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はやくゆうれいになりたいゆうれいは花をたべると姉がいうから/ 永汐れい(東京歌壇 2021.10.24)

はやくゆうれいになりたいゆうれいは花をたべると姉がいうから
/ 永汐れい

ゆうれい。
初めて東京新聞の紙面(正確には、デジタル版だけど。)でこの一首を見たときは、びっくりした。

ゆうれいは、誰なのだろう。

文脈からいくと、姉はゆうれいの生態(おそらく死者だけど。)を知っているらしい。主体に「ゆうれいは花をたべるんだよ」と話して聞かせたのだろう。

では、何のために?



嘘をつくことは悪だろうか。

誰かが大切な誰かのために嘘をついたとして、それは責められることなのだろうか。

大切なひとを傷つけないように。或いは、未来にちいさな希望の火をともすために。
そんな思いから発した嘘は、守ることとイコールで結ばれるように思う。

姉は、もしかしたら、ゆうれいを怖がる幼い主体に「ゆうれいはね、花をたべるんだよ。だから怖くないんだよ」と話して聞かせたのかもしれない。

だから、怖くないんだよ。



この歌に出てくる漢字は、花と姉だけ。

主体が「なりたい」と憧れるゆうれいとは、どんなものだろう。

花をたべるというゆうれいは、既に恐怖の対象ではなく、主体にとってうつくしい羨望の存在となっている。

長い髪。白いワンピース。夜の月明かりに同化してぼんやりと姿が透けているゆうれいは、花びらを口もとに溢れさせているのだろうか。

想像すると、そこには美しさと儚さ、もの悲しさしかない。



姉は、誰なのだろう。

ゆうれいは花をたべるのだと語った姉は、果たして、ほんとうに主体の姉なのだろうか。

もしかしたら、姉の語るゆうれいこそ、姉自身なのではないだろうか。

どうかわたしを怖がらないで。

そんな風に思ったゆうれいが、姉なのだとしたら。

#短歌

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