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新・建築職人論

建築業界の職人社会は千年続いてきた。しかし人手不足や高齢化という問題を抱えている。この状況にあり、女性職人やコミュニティ大工といったかつてないタイプの技能者に注目し、これからの職人社会または建築界はどうなるかどうなるべきかについて問うた一冊。

自分も同業界だが問題に目をふせている

私自身建築設計を生業とし、筆者が問題視するような状況は耳にしている。だが深刻に受け止めているかというと正直そうではない気がする。建設現場にあまりいないのが原因かもしれないが、監理業務で現場に出ても外国人が多いなと時々感じるくらいで、問題視しているフリはするものの、職人不足や高齢化は業界外の人が聞くのと感じ方はあまり変わらないのかもしれない。
建築職人を希望する人が少ないというのはとてもよく聞く、私は現場の世界を知らないので無責任なことは言えないが、体力的にきつい部分は多いだろうし、そうだろうなという気がする。建築設計という仕事をしていながら、まったく無責任なやつだなと自分でも思う。

設計という仕事に何ができるか

この問題に対して建築設計という立場の自分には何ができるのだろうか。職人の仕事をリスペクトするというのはもちろんなのだが、まずいい仕事をするということなのではないか。ここでのいい仕事というのは、設計する側とつくる側が妥協することなく高めあっていいものを作るということである。言葉で書くと理想ばかりで絵にかいた餅のように感じてしまうが、それが理想の仕事だと思う。
では、設計と作るが違う立場の場合にそれが実現可能か。
建物を実現するプロセスは大きく分けて設計施工分離と設計施工一体型がある、

設計という仕事とは

本書のなかでも、設計という職能とものを作る職能について書かれている。本書でも建築設計事務所の誕生は明治時代にイギリスの影響を強く受けて誕生したとされているが、それまでは棟梁・大工にみられるような設計施工一式が主流であった。
マスタービルダーを目指したジャン・プルーヴェは理想の創作環境を商業的効率化を求められることによって失ってしまったと本書では触れており、現代においては情報技術の進展によって、プルーヴェが目指した創作環境は可能ではないかとしている。
この文脈において建築設計事務所の役割をどうとらえればいいのか、私は建築設計事務所とは業務をするための形でしかないのではないかと考えている、組織として設計施工一式をすることが可能で、社会(お客様)がそれを求めるのであれば、その形で問題ないと思う。
施工をもたない設計事務所、設計をもたない施工会社は仕事の度に手を組めばいいのだと思う、組織として同じ枠組みにいなければいい仕事ができない訳はなく、まさに情報技術の進展がテンポラリーなチームワークを可能にするのではないか。本書に触れるように施工はDIYが多くてもよいのかもしれない、社会(お客様)の要望や現場によってチームを組み立てることができる、そんな柔軟性を持っていることが大切であるように思う。
設計施工分離か一式かの議論は淘汰ではなく互いに発展していくことを目指すのがいいように思う。

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