は、イギリス軍内のナショナリズム部隊とグローバリズム部隊との闘争です。

ナショナリズム部隊は、とにかく与えられた仕事に忠実に取り組むことによって、健全な精神と肉体を獲得しています。でも、戦略的に見れば確かに反逆です。ほうっておけば日本軍は橋を完成できませんでした。技術者のレベルが低かったですから。でも真面目に取り組んで、日本軍には出来ないような立派な橋を作ってしまった。真面目に取り組んだから部隊の健全さは回復できたのですが、敵への助力であるのは間違いありません。

グローバリズム部隊は、戦略的には正しいです。しかし隊長以外はみんな死にますし、捕虜団のボスのニコルソン大佐も殺します。捕虜団の傷病人は列車で運ぶ予定でしたが、列車も線路も破壊したのでもう無理です。グローバリズム部隊のやっていることは、直接的には英国国民をひたすら追い詰める活動です。
配下の連中も例えばアメリカ人は、

元来二等兵なのに階級詐称して中佐になりすましています。ごまかすために少佐待遇で決死隊に加わります。
カナダ人は、元は会計事務所に居ましたが、コツコツ仕事が嫌いなタイプです。

人間的にはナショナリズム部隊のほうがはるかに上です。でもいざという時の奮闘ぶりは、グローバリズムの決死隊は頼りになりますね。そのグローバリズム部隊はナショナリズム部隊の見事な達成を破壊してしまう。加えてグローバリズム部隊もほとんど死ぬ。グローバリズムは人を幸せにしません。でも目的合理性はやはり高いのです。

なかなか見事にナショナリズムとグローバリズムの問題点を表現できています。1957年です。終戦が1945年ですから12年後です。最も先駆的なグローバリズム批判と言えるのではないでしょうか。
もっともナショナリズムを良いとは言っていません。両方問題ありと言っています。

アーロン収容所

イギリス人たちは公開当時に、このように読解できたのかもしれません。アメリカ人、カナダ人にも理解できた人は居たでしょう。しかし日本人には本作は分かりづらい。「イギリスのナショナリズム」を好意的に見れないからです。例えば本作の公開後の出版ですが、「アーロン収容所」という本があります。

こちらは控え目に言って、日本史上トップレベルの名著です。著者はイギリス軍の捕虜となり、その時「西洋文明の正体」を体感します。エグい正体でした。契約を守るという事は評価しています。イギリス兵が豪州兵よりは程度が高いことも書いています。でも全体としてはイギリス嫌悪に染まっています。読んだ日本人は、本作のナショナリズム部隊に対しても評価をしにくくなります。そんなの本人たちが思っているだけのナショナリズムの良さだろう。イギリス人の妄想の産物だろう。アジア人蔑視の上に成り立っている砂上の楼閣だろう。そして「戦場にかける橋」は、丁寧に描かれているナショナリズム部隊とニコルソン大佐の良さを視聴者が感じなければ、意味が全く取れなくなる作品です。

実は私もイギリス人の嫌なところ体感した経験があります。バンコクに居ました。ホテルの前でした。(発音と身なりから判断したのですが)イギリス人のおにいちゃんが、ラリってはじけていました。日本では見られない姿、明らかに現地人たちを軽く見ているからこそ出来る姿でした。西洋人の野郎・・・猛烈に腹が立ちました。自分がヘナチョコであるのも忘れて、無理してシャキっとして、いかもに「俺は誇り高き日本人だ、もう一遍やるか!」という感じで、すぐそばを通りました。おにいちゃんは私の主張を理解したようです。嫌そうな顔をして大人しくなりました。しかしおにいちゃんのことより、自分がそこまで腹を立てたことの方が私にとって驚きでした。本能的な、突き上げるような、生涯最大級の怒りでした。

連中は日本人相手には少し抑制していますが、やっぱり根底ではアジア人を馬鹿にしているのです。アジア人に対してはジェントルではないのです。そのことは事実だろうと思います。

しかしだからといって、その感情に溺れて作品の意味が取れなくなるのではダメですね。われわれ、敗戦国ゆえの感情で愚かになっている部分が多分あります。
イギリスは戦勝国です。しかしアメリカのように我が世の春というわけではない。勝って逆に苦しんだ。そんな国だったからこそ指摘できる問題点が確かにありました。それは66年後になってみると、最も重要な問題でした。敗北の屈辱も、勝利の手放しの喜びも無かった分だけ、事態を冷静に観察できていたのですね。全てを見渡す中間管理職の洞察力ですね。

作品解説は以上です。以下リーン監督の評価について。

デビット・リーンについて

デビット・リーンはさほど評価されていません。蓮實重彦さんが悪く言いましたから。「絵葉書だ」とか。彼は昔ミハルコフのオブローモフも「構図が古典的だからダメだ」と言っていました。

40年以上経過しても自然光の撮影という意味ではこれ以上の映画は出現していません。間違った批判だと思います。もっともそういう趣味の人も居てもそれはそれで別に良いと思います。ただ本人がブランドになってしまって、映画に興味の無いインテリがむやみに蓮實重彦を持ち上げるのでおかしくなります。蓮實重彦はかなり変わった鑑賞家です。

1、耳(音、音楽)に無関心
2、絵の構図や美術に無関心
3、カメラワークには関心がある
4、撮影技術に無関心
5、演技の良しあしに無関心
6、脚本の重層性には関心がある

映画と、その前身にあたる絵画、演劇、オペラ、バレエなどとの関連の考察が浅いのです。映画の最も特徴的な部分はカメラワークですから、それを重視するのは結構ですが。
デビット・リーン監督は、選択する音楽はたいてい良く、ただ作中での使い方は最高レベルではありません。コッポラや宮崎駿に比べれば落ちます。
絵画的な構図は非常に優れています。
カメラワークとしての奇抜さはありません。
演技指導は破綻が少ないですが、やや紋切り型で複雑なキャラは表現しにくそうです。「戦場」は主演が良いので救われています。
そして脚本内容が今日の情勢を考える上で重要なものなのですから、トータルでは超一流と言っていい作家です。

前述のように、カメラワーク、画面の切り替えなどは標準的です。しかし一画面一画面の構図が綺麗に決まっていますから、結果的に画面切り替えの際に発生するストレス(これは映画鑑賞中の最大のストレスです)を極端に低くすることが出来ている。日本でいえば小津や細田の心地よさを持っています。

デビット・リーンは次回作の「アラビアのローレンス」ではアラブ問題を、「ドクトル・ジバゴ」ではロシア革命を取り扱っています。今最も見られるべき監督という気がしています。優れています。




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