脱・相対評価
僕がいちばん語りたいこと、伝えたいことは「相対評価で世の中を見るの、やめない?」ってこと。
他の人が配慮されていると「ずるい」って言っちゃうのも、そもそも社会全体が「よくなること」に抵抗するのも、相対評価、つまり「他人とくらべること」のせいじゃないかなと思うんだよね。
そしてそうだとしたら「相対評価の弊害」ってものすごくて、はっきり言ってしまえば「社会をだんだん悪くする」ことを推し進めてしまいかねない考え方、と言える。
自分が幸福だと感じていない人にとっては、周りの人が不幸であるほどいい。高齢の人にとっては、若い人は不幸なほどいい。ってなっちゃう。
実際のところ、日本では小学生のころからずーっと、「相対評価」の価値観にさらされている。
「あの子、クラスでいちばんなんだって」とか「僕は全然得意じゃないよ。○○くんの方がうまいもん」とか。
たまたま集まった中で何番目とか、どうでもいいことでしょ?
そんなだから、大人になってもみんなずーっと人とくらべている。
何かの数値が平均より上だと安心したり、だれかが上がろうとすると引きずり下ろそうとしたり。たぶん、多くの人が「絶対評価」をする能力がないんだと思う。そんな訓練受けてこなかったから。
そもそも比べるためには一律の基準で「点数化」する必要があるけど、それは矮小化に他ならない。その行為自体がくだらない、つまらない。人や、経験や、能力や、感情に点数をつけるのやめない?
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