「おおブレネリ」の謎

【講座:ペンとともに考える3】(2003年1月7日 旧サイトにて公開)


1 はじめに

 まず最初に、本論稿の出発点となる歌詞を提示する。

「おおブレネリ」(松田稔作詞・スイス民謡)

 おおブレネリ あなたのおうちはどこ
 わたしのおうちはスイッツランドよ
 きれいな湖水のほとりなのよ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

 おおブレネリ あなたの仕事はなに
 わたしの仕事は羊飼いよ
 おおかみ出るのでこわいのよ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
 ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

 この歌における最大の謎は、ただひとつである。
「なぜブレネリさんは、ひとこと答えるたびに陽気に歌い出すのか」
 本稿では、例によってこの歌詞のみを手がかりにこの謎に迫ってみたい。

2 与件の考察と基本的な疑問点

 童謡「おおブレネリ」における唯一の謎は前項のとおりであるが、ここではその謎を解く手掛かりになるであろう与件の抽出とともに、いくつかの疑問点について述べる。所与の条件についての考察を通じて、分析を進めるのに必要な視座を明示するとともに、いくつかの疑問点について検討を加えたい。

(1)舞台について
 まず、第一に明らかなのは、「ブレネリさんは現在スイス国外にいる」ということであろう。
 これは、第一連の歌詞から容易に類推できる。ブレネリさんは住所を問われて国名で答えている。これが、ブレネリさんが(彼女にとっての)外国にいる証左である。もしあなたが日本に住んでいるなら、国内で人に「お住まいはどちららですか」と聞かれて、「日本じゃー」と答えるだろうか。それでは小学生である。もしくはただのいやがらせである。
 ついで重要なのはこの歌における時代設定であるが、原曲は第一次大戦前後に広まったという。しかし、メロディ、歌詞ともに幾度かの改作をへて、アメリカにおいてガールスカウトの歌集に取り上げられたという事実からもわかるように、おおもとの原曲はスイス民謡であるとはいえ、現在の形になったのはさほど古い話ではない。しかも、日本に輸入されたのは戦後であり、訳出のうえ紹介したのは、現在も日本キャンプ協会の名誉会長を務める松田稔である。したがって、確定稿ともいうべき私たちに馴染み深い現在の日本語詞が指し示す時代は、第2次世界大戦後であると想定してもあながち不自然ではないと思われる。キャンプやハイキングに集う子どもたちに親近感を持ってもらいかつ気軽に口ずさんでもらうためには、原詞の内容を尊重することはもちろんであるにしても、一定の時代性を取り入れた訳出が求められるからである。そういったむしろ翻案に近い形での訳出であることは、「作詞」という表示からも見て取れる。他にもそういう例は珍しくない。たとえば、原詞に忠実な「ジングル・ベル」は「訳詞:堀内敬三」という著作権者の表示がなされるが、翻案の度がより高い「きよしこの夜」は「作詞:由木康」とされている。

(2)対話について
 次に、対話の調子から読み取れるものを何点か挙げておきたい。
 まず、会話は常体でなされている。質問とその応答であるにもかかわらず、いずれの言葉にも敬体の使用は認められない。すなわち、両者が親しい可能性、あるいは親しくなくとも対等もしくは敬語の使用が必要ない関係であると考えられる。
 しかし、親しい間柄であるなら、質問者がブレネリさんの住まいも仕事も知らないということは通常ありえない。
 したがってここは、ほとんど面識がないにもかかわらず、両者は互いに敬語を用いる必要はないと認識している関係であると考えるのが自然であろう。しかも、名前は呼び捨てで、常体の話しかけにもかかわらず、二人称はいくぶん丁寧さを含んだ「あなた」である。何らかの意味で中途半端、もしくはかなり特殊な関係であるとも考えられる。
 中途半端な関係の方をあえて例示してみるならば、「普段は交際のない近隣の住民同士」や「とくに交友のない同級生」、「同じ会社の違う部署の社員同士」、などが挙げられる。

(3)「おお」について
 さて、次に問題となるのが各連冒頭の「おお」である。
 いちいち、「おお」から質問を始めなければならない原因については三点が考えられる。第一は、純粋に賛嘆の表現である場合である。ジュリエットがいちいち「おおロミオ」と言うのにも似ている。第二が、注意の喚起の必要によるものである。相手が目をそらせがちな場合や、心ここにあらずといったような場合に用いられることが多い。たとえば、小指欠損業界の方がしばしば、「おおコラ、ひとの話聞いとるんかぇワレ」と言う場合の「おお」である。そして第三が、ブレネリさんの本名が「王ブレネリ」である場合である。この場合は、ブレネリさんは旧英国植民地系の中国人であると考えられる。「アグネス・チャン」や「ジャッキー・チェン」と同様である。
 ただし、会話の中では通常フルネームで呼びかけることがないことを考えると、第三の可能性についてはかなり低いと思われる。

(4)「スイスの湖水」について
 歌詞における具体的なトピックに話を移すが、次項で述べる「羊飼い」とともに、ブレネリさんが住むという「スイッツランドの湖水」は看過するわけにはいかない。いうまでもなくスイスはアルプスの山々を控え、多くの湖を持つ。スイス最大にして最も著名なのは、やはり中国吉林省のチンポー湖と並んで子どもたちに知られるレマン湖である。これはジュネーブに接するが、同じく大都市であるチューリヒに接するチューリヒ湖というものもある。羊飼いであるいうブレネリさんが都会に住む可能性は低いかもしれないが、山間部にも美しい湖沼は無数にある。歌詞のみではこれらのいずかたにブレネリさんが住まうのかは判断しづらいが、考察を進めることによって一定の絞り込みも可能であろう。

(5)職業について
 続いて、ブレネリさんが「羊飼い」であることについてであるが、ここにもいくつかの疑問がある。
 まず、羊飼いとは当然のことながら羊の世話をする仕事である。それが、長期にわたるであろう国外旅行へ出ることなど許されるのかという疑問である。「アルプスの少女ハイジ」における山羊飼いのペーターを想起してもらってもよいが、たった一人で山羊の世話をしていたあの少年に、たとえ一日であろうと職場を離れて旅行をするゆとりがあったとは思えない。ヨハンナ・スピリの時代にはそれが許されたのかもしれないが、かの少年は学校へ行く権利も奪われ、休日を取ることも許されない職業に従事させられており、今日なら明らかに、児童の労働を禁じた「子どもの権利条約」やILOの諸条約に違反していると思われる。ただし、ブレネリさんの属する酪農家が一定以上の大きなものであれば長期休暇の取得できる可能性はある。
 一方で、「羊飼い」が酪農家以外のものを指す場合も無視できない。たとえば、その名の示す通り「牧師」などは、聖書(ヨハネによる福音書、ルカによる福音書他)を引いてそう自称することがある。また、ある種の女衒やマルチ商法の幹部などが、自嘲気味にそう自称することがあるともいう。
 このように「羊飼い」については、本来の酪農家以外の可能性も考えられなくはないが、ここでは「文字通りの羊飼い」もしくは「なんらかの存在を飼い育てるもの」を指していると考えるにとどめ、ブレネリさんの職業が実際に何であるかについては以下の論証に譲ることとしたい。
 付け加えると、私がなぜここで、あえてブレネリさんの言に反して「酪農家以外の《羊飼い》」の可能性を挙げたのかというのには理由がある。通常、この歌のように自己紹介に準ずるような場面で、自らの職業である「羊飼い」の特長として、最初に狼に対する恐怖を挙げているのは不自然であると思われるからである。本来であれば、いつも世話している羊がかわいいとか、広いところで気持ちいいとか、よりポジティブな面を挙げるのではないだろうか。ネガティブな面を挙げるにしても、「朝が早くて体力が必要である」とか「のどかなようで羊に突き飛ばされると痛い」とか、日常業務の一般的な側面を挙げるのではないだろうか。
 「狼が怖い」というのは仕事を通じての感想であり、自らの職業を紹介するという場面で第一に挙げるには甚だ不適切であると思われるのである。

3 従来の学説とその限界

(1)トラベラーズハイ説
 それでは、ここから順に、従来論じられてきた諸説について検討を加えてみたい。
 周知のように、定説となっているのは「ブレネリさん旅行中説」である。これはブレネリさんが国外にいることからくる非常に短絡的な発想ではあるが、唐突な歌についても、ひとまず外国旅行中の解放感、高揚感によるものと説明されている。
 この場合、ブレネリさんに呼びかけているのは、ナンパ目的の男性とされる。ゆえにこの説は「ナンパ説」と称されることも多いが、次に紹介するものも含めナンパに着目したものは諸説入り乱れているので、ここではこれを「トラベラーズハイ説」と名づけておく。
 定説とされるだけあって、ここではほとんどの疑念に合理的な説明が施される。ブレネリさんは大手酪農家の羊飼いの一人であって、現在休暇を利用して海外滞在中であること。「おお」は、賛嘆もしくは通り過ぎようとするブレネリさんに対する呼びかけであること。対話についても、ナンパである以上、常体でありながら二人称は「あなた」というのはむしろ自然である。
 しかし、この説にも何点か看過しがたい疑問が残る。
 まず、ナンパならなぜいきなり名前の呼びかけから歌が始まるのか。しかも呼び捨てである。通常のナンパであれば、声をかける側が最初からターゲットの名前を知っていることなどありえないはずではないか。ブレネリさんは名札をつけていた、あるいは持ち物にマジックで大きく名前を書いていたという可能性もないではないが、それではブレネリさんをあまりに田舎者扱いしすぎてはいないか。それにいくら名前が容易に見て取れる状態にあったとはいえ、ナンパ時にいきなり名前で呼びかけるというのはリスクが大きすぎる。
 この説に固執するものはしばしば、氏名に関する質問の部分は省略されているという。その場合、本来の第一番は、「ねえカノジョー、あなたの名前はなに/わたしの名前はブレネリよ/やさしい両親がつけたのよ/ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ……ヤッホホ」となるとされている。
 この説の最大の欠陥は実にここにある。
 ただ名前を尋ねただけで、気が触れたように(一説によると腰に手を当ててスキップしながら)歌い出す女を、誰がナンパしようなどと思うだろう。大抵の場合、この瞬間にびびってしまう。「いや、カノジョ、やっぱいいや、あの、じゃ、いい旅を」と、一目散に逃げ出すのではないだろうか。少なくとも私なら逃げる。
 ブレネリさんも海外旅行で浮かれている場合ではない。いくら「旅の恥」にしてもこれではかき過ぎである。

(2)巡業踊り子説
 ついで有力とされるのが「巡業踊り子説」である。
 ここではブレネリさんの職業に対する推論においてコペルニクス的転回が導入される。ブレネリさんは、本来の羊飼いではなく、「羊飼いの格好をした踊り子」、しかもおそらくはストリッパーであるとされているのである。
 この説においては、トラベラーズハイ説で指摘のあった矛盾点にも非常にエレガントな解釈が与えられる。
 まず、ロマ(ジプシーは差別語)のように、ブレネリさんが、芸能をもってヨーロッパ中を巡る一座のダンサーであるとすれば、歌の舞台が国外であることもまったく不思議ではない。また、歌詞が名前の呼びかけから始まるのも不自然ではない。なぜなら、ここでは呼びかける者は「客の男性」であるとされているため、ブレネリさんの名前は劇場の看板で事前に知れているからである。
 また、私は行ったことはないが、ストリップ小屋でよく見かける横柄な客(私はよく知らないが、酔っていることが多いという)であれば、舞台の踊り子を呼び捨てにすることも珍しくはない。ただ、あまりに横柄だとサービスしてもらえないので注意が必要である。それがどんなサービスかはよくは知らないが、逆Vサインがポイントであると聞く。いや、あの、それはともかく、そうなると、「おお」の繰り返しも当然である。場内には大音響でBGMが流れているので、舞台上の踊り子に呼びかけるためには、まず大声で注意をひきつける必要がある。
 すると、「羊飼い」はどうなるのかという疑問が生じるが、これについても「ストリッパーのコスプレ」という明快な回答が用意されている。当時、アルプスをのぞむ都会においては「羊飼いの少女」が、現代日本におけるメイド服の少女同様、フェティッシュの対象であったと考えられるからである。かわいい衣装を着た羊飼いの少女との、広大な平原や森の木陰でのセックスにかかる妄想は、都会の男性の劣情を大いに刺激したことであろう。
 この場合、会話の内容は、ブレネリさんにしてみればコスプレの延長であり、演出の一環なのである。一方、客の立場からすれば、ステージ上の演出に対する積極的な関与であると考えられている。なればこそ、住所の質問に対しては「きれいな湖水のほとり」という返答が返され、職業の質問に対しては(客のサディズムを刺激する)「おおかみでるのでこわいのよ」という返答となるのである。「おおかみ」はもちろん男の隠喩として了解されよう。
 しかしながら、この場合も、かぶりつきの客が単なる声援にとどまらず、それほど容易に、しかも重ねて踊り子に質問が可能であるのかという疑問は残る。「踊り子の衣装に手を触れるな」「踊りの邪魔をするな」が絶対の作法であるこの世界である。そんなことをすれば、、用心棒や周囲の客に袋叩きにあってつまみ出されるのが落ちであろう。この客も、そんなに「羊飼いの少女」が好きなら、イメクラへ行くか、休憩を挟んで後の本番生板ショーを待つべきであろう。それらが何かはよく知らないが。知らないってば。

(3)精神科受診説
 そして比較的新しい第三の説として、唐突な歌の不自然さのみに着目した「精神科受診説」がある。
 ただし、これがいかに論理的整合性を持とうと、私はこの説を決して認めない。なぜなら、この説の背後には、「精神障害者はどんな奇矯な振る舞いをしても当然である」という抜きがたい偏見が認められるからである。
 たしかに、特定の精神疾患によっては幻覚や幻聴が見られるし、ある種の神経症状や固着傾向によっては、当事者に不自然な行動が認められることがある。だからといって、当事者が「どんな振る舞いでも」するわけではないし、理解不能な行動がすべて精神疾患で説明できるわけもないしすべきではない。
 舞踏病を疑う向きもあろうかと思うが、それは病名から来る誤解に過ぎない。舞踏病は基本的に不随意運動である。ブレネリさんがもしそうであるとすれば、青年期の女性に顕著に現れる「シデナム舞踏病」があてはまるであろうが、これもしかめ面などを含む不随意・無目的・非反復性が特徴である。そもそも「いちいち陽気に歌って踊る」病気などあるわけがない。
 また、アルツハイマー病を典型とする痴呆症には、ニコニコと多幸的な症状を示すものも見られるが、この場合は記憶障害や失見当識(見当識=時間と場所及びこれに関連して周囲を正しく認識する機能)を伴うので、この歌のブレネリさんのように質問に対して明瞭な回答を行うことは不可能である。
 以上だけでもこの説を棄却するに足ると思うのだが、百歩も千歩も譲って、仮にそういう(とにかく明るく歌い踊る)病気があるとして、この歌詞における対話の整合性と矛盾点について簡単に述べておこう。
 この説においては、対話は問診時、あるいはカウンセリング時のものであるとされている。
 医師は当然クライアントであるブレネリさんの名前を知っているわけであるから、名前の呼びかけから歌が始まるのは不自然ではない。患者に対してファースト・ネームの呼び捨てというのはいかがなものか、という指摘に対しては、医師とクライアントとの間にラポール(しばしば精神的紐帯とも訳される。両者間の信頼関係を含むポジティブな「人間関係」)が成立しているためであると説明される。
 さすれば、ラポールが認められる関係にもかかわらず、なぜ問診のつど住所や職業を問い直すのかという疑問が生じるが、それについても、ブレネリさんの疾患が案外重篤で、見当識の確認を常に要するためであるという説明が用意されている。
 しかしながら、この説は、ブレネリさんが国外に滞在中であるという前提に対して耐え得ない。住所を聞かれて、「スィッツランドよ」と答えるだけで用が足りるほどの外国で、ブレネリさんがラポールを築きうるほどの通院治療を行うと考えるのは、あまりに不自然だからである。
 だからといって、「いや、ブレネリさんは頭おかしいから」などと強弁するなら、どんな解釈でも成立してしまう。ブレネリさんが、たとえ江戸時代の武家屋敷の奥女中であったところで別に問題はない。
 ゆえに私は、理性と論理によって断固この説を支持しない。
 この節の最初に戻って恐縮であるが、そもそもきちんと受け答えをしながら陽気に歌って踊る病気など、虚構の上でしかありえないのである。

4 新たなる道へ

 さて、主要な学説を否定したところで、私は、最大の前提を揺るがすほどの疑問を見落としていたことに気がついた。
 この歌は本来スイス民謡である。それが国外を舞台にすることなど、そもそもありえるのかという疑問である。いうまでもなく、民謡とはその地方における民衆の中から生まれた俗謡である。地方の風物を歌う、あるいは労働や祝祭における喜びを歌うものである。厳しい自然や苛酷な労働の中から生まれる民衆の魂の叫びであることも少なくない。(日本の民謡を眺めても地元の風物を歌ったもの、あるいは労働歌が主である。「おてもやん」における「げんぱくなすびのいがいがどん」、「でんでらりゅう」における「こんけられんけん」あたりは怪しいが、ここではそこまで追究する紙幅はない。)それら特定の地方の民衆の暮らしに根差してあるべき民謡が、国外を舞台にすることなどありえるだろうか。
 そこで私はこう考えた。ブレネリさんは、スイスの政治あるいは歴史にとって非常に重要な役割を果たしたのであろうと。したがってこの歌は、その事蹟によってブレネリさんを記念あるいは顕彰することを目的とした民謡であると考えたのである。
 たとえば「黒田節」を想起していただくとよくわかる。これは、筑前今様に起源を持つ、福岡黒田藩に生まれた民謡であるが、歌詞の舞台は京都の伏見である。福島正則が豊臣秀吉に小田原城攻めの褒美として賜ったばかりの名槍日本号を、斗酒を干して見事に獲得した黒田藩士、母里太兵衛の故事を讃えて生まれたという。
 すなわち、ブレネリさんはたとえ国外にあっても、スイスの人々にとって忘れられぬ、あるいは忘れてはならぬ役割を果たした存在として描かれていると考えられるのである。
 これによっても、前記の三説は採用しがたいことがわかる。わざわざ単なる羊飼いの、あるいは踊り子の、もしくは病気の少女を、それが国外での出来事であるにもかかわらず、民謡にしてまで語り継ごうという民衆があるだろうか。
 もちろん、特定の人名を挙げてあざ笑おうという民謡もないではない。日本での例としては「小原庄助」が最もよく知られる。しかし、これは会津の郷頭を歌った会津の民謡である。小原庄助は戊辰戦争の勇士としても伝えられるが、歌詞内容は同郷の郷頭を親しみを込めて笑いのめす、その地方内で完結するものなのである。
 さて、ただひとつの謎を解明するにあたって、ここまでに多くの疑問や不審点、またそれらについての新たな解釈が生まれてきた。明確な与件を含めて、ここでひとまず整理してみよう。

(1)ブレネリさんは現在スイス国外にいる。
(2)日本語詞が指し示す時代は、第2次世界大戦後であると思われる。
(3)ほとんど面識がないにもかかわらず、歌詞中の両者は互いに敬語を用いる必要はないと認識している。
(4)ブレネリさんに対しては、「おお」から呼びかけなければならない(賛嘆の表現もしくは注意の喚起)。
(5)ブレネリさんは「スイスの湖水」のほとりに住む。
(6)「羊飼い」とは、「文字通りの羊飼い」を指すとは限らない。
(7)ブレネリさんは、スイスにとって重要な業績を残した人物であった。
(8)ブレネリさんは、とにかく一言答えるたびに、素っ頓狂に歌い出す。

 以上を検討するに際して、私はひとつの重大な発見をした。
 「住所を問われて国名で答えるということは、この問答が国外で行われていることを意味する」という前提を吟味する過程で気づいたのである。
 たしかに、この文章のみを取り上げてみれば矛盾は見られない。しかし、全体を覆う大きな誤謬があると思われるのである。それは、「あなたのおうちはどこ」の解釈に対する誤りである。
 この質問は従来言われてきたような、住所を問うものではなく、ブレネリさんの国籍を問うているのではないか。
 原詞にあたったわけではないが、おそらく「home」の誤訳であろう。本来は、「お前の本当の故郷(出身国)はどこか」という質問であったと思われる。
 私は、この発見によって長年の疑問が氷解するのを感じた。風呂に入っている最中なら、「エウレカ!」と叫んで表の道を素っ裸で走り出しているところである。
 積年の研究と論理的な考察に加え、この生涯最大ともいえる閃きによって、私はこれまでのすべての疑問と問題とについて、矛盾なく明快に説明しうる仮説を得るに至った。おそらく、この「おおブレネリ」という歌の謎について、これほどまで真実に迫り得たものは、古今東西を通じて初めてであろうと自負している。
 それは、「スパイ尋問説」という。

5 「おおブレネリ」の真実

(1)スイスという国家
 さて、この歌の背景を説明するにあたっては、まずスイスという国のありようから説き起こさねばならない。
 周知の通りスイスは、ヨーロッパの中央に位置する。面積は4万平方kmあまりと、ほぼ九州なみであり、人口にいたっては約700万人しかない。その知名度や地政学的重要性に比して、かなり小さな国であるといえる。 
 加えて、スイスは山国として知られる。国土の七割以上を山地が占め、北西部にジュラ山脈、南部にアルプス山脈を擁し、五つもの国々と国境を接しながら、マッターホルンを筆頭に四千メートルを超える山々を四十座以上持つ。
 小国であるとはいえ、その軍事的重要性は計り知れない。シンプロン峠やゴットハルト峠など、ドイツとイタリア、あるいはフランスとイタリアを結ぶ陸路の結節点を、スイスは握っているのである。
 スイスという国はそのような位置にありながら、五百年の長きにわたって永世中立を貫いてきたのであり、その平和は、東洋の島国のように座して手に入れたものでは決してない。
 永世中立を貫くため、兵役を国民の義務となし、一旦事あらば即座に100万人の軍隊を動員しうる強大な防衛体制を築き上げてきたのである。そうして、19世紀の独仏戦争はおろか、第一次、第二次の両世界大戦においても、外国の軍隊には一歩も領土を踏ませなかったのである。
 もちろんナチス・ドイツに対してもスイスは中立を守り抜いた。第二次大戦時、多くのユダヤ難民を受け入れる一方で、連合国はもちろん、ナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアとも国交を結んでいたのである。
 スイスを取り囲むことになった枢軸国側は、補給路および通商路の確保のため当然スイスに圧力をかけたが、救国の英雄アンリ・ギザン将軍が、アルプスのトンネルや鉄道に爆薬を仕掛け、ゲリラ戦も辞さぬと獅子吼してナチスの侵攻を食い止めたという。
 戦後、冷戦の時代を迎えても無論スイスは中立を守り通してきた。
 現在もなお、成人男子は全員自宅に自動小銃を所有するという国民皆兵を堅持し、その武力が他国に侵攻を逡巡させてきたのである。また、陸軍情報部を中心とする強力なカウンター・インテリジェンスのシステムもまた、スイス国民の血肉となっている。そもそも平和というもののとらえ方が、我々日本人とはまったくちがうのである。

(2)ブレネリさんの果たした役割と「羊飼い」
 さて、やっとのことでブレネリさんに話を戻すが、そんな国情を持つスイスにとって一個人が重要な役割を果たすとはどういうことか。
 映画『第三の男』において、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムはこう述べる。
 「ボルジア家の三十年の圧制はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてルネッサンスを生んだ。しかし、スイス五百年の平和は何を生んだ? 鳩時計だとさ」
 スイスという国家にとって重要な業績を残したと思われるブレネリさんが時計職人であったわけはない。ジュラの時計産業の礎を築いたというならば、歌に残されるかもしれないが、それはブレネリさんではないし、第一時代が違いすぎる。
 スイスという国が「鳩時計」と「平和」に象徴されるというのであるなら、ここはやはり「平和」に着目せねばならない。
 これによってブレネリさんがなしたと思われる歴史的業績も明らかである。それはスイスの平和、すなわち永世中立を堅持するに資するものであったのである。
 私が「ブレネリさんスパイ説」を採る根拠のひとつがここにある。軍人や政治家、外交家ではないとすると、スイスの永世中立に貢献し、民謡として称揚されるに値する業績を上げうるものは、(影の存在としてではあるが)スパイしか考えられない。
 第二次世界大戦の終了と同時に、米ソによる「冷戦」が始まったのだが、自由主義世界のリーダーたろうとするアメリカと、社会主義を掲げて真っ向から対立したソビエト連邦との勢力争いは熾烈を極めた。これら二つの超大国の確執は全世界を巻き込み、核兵器を含む軍拡競争や世界各地での代理戦争のごとき戦乱が続いたことは記憶に新しい。
 一方で、そんな冷戦期は、各国情報機関のエージェントが世界中で暗躍する時代を生んだのである。
 ル・カレやフリーマントルの著作を見るまでもなく、ソ連の国家保安委員会(KGB)や東ドイツの国家保安省(シュタージ)と、西側のCIA(米国)やBND(西独)、MI6(英国)は、東西ベルリンやスイスを舞台に激しく鎬を削っていた(ちなみに、NATO情報部の活動については青池保子の著作にあたられたい)。
 童謡「おおブレネリ」の謎は、そんな時代背景を抜きには考えられないのである。
 スイスにとっても、ブレネリさんの活動は非常に重要であった。
 東側がスイスに対して社会主義革命の扇動と対西側の拠点となることを要求し続けたのに対して、西側はスイスの永世中立を尊重していたためである。むろんそれは、強引に自由主義陣営へ加わることを求めて社会不安を生ぜしめる危険をさけつつ、防共の砦としての役割を求めやすかったからでもあるが。
 その証拠に、自由主義諸国が主導権を握っていた国際連盟は、スイスの永世中立こそがヨーロッパの平和と安定に重要であると考え、ロンドン宣言において「永世中立国・スイス」としての加盟を認めたのである。
 それでは、ブレネリさんは、具体的にどんな任務を帯びていたのであろうか。
 ここで重要となるのが、「羊飼い」である。
 「おおかみがこわい」を真っ先にあげねばならぬ「羊飼い」としてのスパイの任務を考えるとき、それが情報提供者をリクルートし、教化・訓練し、情報網を管理する立場にある者を指すことは明白であろう。もちろん、「羊」とは、それら東側にちりばめられたインフォーマントの謂である。
 ブレネリさんは、自由主義陣営を代表してスイスの永世中立を守るため、東側のスイスに対する策動を暴き、妨害し、あるいはスイス国内の情報機関に情報を流す役割を与えられていたのであろう。そのための情報網を、東側(主として東ドイツ)に構築しようとしたのである。
 したがって、スイス国民にとっては、ブレネリさんが、西側のスパイとしてというよりも、むしろ自国の永世中立を守りぬいてくれた英雄として記憶されるのである。
 しかしここまでなら、「ブレネリさんはスパイであると考えることも可能である」というだけであり、従来の学説を超えるものではない。とくに、この歌の謎の核心である「唐突な歌」についての説明にまで至っているとは到底言い難い。
 むしろ読者には、私が従来の諸説以上に珍奇なスパイ説に固執することについて不審に思う向きもあるかもしれない。

(3)「唐突な歌」の理由
 そこで、スパイ説を採るに至った最大の論拠であるとともに、この歌の謎の核心に明快な解釈を与えうる私の創見について述べる。
 実をいうと、私はこの解釈によって初めてスパイ説を打ちたてえたのである。
 まず歌詞に戻ってみよう。
 第1番で、ブレネリさんは「国籍」を尋ねられており、「スイスの湖畔」と答えつつも、突然歌いだす。
 第2番では、職業を尋ねられて、「羊飼い」であると答えるとともに、「羊」を襲う「おおかみがこわい」と心情を吐露しかけ、これも唐突に歌いだす。
 これは明らかに尋問の場面であり、しかも自白剤を用いられているところであると考えるのが最も合理的なのである。
 自白剤については、誤解が蔓延しているので注意が必要なのだが、「聞かれたことを正直に話したくなる」薬など存在しない。自白剤とは向精神性を持つ麻酔薬の一種にほかならない。
 飲酒を想起してもらってもよい。いい調子で酔っているときには、普段無口な人間でも饒舌になることはよく知られる。また、判断力が鈍ることもあって、素面なら絶対に話すことのない秘密まで、尋ねられるままに話してしまうことも珍しくはない。私もいい気分で酔っ払って帰ったとき、玄関を開けるなり、「どこへ行ってたのか」「だれといたのか」「会社の飲み会ではなかったのか」「着歴を公開せよ」「このメールはなにか」などと立て続けに問い質されて、混乱したまま偽装を暴かれてしまい、窮地に追い込まれたことが何度もある。
 かつて日本中を不安に陥れた某教団も、内部での尋問の折にチオペンタールナトリウム(ラボナール)を自白剤として用いていたことはよく知られる。これは、一般には全身麻酔の導入に広く使用されている代表的な麻酔薬である。
 国家的な情報機関が用いる自白剤の成分は国家機密に属するため詳らかではないが、麻酔作用に加えて警戒心の解除と高揚感をもたらす向精神薬としての性質を併せ持つものであろうことは十分に考えられる。
 すなわち、自白剤というものの効能を端的に述べるならば、「理性と判断力を鈍らせ、かつ極端な饒舌にする」ものであるということができる。「詐欺師さえ正直者に変貌する」などというものでは決してないのである。
 そのような自白剤であるが、抵抗することは必ずしも不可能ではない。自白剤の効き目に抗いながら沈黙することが不可能であるなら、質問をはぐらかすためには、理性の残るうちに関係のないことを口にするに如くはない。
 私も先の経験によりそれを学んだ。中途半端に虚偽を重ねようとなどせずに、危険を察知した瞬間により酩酊が深い振りをするのである。「飲んでますよー、ええもう、酔っちゃいましたー、へろへろへ~、うー、うぇっぷ」、「え~、そんなアホなっちゅうねん、何で本上まなみがあんなおっさんと、なあ、そやろ」という感じである。すると相手は追及を断念して、「可及的速やかに入浴、就寝せよ」と厳命を下す以上のことはできない。これは個人的な体験から得た知識ではあるが、読者諸賢の参考になれば幸いである。
 もちろん「歌う」という行為も非常に有効なのである。とくに相手が尋問のプロであった場合、「とっとと寝ろ」などと言うわけはないので、無意味なことを話し続けるということさえ不可能な場合が多い。「決して相手の言葉と会話が噛み合ってはならない」というゲームの経験のある人も多いと思うが、この条件に従い続けるのは非常に困難であることは知られていよう。「今日は寒いねえ」と話しかけられたときは、「テレビの具合が悪いんじゃ」と答えるより、「いや昨日は暖かかった」などと答えてしまいがちなのである。すなわち、いくら無意味な返答や会話を続けようとしても、自白剤で朦朧とした頭脳では簡単に誘導されてしまうということである。したがって、沈黙しようにも相手に釣られて、口が開き声が出てしまうような状況におかれた場合、無意味な歌を歌い続けるという手段が極めて有効なのである。
 そう、ブレネリさんは、尋問のプロを相手に回し、こちらもプロとして、自白剤の効力に必死に抵抗しているところなのである。これにより、「突然にして素っ頓狂な歌唱」の意味も明らかになったといえる。

(4)解き明かされるすべての疑問
 ここまでの考察により、スイスとブレネリさんの関係および質問内容、ブレネリさんの唐突な歌という流れを仔細に検討するならば、必然的に「スパイ尋問説」が導き出されることがご理解いただけたかと思う。
 それでは、この説に則って、この歌の残る疑問をすべて明らかにしておこう。
 まず、「わたしのおうちはスイッツランド」であるが、非常にデリケートなパワーバランスが求められていた冷戦期のことである。中立国に偽装の拠点を置くのが最も安全であったと思われる。無論、ブレネリさんはスイスの永世中立に資することを最大の任務としていたのであるから、スイス陸軍情報部との連携も密であったろうし、あえてスイスと言い切ることができたということは、自らの偽装についてもその協力を得ていたのであろう。
 次に、「スイスの湖水のほとり」とは、第二次大戦当時、ナチスの財産もユダヤ人の財産も共に守り抜いた金融機関が集中するチューリヒであると考えられる。そこでなら、本国からの活動資金の受け取りも容易であるし、東ドイツに潜入している部下や情報提供者に極秘裏に送金することも可能である。おそらくブレネリさんは、チューリヒにもひとつの活動拠点を置いていたのである。したがって、ここで歌われている湖水は、チューリヒ湖である可能性が非常に高い。
 また、この歌の「舞台」は、尋問状況の厳しさから考えておそらく東側であろう。何らかの理由で、部下との直接の接触を図ったブレネリさんは、東ベルリンに本部を置く東ドイツ情報部に拘束されているのである。
 他に、「対話が常体」というのも尋問であることを考えれば明らかである。それが偽名であるにしても、名前ももちろん事前に突き止められている。
 「おお」はブレネリさんが朦朧としている以上当然であろう。
 もちろん「仕事はなに」という質問の本意も明らかである。「職業」をたずねているのではなく、これはブレネリさんの「任務」を問い質しているのである。
 そうすると、「おおかみ出るのでこわい」というのが、「羊飼い」にとって「東側のエージェントがこわい」ということの隠喩であることも容易に推察されるであろう。ブレネリさんは、自白剤に抗いきれず、ここで思わず真意を洩らしかけているのである。
 これですべての謎や矛盾が解き明かされた。
 すなわち、この歌こそ、スイスの平和を守るために活躍した西側の名スパイ「ブレネリさん」が、シュタージの過酷な尋問に耐え抜く様子を歌い称えるものなのである。そうして、わが国の子どもたちが彼女の偉大さと平和の大切さを忘れることのないようにと、原曲の歌詞を元に翻案され生まれたものなのである。
 ではここで、例によってこの歌の状況を再現しようと思うが、その前にひとつ付け加えておく。
 ブレネリさんの本当の所属についてである。
 冷戦がピークにあったころ、スイスに拠点を置いて、東側に対してそれほどの諜報活動を行おうという国はどこか。20世紀半ば、アメリカがアジアの泥沼にはまり込んでいた頃、ヨーロッパの盟主を自負していた国とはどこか。あえて国名を挙げることはしないが、女王陛下のしろしめすあの島国であろうことは想像に難くない。

6 状況の再現

 ブレネリは、、朦朧としてきた眼を目の前の男に向けた。刻一刻と濃くなる頭の中の霧を振り払うように、きつく瞬きをして白衣に身を包んだ男をにらみつけた。
 男は他の人間から「少佐」と呼ばれていた。ブレネリは男が名前を呼ばれるのを聞いたことがない。きっとカールだのシュミットだのありふれた名前なのだろう。
 ブレネリは拘束されてすでにどのくらいたったのか、その記憶すら曖昧になっていた。窓のない部屋に閉じ込められ、昼夜を分かたず繰り返される尋問のために、時間の感覚は完全に失われていた。
 しかしまだ一週間とはたっていないはず。ブレネリは唇を噛みしめた。何度も何度も同じことを聞かれ、何度も何度も同じことを答えた内容を思い返した。よく持ちこたえたものだわ。この完璧な偽装を崩す手がかりは、まだ一切与えていないはずよ。ブレネリの心の中に、東ドイツ国内のみならずスイスにも彼女の偽装の裏づけとなる偽の証拠をちりばめておいてくれた、Mの深謀遠慮に対する感謝の念があらためて湧いた。
 そのおかげで、とうとう自白剤なんてものを使われることになったんだけど。
 ブレネリは自嘲気味に微笑んだ。この状況で笑みをもらしてしまうことすら自白剤の影響であることに、ブレネリはすでに気づくことができなくなっていた。
「おお!」
 少佐の大声で我に返った。
「ブレネリ! なあ、なにがおかしいんだね」
 ブレネリは首を振った。
「何度も同じことを聞くようで恐縮だが」
 少佐は薄い唇に酷薄そうな笑みを浮かべた。自白剤が十分効きはじめていることに自信を持っていた。
「あなたのお国はどこかな。もう正直に答えてくれてもよさそうなものだが」
 ブレネリは不用意に口を開きかけて、自分の心の変化に驚いた。想像以上に自白剤が効いている。
 いいじゃないの、ブレネリ。なんだか楽しいわ。とてもしゃべりたい気分。秘密なんてどうってことないじゃない。とにかくなにか話したい。相手がこの男だからって、まあ我慢するわ。え? 私の国? もちろんあの、そう……
 はっとした。しかし、話したい気持ちは抑えられない。心の底では屈辱が渦巻いているのに、思わず笑みまでこぼれてくる。
「私の国はスイッツランドよ。きれいな湖水のほとりなのよ」
 なんとかこらえた。湖水のことなど聞かれてもいないのに、なぜか話したくてしかたがなかった。
 だめ、正直になってどうするの。自白剤のことなんていやというほど勉強したじゃない。あのキャンプじゃ実際に何度も打たれたわ。あの苦しいキャンプを思い出すのよ。
 しゃべりたい、しゃべりたい。なんでもいいからしゃべりたい。そんなときは、そんなときは、なんでもいいから声を出すこと。いくら話をそらせても雑談じゃうまく誘導されてしまう。歌うのが一番。意味のないことを歌うのが一番。
 ブレネリは調子っぱずれな声を張り上げた。
「ヤーッホー、ホートゥラララ、ヤッホ、ホートゥラララ……」
「黙れ!」
 いつまでも続くヨーデルまがいの絶叫を、少佐は大声で断ち切った。
「いいかげんにしろ!」
 少佐は立ちあがって、唇をむずむずさせているブレネリを見下しながら怒鳴りつけた。
「じゃあ、質問を変えてみよう。おお! ブレネリ! あなたの仕事は何かな。いや、きれいごとはやめよう。あなたのこの東ドイツでの任務を話してくれまいか」
「私の仕事は羊飼いよ」
 一瞬、ブレネリから警戒心がはじけ飛んだ。自分が偽装を続けているのか、正直に答えようとしているのか、それすらわからなくなっていた。
「おおかみ出るのでこわいのよ」
「ほう、羊飼いねえ」
 少佐の薄笑いを見て、ブレネリに理性のかけらが戻った。
 だめ! それ以上はしゃべっちゃだめ! ここでしゃべってしまえば、私が育てた羊たちの命はどうなるの。今日まで血のにじむ思いで築き上げた、私たちの情報網はどうなるの。
 大抜擢だったのよ、ブレネリ。今回はMじきじきに受けた命令じゃないの、失敗するわけにいかないわ。ここで失敗すれば、わが国の防衛政策が、外交政策が、そしてスイスの平和が、どれほどのダメージを受けることになるかわかってるの。
 それに、今度こそあの男の鼻をあかすチャンスだったのに。いつも私の目の前で、マティーニ片手にいいところをさらってはヒーロー面をしていた、あのキザ男に私の実力を見せつけてやるチャンスだったのに。
 歌うのよ、ブレネリ。余計なことをしゃべらずにいるには、歌うしかないのよ。私の羊たちを救うために、歌うのよ!
「ヤーッホー、ホートゥラララ、ヤッホ、ホートゥラララ、ヤッホ、ホートゥラララ……」
 少佐は再び激高した。
「黙れ! 歌うな!」

 その頃、ブレネリ拘束の連絡を受けたキザ男は、ブレネリ救出の至上命令のもと、ベルリンを目指して愛車のアストンマーチンを駆っていた。Qの手による秘密兵器を満載した改造車は、エンジン、足回りとも並のレーシングカーを凌ぐ。
 男は国境の検問で名を問われて、なんと本名を答えたという。
「私の名はボンド。ジェームズ・ボンド」

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、創作活動の大きな励みになります。大切に使わせていただきます。