書籍が映画化されている背景

書籍が映像化される場合とは、そのほとんどにおいて、小説が映画化されることになる場合、と言ってしまってもいいのではないでしょうか。

このことは、劇映画というものが登場して以来、ずっと以前から世界各国で行われてきたことですから、ここ最近になった始まった、ということではありません。

演劇の場合と同じように、映画の台本というものは脚本という形で作られるものなのですが、このような場合には、小説という原作を元にして作られるものであるために、その原作を脚色するという形で映像化が行われる、という運びとなるわけです。

このようにして、書籍が原作となっている作品を映像化するという場合には、その大筋というものは原作小説そのものによって既に決まっているわけなので、その意味では、製作者にとってはオリジナルなストーリーを新たに作り出さなくても済む、というメリットがあることになります。

もっとも、場合によっては、原作のストーリー展開をあえて変えてしまう、ということもなくはないのですが、そうした場合であっても、原作小説によるストーリーの骨格というものが元にあるわけですから、全くのオリジナル脚本を作成する場合に比べれば、その脚本作りはかなり楽な作業になる、と言えるのではないでしょうか。

また、その作品形態という面から比較してみた場合には、読者が時間枠の制約を受けることのない、書籍という媒体による原作小説に対して、映画というものは、あらかじめ上映時間枠という制約のある作品形態であることから、どうしても原作に対するダイジェスト版という形になってしまう、という基本的な性格があります。

この点で、同じ映像化作品ではあっても、原作のサイズにほぼ同期させることができる、テレビでのシリーズドラマ化との大きな違いがあることになるのですが、一方では、観客にとっては、そのこと自体が原作小説をダイジェストとして、限られた時間内での映像として観ることができる、というメリットにもなることから、まずは映画を観てからその原作を読んでみる、という人も少なくないわけで、小説という書籍が映画化されることの多い背景には、こうした人々の要望に応えることができる、という要素も大いにあるというわけなのです。

もちろん、その作品のエッセンスは共有しながらも、文章で書かれていた作品を、映像と音楽、さらには実際の人(俳優)による表現、という視聴覚的な作品として表現し直されていることで、原作とはまた違った趣を楽しむことができる、という要素があることも、その重要なポイントであるわけなのですが。

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