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私の押入れ〜あの日のこと。〜

私はあの日、埼玉にいた。
当時のサポートのギターの家で「コンドームをつけないこの勇気を愛してよ。」の鍵盤とベースのレックをしていた。
あの頃もお金のない一人バンドだったから宅録ばかりだった。

地面が大きく揺れて、それが何回か繰り返される中、大事になるなんて思っていなかったからそれでもレコーディングを進めていたっけ。
揺れが続いて、心配になってテレビをつけると混乱した状態が画面には流れていた。
テレビのCMはACジャパンしか流れなくなるし、携帯が繋がりにくくなって恋人と連絡が取れなくて心配になった。
彼と電話が繋がらなくて、一時間後にやっとメールが返って来た時は安心をした。
恋人は「そこまでひどかった?」そんな感じだったが、本当はその当時に別にも彼女がいて、その子には一番に心配の連絡を入れていたことに知ってしまった時には何だかよく分からないが彼に対しての諦めがついた。

あの頃はまだ横浜の実家に住んでいて、電車が止まってしまった私やサポートメンバーはギターの家から出れない状態で朝を迎えた。
夜ご飯を求めにコンビニに行くと食べ物も電池も水も全然売ってなくて、残り物のカップラーメンを買った。4人でほとんど眠れないまま朝を待った。
自分たちよりも東北の方が凄いことになっている。電車が止まっているくらいなんて大したことない。

朝方になってやっとJR以外の地下鉄などが動き出した頃、私とサポートメンバーは恐る恐る電車に乗り、埼玉から帰った。
ブーツを履いていたことに後悔した。こんなことならスニーカーにしておけば良かったって。
帰る途中、何度か携帯に地震警報の音が鳴り、その都度電車が止まった。
ここで死ぬの?このまま電車に閉じ込められてしまうの?そんな不安を思い出す。

地震がきっかけで、バイト先も暇になりバイトをクビになった。
あの時も音楽は結局、その瞬間には役に立たなくて各々のミュージシャンがどうしたらいいのか考えながら発信をしていた。
あの頃はまださめざめはもっと無名で売れてなかったから。
ライブもなくなったし、周りのミュージシャンもこのタイミングで人生を変えた人もたくさんいた。
新しく決めたバイト先は恋人の家の近くの大学で新入生に教科書を売る短期バイトだった。
そんな時だからこそ、恋人の近くにいたかった。

夜、恋人の部屋で横浜市にも停電があるというニュースを真っ暗な部屋で怖がりながら二人で観ていたのを思い出す。
なんて怖い世の中になってしまったんだろうと。
でも恋人がいて良かった。って思ってたけど、数ヶ月後にもう一人彼女がいたことに気づいて、あの時の尊い気持ちはなんだったんだろうと思い知った。
浮気をされていたとしても、恋人がいないよりいた方がマシだったのか。
浮気されずに一人でいた方がマシだったのかは分からないが。
それでも怖がる心を支えてくれる人は必要だと思う。

私の311の記憶は他の人に比べたら大したことない。

今日、テレビで黙祷の時間に体が大きく揺れる感覚を味わった。
本当に地震かと思ったけど、地震ではなかった。

あの日のこと、私は私の思い出として鮮明なまま。

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