法廷の宗教家

1999年12月5日公開


オウム真理教が、その行った数々の犯罪に対して初めて謝罪したという。
 これが私にはよくわからない。教祖の行いを、あまつさえその教祖がまだ存命中にもかかわらず、信徒が勝手に謝罪するというのはどういうことなのだろう。
 組織防衛のための対外的なリップサービスであるにしても、自らの信仰に対する冒涜であるとは考えないのだろうか。
 頑迷に沈黙を守って、破防法でもオウム新法でもくらえばいいのである。そして解散、あるいは拘束、もしくは殉教。それが現代の異端の正しい道であると思うのだが。
 教祖も教祖である、いやしくも宗教家として尊師を名乗るのなら、法廷で狂人の振りなどせず堂々と論陣を張ればよい。

「あなたがたにくれぐれも言っておく。私を裁くのはあなたがたではない。世俗の道徳でわが教えを責めようなどとは笑止である。
 大いなる宇宙の意思によってもたらされたわが教義は、あらゆる現世の法の上位にある。わが教義によってすべての法を改めることこそがわが教団の使命であり、異教徒の法によって聖なる教義が冒されるいわれなど微塵もない」
「あなたがたにくれぐれも言っておく。あなたがたは殺人と言い、テロと言うが、私が行ったのはポアである。ゆえなくして人の未来を奪い生命を奪い、救いどころか人を地獄に突き落とす俗人の所業と同じく見なすとは、度し難い愚かさである。
 私が行ったのはポアである。人を異教の業(カルマ)から解き放ち、尊い生命をもってわが教団に仕えることを許す聖なる営みである。私が与えたものこそ救いである。あれら死者の魂は、今や大いなる宇宙の意思のもとで安息と平安、そして喜びを与えられているであろう。来世には聖者として蘇り、わが教団による輝かしき世界の招来を祝福するであろう。
 これが善行でなくてなんであろう。あなたがたは卑しい世俗の法をもって悪と言い魔と言うが、私が従うべきは聖なる教義のみである。私は自らの教えに従って彼らにポアを施し、彼らの魂を救わんとしたのである」
「あなたがたにくれぐれも言っておく。わが教えの生命は永遠である。あなたがたは我々の教団を卑しめ辱め、邪教の汚名を着せて現世から葬り去ろうとしている。
 よく聞くがよい。たとえ形ある教会や祭壇、神像や法具が毀たれ土に帰そうとも、わが教えの失われることはない。それはすでに永遠の生命を与えられているからである。それはあらゆる理法、教条、そして宇宙自然をあまねく覆いつくすものだからである。
 カエサルのものはカエサルに返すがよい。教団の財物をすべて奪うがよい。しかし、私の教えには毛一筋ほどの傷もつけられぬことを知るであろう。信者の唇からはただの一文字も祈りの言葉を奪えぬことを知るであろう」

 と、これぐらいのことは言ってのけてほしいものである。
 そしてもちろん死刑。当然である。
 それでこそ真の教祖、真の宗教家だと思うのだ。

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