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はやくゆうれいになりたいゆうれいは花をたべると姉がいうから/ 永汐れい(東京歌壇 2021.10.24)
はやくゆうれいになりたいゆうれいは花をたべると姉がいうから
/ 永汐れい
ゆうれい。
初めて東京新聞の紙面(正確には、デジタル版だけど。)でこの一首を見たときは、びっくりした。
ゆうれいは、誰なのだろう。
文脈からいくと、姉はゆうれいの生態(おそらく死者だけど。)を知っているらしい。主体に「ゆうれいは花をたべるんだよ」と話して聞かせたのだろう。
では、何のために?
※
嘘をつくことは悪だろうか。
誰かが大切な誰かのために嘘をついたとして、それは責められることなのだろうか。
大切なひとを傷つけないように。或いは、未来にちいさな希望の火をともすために。
そんな思いから発した嘘は、守ることとイコールで結ばれるように思う。
姉は、もしかしたら、ゆうれいを怖がる幼い主体に「ゆうれいはね、花をたべるんだよ。だから怖くないんだよ」と話して聞かせたのかもしれない。
だから、怖くないんだよ。
※
この歌に出てくる漢字は、花と姉だけ。
主体が「なりたい」と憧れるゆうれいとは、どんなものだろう。
花をたべるというゆうれいは、既に恐怖の対象ではなく、主体にとってうつくしい羨望の存在となっている。
長い髪。白いワンピース。夜の月明かりに同化してぼんやりと姿が透けているゆうれいは、花びらを口もとに溢れさせているのだろうか。
想像すると、そこには美しさと儚さ、もの悲しさしかない。
※
姉は、誰なのだろう。
ゆうれいは花をたべるのだと語った姉は、果たして、ほんとうに主体の姉なのだろうか。
もしかしたら、姉の語るゆうれいこそ、姉自身なのではないだろうか。
どうかわたしを怖がらないで。
そんな風に思ったゆうれいが、姉なのだとしたら。
2021/10/24 東京歌壇(東直子選)に掲載していただきました!
— 永汐れい (@rei_nagashio) October 23, 2021
はやくゆうれいになりたいゆうれいは花をたべると姉がいうから/永汐れい pic.twitter.com/1EqAtcjwVv
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