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『勉強』が足りない。

人生で受験をしたのは一度だけ。
高校受験。ただ人と少し違い、スポーツ推薦ありきの受験だった。それでも念のため滑り止めの私立も受けてどちらも無事合格。

中学生の頃は剣道部で、神奈川県でそこそこ強かったので高校も県で一二を争う名門校に行った。

その高校を選んだ理由は。
・剣道が強かった
・お勉強ができなくても入りやすかった
・制服が可愛かった

この3強だ。

姉が剣道でとつてもなく有名で国体選手になるレベルだったので、その妹としては姉に及ばずともそれなりの学校で活躍したかった。
ただ頭が悪かったので、入りやすい高校が決めてだった。

川崎市立橘高等学校。

今では国際科もできて、偏差値も高いようだが当時は剣道部とバレー部以外は近所の子たちが通う市立だった為、ギャルとギャル男がほとんどを占めていた。

授業も超絶ゆるかった。
中学生の頃よりも英語のレベルは落ちた。
This is a pen.レベル。
自分で選ぶ項目の授業では勿論音楽を選んだ。

でも音楽の授業という名の自由時間。
昼寝してる子もいれば、お喋りしてる子、クラブで朝まで遊びパラパラを練習してるギャルに囲まれていた。

なので中学生の頃から学力はレベルが上がるどころか低下した。
とりあえず剣道のことだけを考える日々。
夏休みの宿題で英語の単語を書くという小学生のくもんレベルの宿題は、母親がやってくれていた。
今思えば子供ながらにひどい。
母親に宿題やらせてたなんて。

おかげで私は学力のない子に育ち、大人になりかなり困った。
ある意味それがコンプレックスでもある。

高校生の途中から剣道でレギュラーにもなれなくて剣道人生を諦めた。
姉のように強くはなれなかった。
誰からも姉と比べられもしない自分の力を恥じた。
姉は体格が良くて才能もあったし素晴らしく強かったが、私は小さくて力もなくて素晴らしいほどそれなり。

そこらへんの剣道部に行けばレギュラーだったと思う。でもインターハイに行く学校では私は無力で3年間で一度も公式戦に出ることなく、稽古だけをし続ける日々だった。それでも一応、3段。

子供ながらに推薦で行った限りは辞めるなんて親に申し訳なくできなかったし、同期がみんな強過ぎて早い段階で私はレギュラーになることを諦めて、部活が終わって自宅に帰っては夜な夜なギターを弾き歌い出した。

部活の先生の悪口をSPEEDの曲で替え歌をつくり友達に聴かせ、友だちが失恋をしたら失恋ソングを作りみんなの前で歌った。

高校で初めてオリジナルソングを作ったときに、3コードで曲ができることを自らの手で初めて知り興奮を覚えた。
曲を作り出したら楽しくて止まらなくなって、父が買い与えてくれたスクラップブックに作詞作曲した作品をたくさん留めた。

剣道の挫折があったからこそ音楽に逃げた。
逃げた場所にたまたま自分の居場所があっただけ。自分にとっての『一生もの』に思春期に出会えたのは最高に運が良かった。

だとしても、この受験シーズンになると
自分がいかに勉強してこなかったことを思いだす。勉強を楽しいなんて思ったことがなかったし、過ぎてから気づくけど本当にもっと勉強しておけば良かった。

なのでまだ学生の人がこのnoteを見ていたら、勉強しなくて後悔してる大人がここにいることをなんとなく知ってほしい。

だって、この前【文言(もんごん)】を【ぶんげん】と読み、【足袋(たび)】を【あしぶくろ】と読み間違えてみんなに笑われてしまったのだから。

マジで恥ずかしかった。

勉強が足りない、まずは漢字ドリルからやりましょうかね。

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