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内側と外側

知識が増えたとて、経験したとて、満たされることはそんなに多くない。

外側からの景色

前に何かを経験して振り返る。

何かを学んだ上で今を見る。

誰かと話をする。

客観的に物事を捉える、見るっていうのはとても大事なこと。

メタ認知って言葉もあるように、前提を脇に置いて自分を知ることも他者を知ることも大事。


ただ、それが行き過ぎると、どこか他人事になってしまう。

外に目が向いて自分のことも分からなくなるし、他者のことも分からなくなる。

内側に戻る

結局、外に行き過ぎると迷子になってしまう。

あれ?そもそも何が目的なんだっけ?

何がきっかけで今のことを学んだり、考えたりしてたんだっけ?

日本語っていう言語の特徴や、島国で生きているとそんな風になってしまうのかな。

あー、違う違う、結局自分は何かの流れの中の一部なんだってハッとする。

いくら外側を知ったとて、学んだとて、結局自分はその中の一部。

自分の考えを壊して、また作る。

作ったものは大事にしたいけど、壊れるし、必要があれば壊す。

そんでまた作られるし、作る。

擦りむいたら、その部分は壊れて、かさぶたになって、また元に戻る。


BUMP OF CHICKENもダイヤモンドでそんな歌を歌ってたっけ。

何回転んだっていいさ 擦り剥いた傷を
ちゃんと見るんだ
真紅の血が輝いて 「君は生きてる」と教えてる
固いアスファルトの上に雫になって落ちて
今までどこをどうやって歩いてきたのかを 教えてる

それが生きてるってことなのかな。


そんなもんって思えれば良いけど、なかなかそんなもんって思えない。

内側が息苦しくなったら外側に行こう。


外側に行ったらちゃんと内側に戻ってこよう。


自分はどれだけ外側に行っても全体の一部分だから。

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