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物語構成読み解き物語・14

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「夏の夜の夢」も手間取った。シェイクスピアは表面に見えてるよりも奥が深い。流石に天才である。わけのわからんところで、ものすごく密度の高い仕事を入れ込んでいる。

シェイクスピアはまだまだ研究中である。昔は実は軽くバカにしていたが、今読むと凄い。「普通のよく出来た演劇」の一段上を必ず目指す。彼のモチベーションがわからない。ゲーテはシェイクスピアを目標に出来たから作品に凝ることができた。彼自信はなにが目標だったのだろう。
「夏の夜の夢」でも海外交易だの、乱交パーティーの暗示だの、親の権威失墜だの色々埋め込んでいる。埋め込んだ結果面白くない作品に仕上がっているのだが、それでも現在でも有名作品ということは需要があるのだろう。なんのかんので勝ちに持ってゆく力が強い人である。

その後「ジュリアス・シーザー」と「マクベス」も解析やって、尊敬心は深まった。章立てもかなり戦略的である。後世の編集者が無神経に章立てしたのでわかりにくくなっているが、今後研究に値する。

なるほどこういうのを基礎教養として持っているのだから、英米には「闇の奥」とか「ギャッツビー」とかが発生してくるはずだ。文学力が育って結果としてアングロサクソンの政治力は増大してゆく。政治力と文学力は、だいたい比例するのである。実際に鑑賞するとシェイクスピアよりもドストエフスキーのほうが面白いし、そもそも私がシェイクスピアをやったのはゲーテを読むためだ。だが社会としては天才が一人いるよりも、全体の水準が向上するほうが重要である。気楽に鑑賞でき、かつ十分な密度のシェイクスピアを持つことにより、英米人は少数のインテリだけでなく、幅広い層の人々が文学的洞察を持つにいたった。そのような社会は強い。

ほかのところで論じたが、
シェイクスピア:1600年ごろ
金匠手形(紙幣発行):1640年ごろ

という2つの現象は関連がある。

そして同時に
出雲の阿国:1600年ごろ
伊勢の山田羽書:1610年ごろ

という2つの現象も関連がある。

素直に考えれば1600年ごろ、文芸の発達→識字率の向上→紙幣の発生という現象がユーラシアの両端で同時に起こったことになる。
人は「絵に書いた餅」を馬鹿にする。しかし同時に「紙に書いた数字」を崇拝する。それが通貨の額を表す数字ならばである。そうなったのは実はかなり新しく、多くの人々が紙に書いた数字を読めるようになってから、つまり1600年くらいからである。日本はその時点から世界の先端であった。

もっとも江戸時代の科学技術の発展は物足りない。不十分だったからペリー来航で大騒ぎになった。それは

1、縦書きなのでアラビア数字を導入できなかった。漢数字縦書きは視認性に劣る
2、漢字かなまじり文なので活字製造が難しく、活版印刷は発展できなかった。

2点が主な理由である。封建制も鎖国も、科学技術の発達不足と無関係とは言わないが、ウェイトは低いと思われる。現在縦書き問題は自動的に解消された。スマホが文字デバイスの主役となったからである。

一方で活字問題、現代に置き換えればフォント問題だが、これは日本文明が続く限りつきまとう問題である。漢字かなまじり文はアルファベットの学びやすさと、漢字の読みやすさを併せ持つ最強のシステムである。だがアルファベットが26文字×2(大文字小文字)+数字+記号いくらを開発すればよいのに比べて、開発にやたらと手間がかかる、そこだけが欠点である。国家が毎年大きな予算をつけて、継続的に研究してゆくべき課題と考える。他国文化より大きなメリットを持つ裏返しで、大きなデメリットもまたあるのである。

「夏の夜の夢」から話題がずれた。しかしこういう視点を持たなければ、シェイクスピアの存在意義はよくわからないはずである。最初に出版されたシェイクスピア全集、ファースト・フォリオは1623年刊行、無論活版印刷である。

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