見出し画像

ちっちゃな王子さま(超意訳版『星の王子さま』) vol.14

ⅩⅩⅡ

 次に出会ったのは鉄道員で、線路のポイントを切り換える役目の人だった。
「こんにちは」
「ええ、こんにちは」
 王子さまがあいさつをすると、鉄道員はていねいに答えた。
「ここで何をしているの?」
「お客さんを千人ごとに、仕分けしているんですよ」
 鉄道員はそう言って、目の前の装置を示してみせる。
「ここで私が送り出した列車が、千人のお客さんを乗せて運んでいくんです。ひとつは右の線路に、その次は左の線路に、ってね」
 そのとき、まぶしい光を放つ特急列車が猛スピードでやってきて、雷のような音を上げて鉄道員のいる小屋をふるわせた。
「ずいぶん急いでるみたいだね……あの人たちは何を探してるの?」
「運転手だって、それをわかっちゃいませんよ」
 鉄道員はそう言った。
 また雷のような音が……今度は反対側から聞こえて、特急列車の光がきらめいた。
「あれ、もうもどってきちゃったの……?」
「あれはさっきとは別のやつですよ」
 鉄道員は答える。
「逆方向から来て、反対側に行くんです」
「あの人たちも、自分のいたところに満足できなかったの?」
「自分のいるところに満足できるなんてこと、ありえませんよ」
 それからまた、三つ目の特急の光、雷みたいな音。
「今度のは、最初の旅行客を、追っかけてるのかな?」
「いやいや、なんにも追っかけてなんていませんよ」
 鉄道員は首をふる。
「中でねむってるか、あくびをしてるんでしょうよ。窓ガラスに鼻をおしつけてわくわくしているのは、こどもたちだけです」
「こどもたちがだけが、何を探しているのか、わかっているんだね」
 ちっちゃな王子さまはうなずいた。
「ボロボロのぬいぐるみを抱きしめて。彼らはそのぬいぐるみに時間を費やしたから、それはなくてはならない大切なものになってる。だからだれかがそれを取り上げようとすると、彼らは泣くんだね……」
「こどもたちが、うらやましいですよ」
 鉄道員はそう言った。


ⅩⅩⅢ

「こんにちは」
 ちっちゃな王子さまは言った。
「やあやあ、こんにちは」
 答えたのは商人だった。彼は「のどがかわかなくなる」というすごい薬を売る商人だった。週に一度この薬を飲むだけで、あとは一滴の水を飲む必要もないってわけ。
「どうしてそんなものを売ってるの?」
 王子さまはたずねた。
「考えても見てください。これはたいへんな時間の節約になるのです!」
 商人は言った。
「専門家に計算させましたところ、なんと、週に53分もの節約になるとのことです!」
「ふーん、それで、その53分で何をするの?」
「何って……そりゃあもちろん、あなたが望む何でもできますよ! 時代はコストパフォーマンス! 無駄な時間など一秒だって使っていられないのです!」
(ボクだったら、)
 ちっちゃな王子さまは思ったんだ。
(53分かけて、のんびりと歩いて、水飲み場に向かうのに使うだろうなぁ)

画像1


ⅩⅩⅣ

 それはぼくの砂漠での飛行機の故障から八日目のことで、その商人の話を聞いていたのはちょうど、たくわえの飲み水の最後の一滴を飲み干してしまったところだった。
「あのさぁ!」
 ぼくは王子さまに言った。
「実におもしろいよ、君の話はさ。だけどね、まだ飛行機の修理ができてないし、飲み水はもう一滴もないんだ! ぼくだって、できることなら、水飲み場に向かってゆっくりと歩いて行きたいもんだよ!」
「ボクの友達のキツネはさ……」
 王子さまはまだぼくに話そうとする。
「なぁ、いい子だからさ……もう、ぼくらは、キツネどころじゃないんだよ!」
「なんで?」
「のどがかわいて死んじゃうからだよ……」
 王子さまにはぼくの言ったことが理解できてないみたいだった。
「もし死んじゃうとしても、友達がいるってのは大事なことだよ。ボクはさ、キツネと友達になれて、とても良かったと思ってるんだ」
(今がどれだけ危険な事態なのか、わかっていないんだな)
 ぼくは心の中でそう思った。
(きっと、飢えたことも、渇いたこともなかったんだろう。ほんの少しの日光さえあれば、十分だったんだ)
 けれどあの子はぼくを見つめて、ぼくの思いに答えるようにこう言ったんだ。
「うん、ボクものどがかわいたな……じゃあさ、井戸を探しに行こうよ」
 ぼくはやれやれと肩をすくめた。この広大な砂漠で、でたらめに井戸を探そう、なんてのはナンセンスだ。だけどとにかくぼくらは、歩くふりだけでもしてみることにしたんだ。
 何時間か無言で歩くうちに、やがて夜が訪れ、星がぼくらを照らし始めた。それはまるで夢の中のようだった。のどのかわきのせいで、いくらか熱に浮かされていたのかもしれない。僕の脳内で、王子さまのこれまでの言葉たちが踊っていた。
「のどがかわいているの? 君も?」
 ぼくはあの子にたずねた。だけど、あの子はぼくの質問には答えないで、こう言ったんだ。
「水はね、心にもいいものなんだよ……」
 ぼくにはその言葉が理解できなかったけれど、でもだまっていた――あの子にはたずねてもムダだってことが、よくわかっていたから。
 あの子は、つかれているみたいだった。ふいに砂の上に腰を下ろした。ぼくもあの子のかたわらに座った。少しの沈黙のあと、あの子はまた話し始めた。
「星がきれいなのは、目に見えない一輪の花のせいなんだ……」
「そのとおりだね」とぼくは言って、それから何も言わずに月に照らされた砂漠の波を見つめていたんだ。
「砂漠がきれい」
 あの子は言った。
 本当にそうだった。ぼくはいつも砂漠のことが好きだった。砂漠の、砂丘の上に腰かける。何も見えない。何も聞こえない。それなのに何かが、静寂の中で輝いてるんだ――。
「砂漠が美しいのは、」
 王子さまは言った。
「どこかに井戸を隠しているからなんだ……」
 砂漠が神秘的に輝いていた理由が急にわかったことに、ぼくはおどろいた。幼かったころ、ぼくは古い家に住んでいて、家の下には秘密の宝物が埋まっている、なんていう言い伝えがあった。もちろん、だれもそれを見つけたことはなかったし、おそらくは探したこともなかっただろう。だけどそのことが、家全体に魔法をかけているみたいだった。ぼくの家は、その心の底に秘密を隠しもっていたんだ――。
「そうなんだ、」
 ぼくはあの子に言った。
「家も、星も、それから砂漠も、目に見えないもののおかげで美しいんだね」
「ボクはうれしいよ、」
 あの子は顔を輝かせた。
「君が、ボクのキツネとおなじことを言うなんて」
 そうしてちっちゃな王子さまはねむっちゃったから、ぼくはあの子を腕の中に抱いて、また歩き始めた。
 ぼくは感動していたんだ。とても壊れやすい宝物を運んでいるような気分だった。地球上で、これ以上に壊れやすいものなんてない、と思えた。
 月明かりの下で、ぼくは見たんだ。あの子の青白いおでこを、その閉じた瞳を、そして風にたなびくその髪を。
 ぼくは思った。
(ぼくに見えているのは、この子の見かけだけだ。いちばん大事な本当のところは、目に見えない……)
 あの子のくちびるがわずかに開いて、ほんの少し笑ったように見えた。
(ねむっているちっちゃな王子さまに、こんなにもぼくの心が締めつけられるのは、王子さまが花に対してまっすぐだからだ。あのバラの姿は、ねむってるときだって、ランプの炎みたいに王子さまの心の中で輝いているんだ)
 そう思うとより一層、王子さまが壊れやすく思えた。この子のランプの炎を、守ってあげなくちゃいけない。ほんのひと吹きの風で、かき消えてしまうかもしれないんだから――。
 こうして歩き続けて、夜が明けるころ、ぼくは井戸を見つけたのだった。

文章を読んでなにかを感じていただけたら、100円くらい「投げ銭」感覚でサポートしていただけると、すごくうれしいです。