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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第六話 全容 【完】

 一通り警察の事情聴取を終えた三人は和田家の大客間で紅茶をたしなんでいた。天井から吊るされた豪華なシャンデリアが白漆喰しっくいあつらわれた壁や天井を明明めいめいと照らし、腰高窓から差し込む橙色の夕日が絹製の白いカーテンと重厚感漂うダークブランのアンティーク家具を優しく包み込む。まさに癒しの空間である。
「やはり紅茶は良いね。心が落ち着くよ」
 礼儀作法にならい持ち手を摘むように紅茶を一口飲んだ厳一郎は、気品漂う仕草でカップをソーサーに戻し、ゆっくりと時間を掛けて開いた茶葉の香りを楽しみつつ、ホッと一息ついた。
「お口に合って良かったです」
 優希の顔にほっとした笑みが浮かぶ。
「それにしても立派なお家ですね。異国情緒溢れるとはまさにこの事だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
 厳一郎が感嘆の吐息と共に何度も頷いて見せると、優希は凛とした佇まいでニコッと微笑みながら、恥ずかし笑いを隠すかのように紅茶を口に運んだ。さすがはお嬢様。立ち居振る舞いも完璧だ。それに比べて君と言う男は……厳一郎は優希の隣に座る霧野へと視線を移した。まるで湯呑みに淹れられた日本茶を啜るかの如く、ティーカップの縁を持ち、ズズズーと音を立てる始末。マナー違反にも程がある……厳一郎は頬と眉をヒクつかせながら、霧野の自尊心を傷つけないようにそれとなく注意をうながした。
「霧野君、紅茶を飲む時のマナーに音を立ててはならない。というものがあるんだ。それと紅茶のティーカップを持つ時は取手を摘むように持つこと。その二つを意識してティータイムを楽しんでくれ」
「確かにそうだな。すまん忘れてた。まあ、なんだ、言い訳に聞こえるかも知れないが、紅茶が美味かったのと、事件が一段落した気の緩みからついな」
 霧野はテーブルに乗せたままのソーサーにティーカップを戻し、平謝りの要領でペコペコと頭を下げながら手刀を切った。そんな霧野を見ていた優希が一言、「霧野さんらしいですね」とクスクス笑いながら言ったものだから、瞬く間に霧野の顔は赤く染まり頭を掻きながら俯いてしまった。しょうがないな。二人の気分も落ち着いたようだし、助け舟も兼ねてそろそろ始めるとしますか。厳一郎は手に持っていたティーカップとソーサーをテーブルに置き、椅子の背凭れに身体を預け、物腰柔らかく語り始めた。
「それではお二人さん。そろそろ事件の全貌をお話してもいいかな?」
 慧眼けいがん宿る眼差しから、いよいよこの事件も終わりを迎える。そう察した二人は姿勢を正し、気を引き締め『はい』と緊張の面持ちで頷いた。

「では、始めるとしよう。まずは……」
 厳一郎はスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出し、何やら操作を始めた。
「これでよし。霧野君のスマホに写真付きのメールを送ったから、それを見ながら僕の話を聞いてくれ」
 優希と霧野はコクリと頷いた。その直後、霧野のズボンに入っていたスマートフォンが震えた。ポケットからスマートフォンを取り出した霧野は顔認証でロックを解除すると、優希にも見えるように二人の間にスマートフォンを移動させメールを開いた。
 メールには文章の類は一切なく写真だけが添付されていた。一枚目は手前に鉄格子が取り付けられた地下室の写真。広さはおおよそ四畳から五畳ほどで、壁も床も天井も打ちっぱなしのコンクリート壁で覆われ、向かって右側には白で統一されたシャワーとトイレと洗面台がユニット形式で設置されており、左側には昼光色の読書灯が光る黒い鉄製のデスクと椅子が壁沿いに配置されいた。それ以外にも水回りと生活空間を仕切るための緑色の防水カーテンが中央に引かれており、デスクの手前──つまり左側の鉄格子寄りには、古びた布団類が掛けられた折り畳み式ベットが見受けられた。
 鉄格子の外側を写した二枚の写真には、郷田も目にしたあの高級酒類が陳列された赤い酒棚が二つ、Lの字で並んでいた。
「俺はもっと酷い現状を想像していたが……意外と綺麗だな。鉄格子が無ければお洒落なデザイナーズマンションの一室と見間違う程だ」
 写真に目を通した霧野は目をパチパチさせながら、隣に座っていた優希と顔を見合わせた。
「私も霧野さんと同じ事を思いました。監禁されていたと聞いたので、てっきり刑務所や留置所の様なところを想像していたのですが……これじゃあ普通のお部屋と大差ないですね」
 優希は思案顔で首を傾げた。
「その通り。二人ともなかなか良い勘をしているね」 
『どいうこと?』
 霧野と優希は同時に言葉を発し、厳一郎の顔を覗き込んだ。
「それについては三枚目の写真を見てくれ」
 霧野と優希は厳一郎に言われるがまま画面を下にスクロールした。そこには青い酒棚に保管された大量の高級酒類が並ぶ保管庫の写真があった。その写真を見て優希は感嘆の声を上げた。
「すごい。高いお酒ばかり並んでる」
「そうなのか!? 俺は酒にはうといからさっぱりわからんぞ」
 普段お酒を口にしない霧野は困惑しながら画面と優希の顔を交互に見やった。
「大丈夫ですよ、霧野さん。今からご説明しますから」
 優希は慌てふためく霧野を両手でなだめ、柔和にゅうわな口調で説明を始めた。
「まずは……霧野さんに確認したいんですけれども、お酒の銘柄はご存知ですか?」
「ごめん、優希ちゃん。俺そっちの方は本当に疎いのよ」
「謝らないでください。全然大丈夫ですよ。それでは……まず一番下の棚から見て行きましょう。この棚に並んでいるのは毎年十一月頃にお披露目される超有名な赤ワインや、同じくフランスの土地で育てられた超有名にして高級な白ワインたちです。寝かせて保管しているのはコルクの乾燥を防ぎ、長期熟成させる為です。
 二段目の棚にあるのは我が国──日本が世界に誇る高級なお酒たちです。威風堂々と佇む日本酒に日本名山の洗練された地下水を使用して作られたウィスキー。それ以外にも米・さつまいも・麦を用いて作られた焼酎も並んでいます。いずれも全て貴重な品物ばかりです。
 そして一番上の棚に顔を揃えるのは、決して眠ることのないネオン街で愛されている高級ブランデーや最高級のシャンパンなど、飲んだことはなくとも一度はその名を聞いたことがあるお酒たちです。つまり、ここに写っているのは全て名酒なんです」
「なるほど! そういうことか!」
 優希の説明を受け、霧野は目を見開いた。
「そうなんだ。一見すると『ただお酒が並んでいる』ように見えるが、その光景にはちゃんと共通点があったんだよ。もっとも、霧野君はお酒を嗜まないから難しかったかも知れないが、まあ、今回は優希ちゃんの知識と人間性に感謝だね。それにしても、いくら良家の生まれとはいえ、直ぐに高級なお酒だと気付いたのはお見事。なかなか良い慧眼をお持ちで」
 厳一郎は足を組み頬杖を付きながら、霧野と肩を寄せ合い話し合う優希に拍手を送った。
「お褒めの言葉ありがとうございます。でも、私はまだお酒を飲んだ事がないので、産まれたてのヒヨコみたいなものですけれどもね」
 優希は悪戯っ子の笑顔で下をぺろっと出してみせた。
「それに関しては問題ない。日本には飲み会という謎の習慣があるからね。そのうち嫌でも覚えるよ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。とはいえ、僕みたいに人付き合いが悪いと思われることを覚悟の上で、断り続けることも不可能ではないが」
「いや、それはちょっと……取り敢えず習慣にならってみます」
「それが良いだろうね。話がれてしまった。では、そんな優希ちゃんにもう一つ謎を解いて貰おうかな」
「なんですか?」
「確かに高級なお酒というのは今回の謎と深く関わっているが、それだけでは事実に辿り着くことはできない。もう一手先を読むんだ。そうすれば、僕が組み立てた推理が見えてくる。ヒントは三枚目の写真だ。物理的にではなく読心的想像力を働かせてみてくれ」
 厳一郎に言われ優希と霧野は再びスマートフォンの画面を覗き込んだ。しかし、いくら観察しても特段新しい発見を得ることはできなかった。とうとう優希は難しい顔で画面と睨めっこを決め込んでしまった。さすがに無理難題だったか……それじゃあ、当初の計画通り僕が答えを言うとしよう。心配と自責の念に駆られた厳一郎が発言しようした時、霧野が何のなしに、
「わからんな。別に地下室にお酒を保管するのは不思議な事じゃない。俺の頭じゃあいくら考えてもらちがあかん。優希ちゃんはどう? 何か気付いた?」
 頭をワシャワシャと掻きながら優希に問いかけた。
「そうですね……私の家にも地下室にワインセラーはありますし、保管されているのも有名なお酒ばかりです。値も張るので集めるには苦労したと父も言ってい──あっ! そうか! 確かにそう考えるとおかしいかも」
「何がだ?」
「私の家はお金持ちなので高いお酒を買うことができますが、一男おじさんは会社員です。例え役職に就いていたとしても、これだけ高いお酒を買うことはできなかったはず。一体どうやってお金を用意したのでしょうか。不思議でなりません」
 優希は画面に写る高いお酒を指差しながら興奮気味に喋った。そして、答えを知っているであろう厳一郎に視線を移した。
「教えてください。何があったのか」
「もちろんさ」
 軽く笑みを浮かべると、厳一郎は淡々と話し始めた。
「まず酒類に関する法律について軽く触れておこう。お酒を継続的に販売することが目的であれば、営利性を問わず酒類販売業免許が必要だ。しかし、昨今流行りのネットオークションやフリーマーケット及びバザー等に関しては、贈答品・不用品・家に余っているお酒等であるならば、売る時に免許は要らない。だが、個人であってもネットオークションやフリマアプリ等で何度もお酒を出品する場合は『継続的な販売』とみなされ、先程の免許を取る必要が出てくる。それと、これは当たり前の話しだが、そもそも免許を持っていない者が『転売目的』で酒類を購入して販売し、それを何度も繰り返し行った場合は違法になる。
 最後に『ネットショップ』でお酒を販売する場合は、『通信販売酒類小売業免許』が必要になる。これは今回の事件とは関係が薄いので、説明をはぶいても差し支えないのだが、一応簡潔に説明しておくと、幾つかの細かい条件や審査はあるが、大まかなルールは四つだ。
 一つ目、過去にアルコール事業法で悪い事をしていないか、それと税金を滞納していないか。
 二つ目、場所が飲食店とかぶっていないか。これは『通信販売酒類小売業免許』がネットに限定されているからだ。つまり、飲食店や実際にお店で販売する場合は別な免許が必要になり、この免許での販売はできない。
 三つ目、経営に関しての知識があるか。具体的に言うと、過去一年以内に銀行から取引停止を受けていないか、二〇パーセント以上の欠損を出していないか。
 四つ目、国内のお酒に関しては、年間の出荷量が三〇〇〇キロリットル未満でなければならない。海外のお酒は特に制限はないものの、輸入する際に食品衛生法に基づいた審査や、輸入者の名称及び食品添加物などを日本語で表示する必要がある。このように輸入したものを販売する場合にも様々な規則があるため注意が必要なんだ。
 付け加えるならば、自宅を個人事業主の会社として登記簿に載せておくことも忘れずに。それを踏まえた上で話を聞いてくれ。では行くぞ」
 優希と霧野は目をしばかせながら頷いた。
「まずはなぜ時田一男が高級な酒を買えたのか。これに関してはそう難しくない。なに、簡単だよ。あるだけの貯金を全て注ぎ込んで高級なお酒を買い、それを更に高い値段で販売していたから。つまり、時田一男はただの酒好きではなく転売ヤーでもあった。しかも、裏社会の人間と直接会って売買をしていたのだから驚きだ」
「待て厳一郎。借金をしながら買い続けていた。と言う可能性はないのか?」
 霧野は無駄だと知りながら、優希のことを思い割って入った。
「それも考えたが、思い出してくれ。時田一男が亡くなった際、警察は先程話した酒税法に関する申請書や免許の交付、個人事業主に関する登記簿等全て入念に捜査を行なったが、借金はおろか書類一枚さえ確認する事はできなかった。以上の事から僕は正当な活動ではないと早々に見切りをつけた。尤も、ネットオークションでやり取りをしていたならば履歴から辿たどる事もできたが……時田一男がお酒の違法取引を始めたのはネットが普及する前からだ。よってなかなか尻尾を捕まえることができなかった。これに関しては警察よりも時田一男の方が一枚上手だったね」
「なるほどな」
 霧野はやるせない顔でスマートフォンの写真をじっと見つめた。
「話を続けよう。この時点で時田一男の悪事を知っていた人物がいた。妻の時田真奈だ。おそらく彼女は何度も止めるように説得したが、無類の酒好きだった時田一男は一向に聞く耳を持たなかった。そして、あの事故が起こってしまった。そう、時田一男が入浴中に亡くなってしまったのだ。この件に関しては、もう今となっては殺人なのか事故なのか立証することは不可能だ。よって断言は避けるが、問題はこのあとだ。裏社会の人間は一度関係を持つとそう簡単には解放してくれない。よって時田一男亡きあとは時田真奈が引き継いでいたと断言できる。その後は……おおかた見当は付いているんじゃないか?」
 これを受けて霧野が話を引き継いだ。
「きっかけは不明だが、息子の大輔も地下室に並べられた大量の高い酒に気付いた。そうなると大輔のことだ。おそらく母親である時田真奈に詰め寄ったはずだ。あれは何だと。それで答えに窮した時田真奈は、翌朝の朝食に睡眠薬を混ぜ、大輔を眠らせて地下室に閉じ込めた。これなら話の筋が通る。合ってるか? 厳一郎?」
 厳一郎は嬉しそうに手を叩いた。
「やはり君も良い勘をしているね。正解だよ。さっき郷田さんにメールで確認したところ、時田真奈も同じ供述をしたそうだ」
「やっぱりな。そうだろうと思ったよ。であるならば、大輔を殺さなかった理由は、やはり一人息子を手にかける事ができなかったからか?」
「おそらくね。お腹を痛めて産んだ子だ。そう簡単に殺そうとは思わないだろう。それに、大輔は大学を卒業したあと地元でも大きな工場に入社し、当時は出世コースの真っ只中。まさに自慢の一人息子さ」
 ここで二人のやり取りを聞いていた優希が口を開いた。
「お二人の話を聞いて少し安心しました。おばさんの心にも良心や道徳心が残っていたんだなって。それでも疑問が残ります。おばさんは大輔さんを監禁してどうするつもりだったのでしょうか。ずっと地下室に閉じ込めておくつもりだったんですか? それはちょっと現実的ではないような気が……それに、お酒を保管するだけなら鉄格子はいらないはずです。どうして鉄格子があったのか……それらについても教えて頂けますか?」
 未だ不安の拭えない優希は、怯た表情で厳一郎を見つめてきた。それを察した厳一郎は穏やかな声色で答えた。
「監禁については──知り得た情報を口外しないように説得するつもりだったんだろうね。なんせ時田大輔は酒の違法売買を行なっている売人の大切な商品を見てしまったのだから、もし警察に通報でもされたら万事休ばんじきゅうすだよ。そうなると売人の取る行動は一つ。時田大輔を殺害すること。そうならないように、時田真奈は息子を鉄格子の部屋に閉じ込め、酒の売人に「息子を説得して味方に付けるから、殺さないでくれ」と懇願したのだろう。無論、相手は裏社会の人間だ。同情で見逃すとは到底思えない。が、酒の密売人にもメリットはあった。例えば、時田大輔を殺したあとの死体の処理をせずに済む事や、時田家に預けていた大量のお酒を移動させずに保管して置ける事など、色々な状況が重なった結果、酒の密売人と時田親子の奇妙な監禁生活が幕を開けたって訳さ」
「しかしだ厳一郎よ、そもそも何で酒の密売人は時田家にお酒を隠したりしたんだ?」
「ああ、それは酒の密売人は常に大量の盗まれた高級酒類の在庫を抱えているから、それに見合った置き場を探さなければならないのだが、普通に手続きをして倉庫やワインセラーなどを借りたら足がついてしまう。そこで今回の密売人は取引を行なっている客──つまり一般人の家屋に隠す事を考えた。しかし、そうなると保管している高いお酒が誰の物か区別がつかなくなってしまう可能性があった為、時田一男のコレクションは赤い酒棚に、密売人の商品は青い酒棚に分けて保管していたんだ」
「なぜ、赤い酒棚が一男おじさんのだとわかったんですか?」
「いくら時田一男がお酒の違法売買に手を染めていたとはいえ、裏社会の売人より稼ぐ事は不可能だと思ったからだよ。という事はそう簡単にコレクションを増やせるはずはないから、数の少ない赤い酒棚が時田一男のお酒だという事がわかる。であるならば、高いお酒が大量に陳列された青い酒棚は──そう、売人が預けていた盗品になるという訳さ」
「でもよ、厳一郎。そんなに大量のお酒をどうやって時田家に運んでいたんだ? どう考えても誰かに見られそうなもんだが……」
「そう難しく考える必要はないよ。例えば高いスーツに身を包んだ人間がビジネスバックを持って時田家を訪問したとしよう。優希ちゃんの目にはどう映る?」
「うーん、そうですね。私なら訪問セールスの人が来たのかなって思いますね」
「正解! おそらく他の近隣住民の目にも訪問営業の人間に見えた事だろう。しかし、その実は鞄の中に高級なお酒を忍ばせた密売人だった。あとは簡単。家の中に入ってしまえばこっちのものさ。時田家には地下シェルターがあるからね。作業を見られる事もなければ、会話を聞かれる心配もない。さぞかしやりやすかった事だろう。今まで誰にも気付かれなかったのがその証さ。きっと売人も鼻高々だったに違いない」
「ずる賢い奴もいたもんだ」
 霧野は小さく舌打ちをして渋面を浮かべた。その隣で優希がぽつりと呟いた。
「恐ろしい世界もあるんですね……」
「ああ、だが、どんな状況でも必ず打開策はある。今回は優希ちゃんと霧野君がその役目を負った訳だ。ある意味良かったんじゃないかい? 君達で」
「どうしてだ?」
 霧野が目を点にして訊いてきた。
「僕に繋がったからさ」
 厳一郎は珍しくドヤ顔を浮かべた。
「言うね」
「このぐらいは言わせてくれよ」
 霧野と厳一郎は互いにほくそ笑んだ。そんな二人の様子をやり取りを見て、優希は少しうらやましく思ったのであった。

「鉄格子については三枚目の写真を見れば一目瞭然だと思うよ」
 真剣な表情に戻った厳一郎の言葉を受け、霧野は手に持っていたスマートフォンの画面を下にスクロールした。そこにはコンクリート壁に埋め込まれた金庫の写真が写っていた。開かれた分厚い鉄製の扉の中には、百万円ごとに帯留めされた大量の札束が二段三段と綺麗に重ねられ、所狭ところせましと並んでいた。
「マジか……すげえな」
「こんなの初めて見ました」
 霧野と優希は目を輝かせながら、惚れ惚れとした顔でそう言ったが、そんな二人とは対照的に、厳一郎は普段通り淡々とした調子で推理を続けた。
「時田一男は転売で儲けたお金をその金庫の中にしまっていた。一般人に対しては有効な防犯対策だが、プロの空き巣犯が相手なら話は変わってくる。彼らは勘が鋭いからね。例え設計図に載っていない地下シェルターでも気付くだろう。そうなると万が一空き巣犯と鉢合わせした時、死に物狂いで戦うことになる。だが、時田一男が家を建てたのは四十代の頃だ。老いて行く身体のことを考えると、空き巣犯を殺害するのは難しい」
「ちょっと待ってください。どうして殺す必要があるんですか!?」
 狼狽した顔で優希が聞いてきた。
「時田一男は違法だと知りながら酒の転売をしていた。それがバレると困る。つまり、生かして帰す訳には行かないが、警察に突き出す訳にもいかない。であるならば、殺害もむ無しと考えるのが普通だろう。
 そうなると、まずは頭を一発殴るか首を絞めて気絶させ、鉄格子の中にぶち込む。その後暫くの間水も食事も与えずに放置し、飢えが限界に達したところで睡眠薬入りの食事を与え眠らせる。あとは眠ったところを一方的に殴りつけて殺害。最後に遺体の処理を行えば、時田一男は無傷で全ての証拠を隠滅する事ができる。わかったかな?」
『……なるほどね』
 霧野と優希はほほを引きらせ固まってしまった。
「ふう、疲れた。紅茶を頂くとしよう」
 厳一郎は組んでいた足をほどき、ティーカップに手を伸ばした。
「あれだけ恐ろしい話をしておいて、よく紅茶が喉を通るな」
「僕からすれば普通さ」
 厳一郎はティーカップを優しく回し、紅茶の香りを楽しんだあと、静かに口をつけた。
「うん、美味しい」
 あまりの清々しさに霧野と優希は苦笑する他なかった。

 大客間が沈黙に支配されてから数分後、口火を切ったのは霧野だった。
「そもそも厳一郎よ。お前はどの段階で気付いていたんだ?」
 厳一郎は手に持っていたティーカップとソーサーを優しくテーブルに置き頬杖を付いた。
「最初に違和感を覚えたのは、優希ちゃんが夜のコンビニに出掛けた時、大輔さんの声を聞いたという話だ。仮に優希ちゃんの聞いた声が幽霊になった大輔さんのモノだったとすると、大輔さんは既に死亡したという事になる。そう考えると『いつ・どこで・どうして・何が原因で』死亡したのか。あるいは、『誰が』、『何のために』殺害したのか。それを解かなければならないが、霧野君の話を聞く限り、一番あやしい時田真奈は先程述べた通り自分の息子を殺すとは考えにくいし、酒の密売人も直ぐに大輔さんを殺す理由は見当たらない。空き巣犯に関しては、ここ数年住宅街から被害届けが出されていない事を考えると除外していいだろう。因みに事故死や病死については、そもそも隠す必要がないので真っ先に除外した。ねえ、こう考えると残る可能性は一つしかないだろう?」
「時田大輔生存ルートだな」
「正解」
「でも、それがわかったからと言って、どうして時田家に監禁されていると思ったんですか? 他の場所に監禁されている可能性もありましたよね? それにどうして夜だけ大輔さんの声が聞こえてきたんですか?」
 優希はじっと厳一郎の顔を覗き込んだ。
「監禁場所については優希ちゃんが大輔さんの声を聞いたのが時田家だったから直ぐにわかったよ」
「あっ! なるほど。言われてみればそうですね」
「次になぜ大輔さんの声が夜だけ聞こえてきたのかについてだが、なに、そんなに難しい話じゃないよ。時田家があるのはファミリー層が多く住む住宅街だ。共働きの家庭も多いが、専業主婦やお年寄りの人達も暮らしているから、昼間に犬の散歩やウォーキング等で時田家の前を通ることもあるだろうし、近くには高校もあるからね。学生達も行き来する。そう考えると昼間大輔さんに声を出されるのは上手くない。だからと言って、当人に「黙っていてくれ」とお願いしたところで到底聞き入れてくれるとも思えない。それで朝食に睡眠薬を混ぜて眠らせることにしたんだろうね。
 そうそう、睡眠薬の出所については、生前に時田一男が処方されていた物だよ。郷田さんに確認したところ、時田一男の行政解剖を行った際、体内から検出された睡眠薬の量は適量だったらしい。つまり、処方された薬袋の中にはまだ睡眠薬が残っていたはずなんだ。それを使ったと言う訳さ。だから、大輔さんは昼間ずぅーと夢の中だった」
「なるほどな。そうなると夜は起きている訳だから、優希ちゃんが声を聞いても不思議ではないってことか」
「そういう事ですね」
 霧野と優希はクコリと頷いた。
「付け加えると、大輔さんの具体的な監禁場所についても大方見当はついていたよ。疲れるので詳細ははぶくが、君たち二人が時田家を訪れた際、不審な物音は聞こえなかったと言っていたが、大輔さんは昼間眠らされている訳だから、いびきぐらいは聞こえてきてもいいものだ。それがなかったということは、あの家に隠し部屋か地下室があるのではないかと疑うのが普通だろう。そして、その二つの選択肢の内、僕は地下室に当たりをつけた。理由は二つ。
 一つ目は庭に咲いていた赤い紫陽花だ。紫陽花の花が赤くなるのは土壌がアルカリ性だから。元々土がそうだったと言う可能性もあるが、日本の土壌のほとんどは酸性なので少し考えづらい。もちろん石灰をいて土壌の性質を変えた可能性もあるが、庭に植えてある花の種類と量を考えると、時田真奈がガーデニングに熱を上げていたとは考え難い。であるならば一番高い可能性としては、庭の下にアルカリ性の巨大な何が埋まっており、その成分が長年の劣化によって地中に染み出してしまったのではないか。それで時田家の庭には赤い紫陽花しか咲いていなかった。
 二つ目は庭に面した大きな掃き出し窓だ。その窓に霧野君が近付いた時、なぜ時田真奈は慌てふためいて止めたのか。おそらく地下シェルターを造った影響で、家が若干傾いてしまい、そのひずみが原因で掃き出し窓が開かなくなってしまったんだろう。この仮説については郷田さんに頼んで裏を取ってもらった。時田家を建てた工務店を突き止めて話を聴いたところ、どうやらあの地下シェルターは時田一男の強い要望で造られたらしい。それも無理やりね。そうなると違法建築になる訳だから、書類も誤魔化さなければならない。当然役所に勤めている人間の協力がいる。それで当時役所に勤めていた人間に話を聴いたところ、幼馴染みに頼まれて仕方なく書類を改竄かいざんしたと白状した。実は工務店の社長も書類を改竄した役所の人間も、時田真奈とは小・中・高・大学まで一緒に過ごした親友だったらしい。まあ、時田真奈は綺麗だからね。二人からすれば『高嶺の花』だったのかもしれないね。
 まあ、そういう訳で、僕は君達から話を聞いた段階である程度見当は付いていたのだが、立証できなければ意味がない。だから君達に話すことはできなかった。これに関しては申し訳ないと思っているよ。僕の方からは以上になるが、何か質問はあるかい?」
 まるで頭の中のメモ帳を一枚一枚丁寧に読み上げるかの様に、厳一郎はどこか遠くを見つめながら、一定のリズムで飄々ひょうひょうと自らの推理を披露した。優希はおおーと言いながら拍手を送ったが、霧野はまだ引っかかる事があるらしく、顎に手を当てながら、
「厳一郎、一つだけ聞いてもいいか。庭にあった井戸なんだけどさ、あれは本当に使われていなかったのか? いや、使われている雰囲気はなかったんだが、ずっと放ったらかしって訳でもないような気がしてな。なんか解せないんだよなあ」
 と首を傾げながら言った。
「ああ、それについては、地下室の室温は一定だから、酒の保管場所としては最適なんだけれども、いかんせん湿度が高くなってしまうから、こまめに換気をしなければならないんだ。それであの地下シェルターにも通気口が設けられていたんだけれども、普通に設置するとバレてしまうので、他の物に偽装してあったんだ。それが霧野君が庭で見た井戸だったんだよ。郷田さんによると、ゴミや虫や小動物の侵入を防く為に、井戸の上部から約十五センチほど下に網が設置してあり、そこから更に十五センチほど──つまり一番上から三十センチ下の側面に、通気口の穴が見つかったらしい。これで空気の循環と湿度の調整を行っていた訳だよ。しかしながら、一つだけ防がない物があった。雨だよ。これに関しては井戸に蓋を乗せるしかない」
「それであの時訊いたのか! 雨は降っていたのかって。それと井戸の上に蓋は乗っていなかったかって」
「そうだよ。まあ、訊いといて言うのもあれだけど、今まですっかり失念していた」
「嘘だろう。普通自分で訊いたことを忘れるか!? まあ、別にいいけどさ」
 厳一郎は頬の辺りをポリポリ掻いて平謝りをした。それを見ていた優希はフフフと笑い、厳一郎と霧野もつられて吹き出してしまった。

 その後もお互いの身の上話しに花を咲かせていた三人であったが、突如大客間の扉がノックされ、その会話は打ち切られた。どうぞ。優希の優しい声が部屋の中に響き渡る。
 失礼しますと入ってきたのは執事の旗野であった。皺一つないスーツに気品を纏った佇まいで優希の側へと歩いて行き、丁寧な口調でこう告げた。
「お嬢様、十九時です。ご夕食の支度が整いました。食堂までお越しください」
「わかりました。すぐに行きます。そうだ! 折角だからお二人も一緒にいかがですか? 謎を解いて頂いたお礼も兼ねて」
 優希は声を弾ませながら聞いてきた。霧野は二つ返事で応じたが、厳一郎はちょっと待ってくれと言い、スマートフォンを取り出し、カレンダーのアプリを開いて予定を確認した。ああ、マズイな。原稿の締め切りが近い。これは早く帰って筆を取らないと間に合わないかもしれない。仕方ない……厳一郎は目を爛々と輝かせている優希に対し、申し訳なさそうに謝った。
「僕も霧野も小説家ですからね。原稿の締め切りに追われています。もし遅れたら担当の編集者から怒られてしまいますので、ご馳走になりたい気持ちは山々なのですが、そろそろ帰って執筆しないと。申し訳ありませんが、お食事はまたの機会に。では霧野君、そろそろおいとまするとしよう」
「確かにな……お前の言うことも一理ある」
 霧野も思い当たる節があったのか、名残惜しそうに呟いた。
「そうですよね。お二人とも忙しい身ですものね……我儘わがままを言ってしまい申し訳ありませんでした。お食事に関しては、厳一郎さんのおっしゃる通り、きちんと日取りを決めて行うことにしましょう。では、駐車場までお見送りしますわ」
 優希は取り繕った笑顔を浮かべたあと、立ち上がり、肩を落としながら大客間を出て行った。厳一郎と霧野は重い溜め息を吐き、沈んだ気持ちで腰を上げ、まだ残っていた執事の旗野に軽く会釈をして大客間を去ろうとした。その時、旗野の穏やかな声が二人の背中に届いた。
「優希様はまだ大学生ですが、お二人は社会人です。お仕事を優先されることは懸命なご判断だと思います。しかしながら、優希様は一人っ子です。そのうえご両親は仕事でお忙しく、ほとんどこの家には帰って来ません。優希様は平静を装っておられますが、本心はきっと寂しい思いをされていることでしょう。ですので、こうして出会えたのも何かのご縁と思い、どうか今後とも優希様と仲良くして上げてください」
 振り返って話を聞いていた厳一郎と霧野は、お互いを見合ったあと、顔をほころばせ、旗野に一言、『また来ます』と返し、軽く会釈をして大客間を後にした。

 外に出ると冷たい風が肌をかすめた。空を見上げると太陽はなく、紫色の空が遥か遠くの山々の稜線をかたどっていた。厳一郎と霧野は寒いなと言い合いながら、玄関を出て右側にある駐車場へと身体を縮こませながら歩いて行った。
 駐車場に着くと霧野の愛車である黒い軽自動車の側で、アスファルトを足でグリグリしている優希の姿があった。
「そんなにねるなよ。優希ちゃん」
 霧野が近寄り優しく声をかけた。
「拗ねてません。ただ……帰っちゃうのかなあと思っただけです」
 依然として下を向いたまま、優希は意地けた口調で返してきた。
「そんなに俺と別れるのが恋しいのなら、一泊しちゃおうかな」
「いや、それはちょっと……」
「やっぱり駄目か……ごめんね」
「いえ、別に」
 優希は若干引き気味の笑顔を浮かべつつも、ようやく視線を上げて、頭をポリポリと掻いている霧野に優しい眼差しを送った。うん、優希ちゃんの心も多少は和んだようだ。さすが霧野君だ。それじゃあ、この雰囲気が壊れない内に撤退するとしますか。厳一郎は柔らかい口調で優希に別れの挨拶を告げた。
「それじゃあ優希ちゃん、僕達は帰るとするよ。また何かあったら霧野君に電話してくれ。そうすれば僕に繋がるから」
「はい、わかりました。今回はご助力いただきありがとうございました」
 名残惜しそうな顔で深々と頭を下げる優希に厳一郎と霧野は優しい口調で、『どういたしまして』と微笑み返したのであった。

「それじゃあ、帰るとしますか」
「うん。家までよろしく頼むよ」
「心配するな、ちゃんと送ってやるよ」
「すまない」
 厳一郎がシートベルトを締めたのを確認すると、霧野は愛車である黒い軽自動車のエンジンをかけ、ヘッドライトを点灯させた。夜の帳が下りた駐車場に年季の入った軽快な音が鳴り響く。
 左足を踏み込みサイドブレーキを解除すると、霧野はシフトレバーをドライブに入れ、ハンドルを切りながらゆっくりと車を発進させた。そして二人を見送る為に佇む優希の横に車を停め、厳一郎の座る助手席側の窓を開けて、もうほとんど見えなくなった優希を見つめ、しばらくの別れをしんだ。
「それじゃあ優希ちゃん、またね」
「はい、またいつかお会いしましょう。厳一郎さんもまたいつか」
「ああ、またいつか」
 明るくも寂しい優希の口調と、それを察して敢えて平静を装った厳一郎の声が、この物語の終わりを告げたのであった。

                   完

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