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23th fuco:の誕生日によせて〜家族からみた彼女


2000年11月15日fuco:は我が家の第一子として、福岡県北九州市折尾という街で誕生しました。両親である私たちは、大学吹奏楽部(毎年全国大会に行く強豪校)同級生。結婚してからもずっと「瀬戸口くん」と呼んでおり、付き合い始めて10年経っての娘の誕生は呼び方も変えるきっかけになりました(笑)。そんないつまでも友達気分の私たちを彼女は親にしてくれたのです。

たまにハーフ?と聞かれるくらい可愛らしかったです

当時夫は長期海外出張も多く、私は派遣社員をたまにしながら、遠方の実家に帰ったり、資格取得のスクールに通ったり、まぁ気ままに暮らしていました。交際していた頃から結婚したらこんな家族を持ちたいと話した記憶も、家族計画も特になく(結婚すら予想外)、そもそも私たちには確固たる家族観は全くありませんでした。そして授かったのが超絶育てにくい自閉症児の子供!相性は抜群です(笑)。ドラマチックに大変だった彼女の育ちに関しては今回は割愛します。こちらからお時間ある時にご覧ください。

我が家の家族編成は両親、長女fuco:、次女高3、長男高1の5人家族。一言で言うのは難しいですが、転勤族で頼れる実家が遠い中、重度障害児のfuco:の他、10数回入院、救急搬送も数度、2度の手術、危篤歴ありの息子がいます。ええ、勿論次女も超絶手強いです。我が家に育てやすかった子は一人もいません!そんなメンバーに誕生日にあたって、今回聞いてみました。

「fuco:のことどう思う?」

まず次女から。

彼女はfuco:と3歳半離れていて、地域の小学校にも一緒に通った経験があり、息子が入院している時は二人でよく留守番をしていました。fuco:に洗濯たたみ、風呂掃除を日課として教え、次女も小学校低学年から毎朝味噌汁を作ってご飯を炊いていました。これで急な母不在時も(息子の入院できる病院の近くに住むためいつも父親職場市外の遠め…)、実家から助っ人が来るまでなんとか生きていけます。

次女もかなり個性派ですが、優しくて穏やか、芯は明後日の方向にしっかりしてます

母「お姉ちゃんが障害があるからっていじめにあったりした?」
次女「ないねぇ。友達とよくふうちゃんの支援学級遊びに行ったし、ふうちゃんの妹って可愛がってもらったし。あ、お姉ちゃん美人だねとはよく言われた。ふうちゃんのことで自分が我慢したって感じはあんまりなくて、合わせてもらってるっていうのはある」

次女は小さな頃からfuco:の同級生に家族ぐるみでよく遊んでもらって、病弱な弟もいたから、いつも周りにいた甘えられる年上の子達には随分救われただろうと思っています。姉がアート活動を始めてからは、打ち合わせに同行したり、旅についてきたり、取材を受けることもあって、「障害がある」以外の姉の側面を見る機会にも恵まれました。

うちの子供達は皆んな母より次女が大好きです(笑)
アートドレスの販売会で同行させていただいたのは、妹にとっても大きな経験になりました

親には言わない我慢も沢山してくれたはずだけど、そんな姉の一面を見ることができたのは、これからの人生で必ず何か救いになるはずです。まさに今進路選択の岐路にいる、彼女の将来の夢は「アートが映える(アートがあることは人生を豊かにしてくれると思うらしい)家を設計する建築士になること」だそうです。皆さま、彼女が建築士になった暁には姉妹の家&アートのセット購入などいかがでしょうか!

次に息子からの視点。


息子はfuco:と7歳離れていて、社会的な接点はあまりありませんでした。逆に次女とは幼稚園、小学校に始まり、受験した中学高校もずっと同じ。あとホントに入院生活が多かったので、家族で週末に遊びに行ったとかの記憶も少ないです(元気になったら中学受験の塾に通ってたし)。そんな息子も現在高校生。

母が忙しい時には姉が通っている福祉事業所に送迎に行ってくれることもあります。事前に「ふうちゃん、俺のいうこと聞かないからちゃんと聞くように言っといてくれよ」と言いますが、彼の懸念どうり、足のはやい姉に置いていかれそうになります。負けないように走って先に一人帰り、何しに行ったんだ、お前はということも(笑)。たまに風呂上がりの姉の髪を乾かしてやってたりもするし、思春期ながら優男に育ってます。

2ショットは本当にレアな二人

母「ふうちゃんのことどう思ってんの?妹みたいなの?」
息子「いや、ふうちゃんはふうちゃんだから。お姉ちゃんやろ」
母「ふうちゃん、学校の行事に来て恥ずかしいとかあったの?」
息子「いや、ふうちゃん霞むわ!他のメンバー濃いすぎやろ」
(ちなみに参観日に来てほしくないメンバー順でいくと、母→父→ふうちゃん→次女らしいです)

三人兄弟育てて本当に楽しかったです!いや、育てられたか

母がfuco:を育てる中で、妹や弟を連れてあちこち療育に行くことも多く、その際に心がけていたのは彼らの楽しいことも沢山するということでした。

そのために我が家にはよく沢山友達がきてご飯食べたり、お泊まり会したり、遊びに行ったり。ワイワイ本当に賑やかでした。ホットケーキやお好み焼き、焼きそばもホットプレートでよく焼いたものです。学校に行くと息子の友達とハイタッチして盛り上がったりしたり、役員も沢山していたので(息子のクラスの読み聞かせに行ったのも懐かしい!運悪く日直だった彼が感想言わされてたりしてた)鬱陶しいこともあったのだと思います。そういうことにしておきます(笑)。ということで、まさかのふうちゃんは霞むの一言!

そして父親に改めて聞いてみたこと。

母「ふうちゃん育てる中で大変だったことは何だった?」
父「ん〜、ないねぇ。記憶にない」
母「(嘘やろ)…なんかあるやろ」
父「小さかった時に喫茶店の音楽を嫌がって、止めてくださいって言ったことあったよね、あれとか?」
母「(逆に些細すぎて覚えてないわ)…家族で大変だったのは何?」
父「まぁ、息子が川崎病で死にかけて、今週が山ですって言われたのはあれは大変だったね。あとは宮崎から佐賀に引っ越したりとか」

命に関わることの次は、住んだことのない場所に最初単身赴任しながら引っ越したこと。息子の入院できる病院があるとこで住居を決めたため、市外の勤務地まで毎日通勤したのは大変だったようです…

父が帰宅すると夕食食べているところ、このように素早く背後に張り付いてニオイを確認します
弄ばれていますが(笑)、多分仲はいいんだと思います。顔は同じ二人です!

母からみたfuco:の存在観

他のメンバーと違い、大変だったと言いたいことは山ほどあります!!が、少しずつ成長してきて、逆に彼女のおかげでということが多くなりました。

彼女と弾くから再開した10数年続いているピアノ、彼女といくから続いているプールやジムでの体力づくり、彼女のアートでたくさんの人と知り合えたこと。気がつくと結局は支えられているのは私なのでは?と思うことすら出てきました。こんなはずではなかったのに(笑)。

調査結果、我が家のfuco:観は驚くほどナチュラルでした!

妹や弟の参観日や運動会にもfuco:はいつも参加したし(なんなら本人率先して玉入れとか出てた…)、彼女たちの友達も皆んな「ふうちゃん」の存在を知っている。「連れてきてほしくない」と言われたこともないのですが、本当のところはどう思っているのだろうとは思っていました。

みといてねとか迎えにいってと言われることはあるけど、毎日きっちり洗濯物を畳んだり、お風呂掃除してくれて助かるなとも思っているだろうし、自分たちの方ができることも山ほどあるけど、あんなにパズルできないなというところもある。障害があるからできないことばかりでないことも、一緒に育ってきたからこそ知っているのでしょう。私たちはただ今のままのfuco:しか知らないのです。それがすべて。

我が家のスリリングと癒しを兼任しています


ふうちゃんとこれからしたいこと

次女に聞いたらこのまま穏やかに暮らしたいそうです。「え、今は穏やかで平和なの?」と聞くとどうやらそのようです(笑)。新聞取材で以前「将来はふうちゃんにご馳走になりたい」みたいなことを言ってたので、その辺りももくろんでいるやもしれません。

息子はまず自分が方向音痴で二人で行ける場所は少ないそうですが、二人で宿泊することはできるので旅行は行けるらしい(笑)。高級な店に行くのは彼女が歩き回ったら制御できないから無理だけど、回転寿司くらいならいけるらしい。まぁ、まだ自分のことで精一杯な年齢ですから。基準がよくわかりません…

父親もどのくらい本気かわかりませんが、fuco:と二人旅してみたいそうです。大変だった記憶があまりないゆえだと思います!それならよかった、あの頃母頑張って非常によかったと思います。海外は無理って言っていますが、北海道でも沖縄でもどこかにいつか楽しく二人でいってくれることでしょう(その時はこれでもかの珍道中でありますように)。

母は家族以外とfuco:のごちゃ混ぜ海外ツアーもしてみたい。じゃんけんして部屋わり決めて、いちいち見るものに「おー」って共感しあって賑やかでいろんな境目が緩むような、ゆるーい自由な旅。

来年もまたいろんな人に会える旅したいな!

家族5人いたら、心配性な人や慎重な人いろんなタイプがいると思うのですが、我が家もれなく全員楽観的でして(しかも超がつく!)、聞きとりの結果、こんな事件多めの刺激的な毎日とこれまでをそれなりによしとしているようです。驚きました(笑)。どこかに出かけるのが大好きな彼女と、家族皆んな一緒に出かけてみたい、何かしてみたいことがあるくらいの好感度を十分に残して23年。それが「してあげたい、しなくては」でないのもまたよしかと。

今回は私たち家族のfuco:観でしたが、考えてみると、彼女の周りの人たち、そして社会もこんな風にナチュラルにお互いを思っていたら気持ちいいのかも。

そんなこんなでfuco:、たくさんの方のおかげで無事23歳になりました!ありがとうございます。HAPPY BIRTHDAY! 障害という境界線も限界線も思い込みも全部全部軽やかに飛び越えて、したいことどんどん叶えていこ〜!fuco:はこれからもただただfuco:なだけです!また一年存分に楽しんで欲しいです。どうぞまたこれからもよろしくお願いしますね!

いつまでも私は最強!と歌い続けて欲しい


※息子は自称顔出しNGだそうなので、一応年少期の写真を使用しています。今ではかつての病弱boy、fuco:よりもずっと背が高い高校生男子になんとか成長しています。



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