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寸借詐欺師の金子くんに2万円を騙し取られた話

 僕は人生で一度だけ、いわゆる寸借詐欺にあったことがあります。駅の改札前あたりでウロウロしている小汚いおじさんに「お兄さん、ちょっとだけ電車代を貸してもらえないかな?」と言われたことは何度かあるけれど、そういう明らかな寸借詐欺に引っかかったことはありません。

 ちなみに寸借詐欺というのは、赤の他人から少額の金銭を借りて、そのままバックレることを言います。被害が少額なので、被害者が警察に届出ることもほとんどありません。貸すほうは「少額だから貸してもいいか。困っているみたいだし」という気持ちにもなります。そこを狙って、彼らは寸借詐欺を働くのです。

 みなさんはくれぐれも、知らない人にたとえ少額でもお金は貸さないように気を付けてください。そのお金が戻ってくることはまずありません。寸借詐欺に見事に引っかかった僕が言うのも何ですけれども。僕は、「改札前の小汚いおじさんに電車代を借りパクされる」というような典型的な寸借詐欺にかかったわけではなく、わりと手の込んだ新手の寸借詐欺に引っかかりました。これからその話をします。

 大宮駅前のメイドカフェで酒をたくさん飲み、自宅に向かって国道沿いを歩いていると、30mほど先で一人の若い男が通行人に話しかけているのが目に入りました。その若い男は通行人に無視され、周りをキョロキョロすると、僕の姿に目をとめ、ゆっくりと近づいてきます。そして僕に話しかけてきました。
 「すみません、ちょっと話を聞いてくれませんか。玄関のところでもいいので、一晩だけ泊めてほしいんです。わけあって、同棲している彼女に家を追い出されてしまったんです。財布も携帯もなくて、とても困っています」
 僕はかなり酔っ払っていたこともあって、足をとめて彼の話を聞いてしまいました。彼が本当に困ってそうだったのと、僕が一緒に酒を飲む相手を欲しかったため、僕は近くにある行きつけの居酒屋に行くことを提案しました。
 「俺、財布がないからお金一銭も持ってないですよ」
 「酒代は僕がおごるから大丈夫ですよ。お店の中で詳しい話を聞かせてください」
 そう言って僕たちは、個人経営のカウンター席しかない居酒屋に向かって歩き出しました。

 場末の居酒屋のカウンターの奥に座った僕たちは、生ビールを1杯ずつ頼み、乾杯して飲み始めました。彼の名前は「金子つよし」と言うらしく、年齢は20代半ばでした。僕は年下の彼のことを「つよぽん」と呼ぶことにしました。つよぽんは小汚い長髪で、ややみすぼらしいボーダーのロンTを着ていました。しかしホームレスには見えません。つよぽんは生ビールを飲みながら、自分の身に何が起こったかを語り始めます。
 「俺は彼女と同棲してるんですけど、さっき浮気を疑われて大喧嘩になったんです。俺は浮気なんてしてないんですけど、彼女は浮気だと決めつけて、俺のカバンを手に取って、部屋の窓から川に向かって投げ捨てたんです。そのカバンの中には携帯も財布も入っていました。そして彼女はカッターを持ち出し、壁にかけておいた俺のスーツをずたずたに切り裂きました。俺は恐ろしくなって、着の身着のまま家から逃げ出しました。いま帰ったら包丁か何かで刺されるかもしれません」
 僕は「なるほど、そんなことがあったんですか。それは大変ですね」と同情しました。「じゃあ今夜はうちに泊まっていいですよ。玄関なんかじゃなく、僕の部屋で寝てください」
 つよぽんは「ありがとうございます!」と笑顔で言い、それからサッカーの話でけっこう盛り上がりました。彼はサッカー経験者だったのです。僕は大宮アルディージャのサポーターでしたし、今もそうです。しかし不思議なことに、彼はその居酒屋から早く出たそうにしていました。僕はまだ飲み足りなかったので、「もうちょっと飲んでから帰りましょうよ」と言いましたが、つよぽんは「あまり沢山おごってもらうのは悪いんで、そろそろ出ましょうよ」と言います。僕はしかたなく了承し、僕がつよぽんの分も支払って場末の居酒屋を出ました。

 家で飲む酒を買うために途中のコンビニに寄ると、つよぽんは「煙草を買ってもらってもいいですか?」と言います。僕は「あれ? さっきは酒をおごってもらうことに躊躇していたのになあ」と思いましたが、酔っ払っていたのであまり気にせず「いいですよ」と答え、僕の酒と、つよぽんの酒と煙草を購入しました。30分くらい歩いて僕の家に到着すると、まずつよぽんは「俺の足、臭いんで、お風呂場で足だけ洗ってもいいですか?」と言いました。僕が「いいですよ」と答えると、つよぽんはお風呂場で足を洗いました。今となっては、「臭い足を洗うんじゃなくて寸借詐欺から足を洗えよ!」と思います。つよぽんの足はしかし、洗ってもまだ少し臭かったです。僕は優しいので、「つよぽんの足、まだ少し臭いよ」とは言いませんでした。

 僕は自室でつよぽんと酒を飲みながら、30代後半だけど未だに童貞であることを告白しました。当時はまだ童貞だったのです。するとつよぽんは、僕が買ってあげた煙草の煙を吐きながら、「田中さんは、もっと合コンとかしたほうがいいですよ」とアドバイスしてくれました。「こんど、可愛い子が来る合コンに田中さんをお誘いしますよ」とまで言ってくれて嬉しかったです。でも、それから3年くらい経つけれど、未だにつよぽんからの合コンの誘いはありませんし、つよぽんに貸した2万円も返ってきません。そしてつよぽんは、洗ってもなお臭い足を僕のほうに向けながら、こたつでグースカ眠りました。僕は自分のベッドで寝ました。

 朝になって2人とも目を覚まし、しばらくたつと、つよぽんは神妙な顔つきになって言いました。
 「田中さんにお願いがあるんです。同棲している家には激怒している彼女がいるから帰れないんで、実家までの電車代1万円を貸してくれませんか。実家で親に金を借りるかどうかして、必ずお金を返しますので。実家は新潟にあります」
 僕は「情けは人の為ならず(人に親切にしておけば、それがめぐりめぐって必ず自分に良い報いがある)」という言葉を思い出しながら、現金を保管してある場所に手を伸ばし、銀行の封筒を取り出しました。するとつよぽんは目をキラキラさせて、「あ、そんなところにお金があるんですね!」と言いました。僕は封筒から1万円札を引き出し、彼に手渡しました。「彼はありがとうございます! あとで必ず返しに来ます!」と言い、それまでダラダラしていたのにすぐに家から出て行きました。出て行く前に、メモ用紙に新潟の実家の住所と電話番号を書いて渡してくれたので、僕はつよぽんのことを信用しました。

 その日の深夜、午前2時くらいにつよぽんから携帯に電話がかかってきました。「田中さん、金子です。いま、公衆電話から電話をかけています。新潟の実家に帰るのに1万円じゃ足りなかったので、今日も田中さんの家に泊めてもらってもいいですか」と彼は言います。ベッドに入って眠りにつきつつあった僕は、さすがに迷惑に感じて、「ちょっと今日は無理です。ごめんなさい。漫画喫茶とかで泊まってください」と告げました。しかしつよぽんは粘ります。
 「田中さん、本当にお願いします。近くまで来ているので、今から田中さんの家に向かいますよ」
 「この男はどうしてこんなに強引なんだ!?」と僕は若干腹を立てながら、「いや、今日は本当に無理です。僕は今寝ようとしていたんです。明日の朝、また来てください」と強めの口調で言いました。それでやっと彼は僕の家に泊まることを諦めてくれました。

 翌朝、僕の部屋の窓を強めにノックする音がしました。それから、鍵をかけてある窓を開けようとして、ガタガタという音が鳴り響きました。僕はベッドから出て玄関のドアを開けて、つよぽんを自室に招き入れました。彼は僕の部屋に入るとすぐに、神妙な顔つきで「新潟の実家に帰るのに、あと1万円必要なんです。本当に申し訳ないですが、あと1万円だけ貸してください」と言いました。僕は「ここまで来たら最後まで面倒を見よう」と何故か思い、ふたたび1万円を封筒から取り出して彼に手渡しました。そして「これ以上は貸せないですよ。僕もあまりお金がないもので」と告げました。つよぽんは「田中さん、本当にありがとうございます! 2万円は必ず返しに来ます! 今日の午後9時までには、必ずここに戻ってきます。こんど、友人として一緒に飲みましょう。合コンにも誘いますね」と言って、そそくさと僕の家から出て行きました。

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 僕は『走れメロス』のセリヌンティウスがメロスの帰りを待つがごとく、つよぽんが帰ってくるのを部屋で待ちました。しかし彼は約束の時間の午後9時になっても戻ってきませんでしたし、携帯に連絡が来ることもありませんでした。

 僕はつよぽんに手渡されたメモ用紙を取り出し、それに書かれている住所をインターネットで検索してみたところ、そんな住所はどこにも存在しませんでした。その時になって初めて僕は、「これって寸借詐欺じゃん!」と思いました。住所の下には家電の電話番号が書かれていましたが、ぜんぜん関係ない人に繋がって迷惑をかけそうだったので、その番号にはかけませんでした。

 僕は「寸借詐欺というものは、駅の改札前をウロウロしている小汚いおっさんによってしか行われないことである」と考えていたため、新手の寸借詐欺に引っかかってしまいました。2万円もの大金(貧乏人なので2万円は僕にとって大金です)を借りパクされたことも悲しかったけれど、それ以上に、あれだけ長い時間人と人として語り合った人間に、いとも簡単に切り捨てられたことが悲しかったです。僕は酒を飲みながらつよぽんと心をさらけだして語り合い、友人になったつもりでした。しかしながらつよぽんは、僕のことを寸借詐欺の良いカモとしか思っていなかったのです。

 その後、僕は2万円の損失を埋めるために、「ガールズバーに行ったつもり貯金」を始めました。めっちゃガールズバーに行きたい時、ガールズバーに行ったつもりになってお金を節約しました。だから結果的に、僕は2万円を損していないようなものです。そして、つよぽんに裏切られたという悲しみだけが残りました。みなさんは、僕みたいなことにならないよう、十分に気を付けてくださいね。寸借詐欺にはいろいろな形があります。駅の改札前でのみ発生する詐欺ではないのです。

 僕は今でもときどき思います。「つよぽんは、今ごろ一体何をやっているのだろう。臭い足を洗うだけでなく、寸借詐欺からも足を洗っただろうか。もし今つよぽんが僕の家にやってきて2万円を返してくれたら、彼と友達になろう」と。

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