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知ってること実際のこと

知識を持つと今起きている状況を見て問題が起きたときに何が問題なのかは分かることがある。

でも、それって一部分の話なので解決策を提示しても部分的な解決で、次に同じような状況になったときに同じように解決出来るとは限らないな。ということが最近感じていること。

カタチに決められろ

ボールを強く蹴ることが出来ない。ことに対して。

ボールのどこを足のどこで蹴るか。

どんなフォームで蹴るか。

分かってはいるけど、出来ない。

けど、案外DFが居て、そのパスの強さじゃ通らないってことが分かれば強く蹴れたりする。


置かれた状況によって自分が変化するということもどうやらあるみたい。

知識にしようと思えば、単純にしていかなきゃ共通の認識は持てないんだけど、実際に行動するときには他の知識や要素も加わってくるので、それは加味しないといけないと思う。

かと言って、複雑な状況を複雑なまま理解するというのはとても難易度の高いこと。

具体と抽象の往来であったり、分断ではなくグラデーション。

さっきの練習でやったよね、この前やったよね。ってよく聞く。

でも、1つの要素が加わったり、変化するとどうしても同じ状況には見えないし思えない。

シーンではなくストーリーで


この辺の理解や何が加わって、何が変わったのかを見極めたり、兆候を見定めることが大切なのかな。

大喜利のIPPONグランプリでも写真で一言より、映像にアテレコするやつの方が難しそう。

コートの外の景色と中の景色は全然違う。

一度に見える範囲と見え方やアングルが違うから。

シーンは分かりやすい。

ストーリーは分かりづらい。

何がどう違うの?ってところ。

お覗きさん

これはフットボールに限った話ではないとは思う。

今の話はどこから来て、どこに向かって進む話なのか。

今というのは過去基準だと思っているので、結局、今を知るには過去を知る必要がある。

そこから未来を見据える。

そもそも今っていうのは存在しないというお話は一旦脇に置いて、もし今というものが存在するとしたら、過去と未来の接続部分。

過去のことから起こり得る可能性を見据える。

これは近い未来なら起こることは予測出来るはずで、未来が良くなるように分岐点の今を行動出来るんじゃないかと思ってる。

まとめ

何が言いたいかというと

部分を変えれば全体に影響が出るか?といったらそうではないから、全体が何によって成り立っているかを考えてみる。

これまでを振り返って、これからをどうすべきか今を分岐点として考えてみる。今までがダメだったからこの先もダメなんだってことはないはず。

今までが良くないなら、この先がダメそうなら今、どこに進んだら良くなりそうか考えてみる。

そしたら、少しはポジティブになれるんじゃないかってこと。

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