しぶい喫茶店

駅の南口を出てすぐのところにショッピングモールがある。その二階のプロムナードカフェに入って、ホットウィンナーを嗜みながらゆっくりするのにここ最近はハマっている。このカフェは喫煙席がわりと多くて、たぶん喫煙席のほうが禁煙席より広いんじゃないかというくらいだ。かといってタバコの吸える喫茶店にありがちなアウトロー感というか、ストレートに言えば不潔っぽさのようなものもない。カウンターにはいつも女子大生らしき若い店員さんがいて、淡々と僕のホットウィンナーのお会計をしてくれる。笑顔のときもある。

他方で、東京でタバコの吸える喫茶店―――ここで「タバコの吸える喫茶店」というのは、わざわざ席を立って店内の端っこに行けばモクモクしながらみんなと一緒にタバコが吸えるといったたぐいの謎の部屋が供された喫茶店ではなく、「喫煙席のある喫茶店」のことだが―――に入ると、「タバコを吸うってことは少々のあれこれは許せるんだよね」と勝手な推論をしているのであろう渋めの店主と出会わざるをえない。スタバの期間限定メニューにありそうなオシャレなメニューは一切なく、むしろスタバとはちがって、俺たちは「真の喫茶店」が欲しかったんだよな、という双方における了解のもと、「あえて」の文脈でチーズケーキがあったりする。たしかにこのチーズケーキがうまいことに異論はない。

店内はむろん汚い。カウンターには食器が何枚も重ねられていて、客はそこに座ることができなかったりする。しかしここでもやはり、その汚さこそが、タバコが吸える点ですでに稀少な存在であるその店を、より稀少なもの、より隠れ家的なものへと昇華させる。そしてこれらを許し受け入れることが、この喫茶店に入り浸るメンバーとしての必要条件なのだ。

さて、そういう昔ながらの喫茶店はよかった。一つひとつの喫茶店に思い出があった。でも今はどうだろう。

ツイッターで千葉雅也が『僕は町中華という言葉が嫌いで、あの言葉ができたために、いくつかの中華屋の思い出が汚されてしまった気がしている』とつぶやいていたことが思い出される。喫煙席でタバコが吸える稀少な喫茶店を指すネットミーム的なものはまだない。ただすでに人びとはそう認識している。言葉にはなってないものの、あの裏通りにある喫茶店も、あのグーグルマップに載っていない喫茶店も、あのサークルの先輩から教えてもらった喫茶店も、みな「そういう喫茶店」なのだ。チェーンのコーヒーショップとはちがって。

プロムナードカフェに話を戻そう。プロムナードカフェは喫煙席で好きなだけタバコが吸える。それなのに店員さんは若いし、とくに変なひとといった感じもなく、ふつうの女子大生だし、メニューもそれなりに色々ある。つまり兵庫県に位置する喫茶店ともなれば―――兵庫県は東京都ではないという点で「郊外」なのだが―――タバコが吸えることが「ふつう」なのだ。僕はふつうの喫茶店でタバコが吸いたい。「そういう喫茶店」は「そういう喫茶店」として楽しめばいい。よく訪れる最寄り駅近くのあの入りにくい中華屋も、町中華なんだろう。でも僕はふつうにそこで中華料理を食べたい。ふつうに中華料理を食べていた。それでいつか大阪からどこか別の場所に引っ越して、何年か経ったあと、あそこの中華料理屋はよかったな、と自らに固有のかけがえのない思い出として振り返りたい。

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