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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第四話 確証とは 一

 小高い山の頂きを少し過ぎた辺りに十字路の交差点がある。左手には桜並木が続いており、昼間は陽光に舞う桜吹雪を、夜は提灯でライトアップされた夜桜を楽しむことができる。
 右手には昔ながらの住宅街が広がっている。生活路も当時の様相をそのまま引き継いでいる為まあまあ狭く、車同士がすれ違う時は電柱の位置も気にしながら互いに譲り合い避けなければならない。これだけでも相当危険なのだが、更にまずいのは生活路の一つが県道とバイパスを結ぶ抜け道になっていることだ。その為にここは意外と交通量が多く、小学校に通う子供達にとっては決して安全な通学路とは言い難い。そんな十字路を直進した少し先に霧野の愛車は止まっていた。前輪付近には停止線を意味する白いプレートが横たわっている。

参ったな。ここは交通量が多いから、中々車が途切れん。

霧野はハンドルを握り締めたまま、横目で車内のデジタル時計を確認した。

十五時五十五分か。時間通りか……少し遅れるか……まあ、どちらにせよギリギリだろうな。はあ、俺の計画では既に着いている筈だったんだが。

霧野は対向車列の最後尾に次々と加わっていく車両たちを眺めながら、現在に至るまでの行動を振り返った。優希と別れたあと、打ち合わせ通り霧野は自宅に直帰した。元々霧野の自宅は河川敷公園からまあまあ近い位置にあった為、家に帰るまでにかかった時間は十分程度。それからシャワーで汗を流し、着替え等を終えるまでに要した時間は二十分程。更に玄関を施錠し車に乗り乗り込むまで約五分。ここまで合計三十五分。よって家を出た時刻は十五時三十五分前後であった。それでも、まだ約束の時間までは二十五分程度余っていた為、霧野に焦りの気持ちはなかった。寧ろ余裕さえ感じていた。ところが想定外の工事に出会でくわし、ご覧の通り絵に描いたような足止めをくらってしまったのだ。
 霧野は前方に視線を向けた。交通整理を行っている五十代とおぼしき警備員が赤い旗を掲げてこちらを見ている。その後ろには黙々と作業を続ける浅黒い顔の職人達の姿があった。時折、大きく掘られた穴から白いヘルメットが見え隠れしている。その横を今か今かと待ち望んだ車両たちが我先にと走り抜けて行く。

運転しているから当たり前だが、誰も職人達には目もくれないな。あの人達のお陰で、俺たちは何不自由なく暮らしていけるのにな。そう考えると、やはり感謝の気持ちは大事だ。

 霧野はフロントガラス越しに映る職人達に謝意を込めた眼差しを送った。
 それから暫くの後、対向車の流れがぱたりと止まり、警備員が慣れた手つきで赤旗を後ろに隠し、真緑の旗を振った。霧野は軽く頭を下げ、ハンドルを少し右に切りながら、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 優希はブラウンのトートバッグから白いスマートフォンを取り出した。時刻は十六時五分。待ち合わせ時刻を五分ほど過ぎている。

霧野さんて意外と時間にルーズなのかな。

優希はスマートフォンを握り締めたまま、霧野の顔を思い浮かべた。中性的な顔つきに割とパッチリとした目、片方だけ上がった薄い唇。軽い男という言葉が先に出てきてしまいそうな印象。

うーん、無きにしも非ずって感じかあ。まあそれでも約束をすっぽかすような人ではないから、そのうち来るでしょう。

優希は雑誌の背表紙と店内の明かりを背負い、コンビニの前で霧野を待ち続けた。
 それから五分後、まだ雲が薄く広がる空を眺めながら、もし雨が降り始めたら大好きな紅茶でも買ってイートインコーナーで時間を潰せばいいか……と考えていた時、優希の眼前に見覚えのある黒い車が停車した。運転席に座っている男性が優希に軽く手を挙げ挨拶をしている。優希は小走りで助手席まで駆けて行き、
「遅かったですね。遅刻ですよ」
 と若干意地悪な調子で言いながらドアを開けて乗り込んだ。バタンとドアが閉まる音が車内に響き渡る。お尻の位置を整えた優希は、顔だけを横に向け隣に座っている霧野を見つめた。その視線を感じ取ったのであろう、霧野は罰が悪そうな顔で、
「一つ言い訳をさせてくれ。ここに来るまでの道中、工事の渋滞にはまった。それで遅れてしまった……悪かったよ」
 表情はそのままに右手で鼻先を掻きながら、申し訳なさそうにチラッと優希の方を見てきた。優希はツンとした顔で「ふーん」と一言発したあと、
「それは言い訳ですね。でも、まあ、ちゃんと来てくれた訳だし、今回は許すとしましょう」
 悪戯っ子のような口調でニコッと笑い返した。
「フッハハ──そいつは良かった。俺の心も救われたよ」
 霧野は車をバックさせて向きを変えた。シフトレバーをリバースからドライブに入れ、ゆっくりと駐車場の出口へと進んで行く。霧野は優希に問いかけた。
「ここはどっちに行けばいいんだ。右か? それとも左か? 」
「そこ左に出て直ぐ右に曲がってください」
 優希の的確な指示が飛んだ。霧野は言われるがままに優希のナビゲーション通り車を走らせた。

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