BLという言葉を使わないようにしたい、と思ったことについて
このnoteは12/22に出しました下記の記事の中での自らの発言に関する、私自身の振り返りです。主に、記事に違和感を抱いた方に向けて、自分の考えていることをお話しさせていいただくことを目的に書いています。
このnoteは横川良明の考えであり、対談相手の吉田先生とは切り分けてお考えください。そもそも発言の発端は自分であり、吉田先生を巻き込んでしまった部分は過分にあると考えています。作品を愛したみなさんの気持ちを冷めさせてしまったことへの罪悪感は非常に強くあります。まずはそのことについてお詫びします。申し訳ありませんでした。
その上で、話を進めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
上記の記事内にある「原則としてBLという言葉は使わないようにしているんです。これはあくまで私の個人的な意見ですが、BLという言葉はちょっと性的なイメージが強くつきすぎている気がして」という私の発言に対し、BLというジャンルを愛する方が傷ついたり、この考え自体がジャンルに対する偏見や差別ではないかというご指摘を受けました。
ここでは、この発言に対する私自身の考えをもう少しだけきちんと説明し、またその中で自分自身に偏見があったかどうか、の内省をしたいと思います。
まず私自身の立場を改めて説明すると、私のここ数年の活動を見ている方はご存じかもしれませんが、BLというジャンルとは親しくしている方だと思います。主に実写BLと呼ばれる作品はだいたい見ています。タイのBLドラマもそのひとつです。
ただ、昔からこのジャンルに親しんでいたかというと、まったくそんなことはなく。きっかけは2018年の『おっさんずラブ』からです。当時のnoteにも書いていますが、右とか左もよくわかっていないところからのスタートでした。
また、2次元に関しては、私が漫画自体それほど多く読まないのもあって、ほぼ存じません。その中で購入しているのが『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』、そして『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』です。あ、あと『絶対BLになる世界VS絶対BLになりたくない男』も好きです。
なので、BLというジャンルは実に多様であり、どれもが性的描写の激しい作品ばかりでないことは知っています。また、性的描写が激しいからといって、作品価値が貶められるものではないとも考えています。個人的に、プラトニックなものも好きですし、ベッドシーンが出てきたら出てきたでいいぞいいぞと楽しんでいます。そして、言うまでもないですが、女性が性的なものを見て楽しむ行為を蔑視する気持ちはまったくありません。私がエロを楽しむように、誰もが健やかにエロを楽しんでしかるべきだと思います。
ただその上で、そうした性描写を含んだ作品に対しての受容度は人によってさまざまだと認識しています。人に布教する場合も、プラトニックなものに関してはポンポン誰にでもお勧めしますが、大胆なベッドシーンが含まれる作品に関しては、「わりとエッチな場面があるんだけど大丈夫?」と1回確認をとる、というかたちです。それは、自分が楽しいと思うものを、相手も同じように楽しいと思うとは限らない、と考えているからです。そして、過激なシーンは抵抗がある、という人の声も大切にしたいからです。
「BLという言葉はちょっと性的なイメージが強くつきすぎている気がして」という発言に関しては、一般的な目線(非BLファン)から見たときに、BLは性描写がわりと含まれるジャンルである、というイメージがあることを、自分の中ではひとつの事実として認識していました。それは私自身がBLをあまり知らない人にBLについて話すときにそういったリアクションを受けることが多かったことが、大きな根拠です。
そこで、先ほどの話に戻りますが、異性愛・同性愛にかかわらず、性描写を含んだ作品に対しての受容度は人それぞれであり、読者が BLと聞いたときにもし性的なイメージを想起し、作品の内容にかかわらずそういった先入観から遠ざかるのであれば、そこのフィルターは1回取り除いておいた方がより広範囲に興味を持ってもらいやすいかなという考えから、基本的にBLという言葉を使わず作品の説明をするようにしていました。
この感覚に、BLを否定・蔑視する気持ちはないつもりでしたが、BLを愛好されている方からすると、言葉狩りのような感覚を受けるというのは、確かにおっしゃる通りだと思いました。配慮をしているつもりが、別の人を差別していた、と言われても仕方ないと受け止めています。
また、上記の心情を説明するにあたって、「BLという言葉はちょっと性的なイメージが強くつきすぎている気がして」では言葉が足りなかったと考えています。
今回の記事を出して改めて感じたことですが、「BL」という言葉の定義の曖昧性です。BLと聞いて、読んで字のごとく男性同士の恋愛と捉える人もいれば、男性同士の性描写にスポットが当たった作品が浮かぶ人もいる。社会からの見られ方もさまざまです。その定義がしっかり原稿内でなされていない中で、BLをざっくりと語ったことは不用意であったと反省しています。
また、自分の中で事実を指摘することは偏見ではないという考えがありました。が、そうやって指摘をすることで偏見を増長させることがある、というところにまでは意識が向けられていませんでした。私が「BLという言葉はちょっと性的なイメージが強くつきすぎている気がして」と発言することにより、BLに対しての認識がまっさらの人に対してそういうイメージを植えつけた可能性は否定できません。これは、非常に大きな反省点です。申し訳ありません。
もし今、自分があのときの原稿を書くなら、「BLという言葉はちょっと性的なイメージが強くつきすぎている気がして」ではなく、「BLという言葉を聞いて、シンプルに男性同士の恋愛を描いた作品を想起する人もいれば、性的描写の強い作品をイメージする人もいる。人によって定義が違う言葉だからこそ慎重に扱わなければいけないと思っていて」としたかな、と思います。これが、今の私の到達点です。当然、正解かどうかはわかりません。
BLという言葉を公の場で使うことへの心理的なためらいは、申し訳ないですが、今のところまだあります。記事にも書いた通りプライベートでは普通に使っています。私がもし趣味垢を持って活動していたら、ガンガンBLという言い方をしていると思います。ただ、顔を出して、名前を出して、パブリックな場所で「BL」という言葉を使えるかというと、今すぐできますとは言えません。それは、先段から書いている通り、BLと聞いたときに相手がどういうイメージを抱くか想定できないからというのもありますし、やはり自分自身にBL=ひっそりと楽しむものという考えがあるからだと思います。これが、個人的意見なのか、偏見なのかはまだ断定はしません。これから考えます。
個人的には、ひっそりと楽しむものではなく、もっと多くの人がわいわいと楽しめるようにしたいという気持ちがあり、そのひとつとして、一旦、人によって想起するイメージに幅があるBLという言葉を控えたいという考えだったのですが、そうではなく、少なからず発信力がある人間として、積極的にBLという言葉を使うことで、BLの持っているイメージを変えていくことの方が自分にできることなのかもしれません。このあたりも、まだうまく答えが出ていません。引き続き考えていきます。
また、小見出しにしている『わざわざ「BLドラマです」と言わなくてもいい時代が来ればいい』というフレーズは決してBLというジャンルをなくしたいという趣旨ではありません。異性愛と同じように同性愛も自然に描かれる、そういう世界を目指したいという意味です。
ただ、これについても、もし今、補足をつけるなら、自分の中にある、公の場で「BL」という言葉を口にしたり、文字にすることへのためらいも踏まえた上で、『わざわざ「BLドラマです」と言わなくてもいい時代が来ればいい』の続きに、『あるいは、いつか何の抵抗もなく「これはBLドラマです」と言える世界が来ればいい』と結ぶと思います。やはりこれも正解かどうかはわかりませんが、今いちばん自分の中でフィット感のある答えはこれでした。
少し長くなりましたが、いろんな方の声を受け止めながら、この2日考えたことはおおむね上記のようなことです。
今の僕は、BLは好きだけど、BLという言葉にちょっとナイーブなものを感じている、という状態。今後もBLはたしなむでしょうし、BLというくくりで仕事をすることもあるかもしれませんし、もうしないかもしれません。ただ、いずれ筆をとることがあったとき、今のように変に構えずBLという言葉が使えるようになっていたら、自分の中で何かが変わった瞬間なのかもしれません。あるいはやっぱり使わないのかもしれません。
まだわかりません。これからも考え続けます。まだ考えている段階でこうして自分の思っていることを並べたのは、やはり作品の最終回が間近に迫っており、みんなにとって大切な最終回だからこそ、気持ちよく楽しんでいただくためにも、その前に現時点での内省を発信しておくべきだと考えたからです。
『チェリまほ』は原作・ドラマともに大好きな作品であり、その価値を貶める意図は一切ありません。この記事を読んで、みなさんそれぞれ思うところはあると思いますが、私自身はひとまず最終回を楽しむために気持ちを切り替えます。
そして、終わってからまた考えを再開していきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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